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どんなに辛いことがあったとしても、祖母の前では決して、それを見せてはいけないと思っていた。 #我慢に代わる私の選択肢 意識された日常 誰に言われた訳でもないのに、祖母がいる食事の席で私は、いかに毎日楽しくて充実しているのかという話を聞かせることに徹していた。 それは嘘を吐くとか話を盛るとかそういうことではなく、例えば小学生のころ、友達とどんぐりでやじろべえ作っただとか、家庭科で作った炊き込みご飯が美味しかっただとか、そういう「私の世界の日常」を語るのだった。 今思え
私の姪孫の話である。 先日この子の親、つまり私の甥夫婦が流行り病にかかり、その間私の家で預かっていたことがあった。 (姪孫についてはこちらを参照) 姪孫は今2歳。言葉を少しずつ覚え始め、意思表示もしっかり行う。果物を頬張り、野菜に嫌な顔をして吐き出し、お菓子の袋を見つけるとすかさず指をさして「ちょうだい」と言い、あげないでいると泣きやがる。 それなのにむかつくどころか愛嬌たっぷりで憎めない。 ◇ 中でも一番微笑ましかったのは彼女のナルシスト具合だった。なにしろ鏡を見る
かつて祖母から「風来坊」と呼ばれたその叔父は、火野正平を彷彿とさせる風貌そのままに、まるで少しずつ山に取り込まれていく仙人のようだった。 全て山の中木曽の王滝村というところで叔父が民宿をやっているというので、両親と妹と私の4人で泊まらせてもらった時の話である。 「自分が住んでいるところが御嶽山の麓だと思っていたけど、よく調べたら一合目よりも高い場所だったんですよね。王滝村って、山の下じゃなくて、山の中にあるんです」 車を運転しながら、叔父がそう案内する。身内であり歳下の私
控え目な家電 小学生のころ、友達の家にあった三合炊きの炊飯器を見て「●ちゃん家の炊飯器小さいね、変なのー」と悪気なく言ったことがあった。 だけど世間一般的には、一升炊きの炊飯器を所有している家庭の方が少ないらしかった。 カレーやシチューを作るとき、ルーは必ず二箱入れた上で、水でもっと薄めて一気に30皿くらいの分量を作った。必然的に学校の家庭科室にあるような大鍋を使っていたけど、他の家では、うちがミルクパンとして使っている鍋のサイズでこと足りるようだった。 こんな感じで、普
祖母との電話は、いつだって一往復しかさせてもらえない。 93歳 団地暮らし 彼女は都内で一人暮らしをしていて、未だに家事も全て自分でこなす快活なばあさんだ。たまにヘルパーさんも来てくれているようだけど、週3回の透析を受けながらも、料理や編み物、ご近所付き合いと、忙しそうな毎日を送っている。 ちなみに「おばあちゃんね、もう先が長くないのよ」と弱気発言をしてからかれこれ20年は経過していて、その記録はまだこの先も更新されそうである。 とはいえ年齢が年齢だけに、「趣味 入