その男、灰崎凛音につき(※自己紹介の没原稿をアップするという卑劣さ)
のっけから何ですが、この自己紹介記事はVer.2です。
本当はセルフインタビューのでっち上げ取材記事を書いていたのですが、こちらの意図とは逆に、つーか真逆に、『インタビュー』というフォーマットだからこそ活きる部分と鼻につく部分が混在してしまい、後者が微弱にでも感じられるなら、凝った設定ではありましたが、捨てて、こうして素の文で自己紹介を書こうと決めた次第であります(ドラフトを読んで意見をくれた全ての方に感謝いたします)。
さて、自己紹介。
まず名前は「灰崎凛音」と申します。「凛音」は『りおん』と誤読されてを良いのですが、三十路を卒業した今もなお親に『りん』と呼ばれる程度には本名に近いです。それに『りんね』は「輪廻転生」ともかけていますが、片仮名にすると「リンネ」=僕がボカロP時代から応援させていただいている音楽家、
米津玄師さん
の名曲とリンクします。これな、これ。「輪廻転生」よりこっちに気付よ皆さま、むしろ。
呼び名ですが、リアルに「りんさん」と呼ばれることが多いのでそれで構わないんですけど、「いきなり男性のファーストネームを呼ぶなんてっ♪」という方がもしいらしたら、「灰崎くん」ないしは「はぃたん」という呼称を提案いたします。 まあ何でもいいから「ちゃん付け」以外はバチコイ!
では「ツクリテ」としての僕の——、嗚呼だめだあかん、先に公開した「ネタノートP.0」にも書いたけど、「僕」とかいう余所行きの一人称が気持ち悪い我ながらよそよそしい。よって以下「俺」で。
では「ツクリテ」としての俺の自己紹介をば。
今でこそ、
天性の童顔じゃなかったら犯罪レベルのゴスパン・ファッション
に身を包んでトーキョー・コンクリート・ジャングルの池袋辺りを闊歩しておりますが、つかよく友人知人から、
「会う度に髪の色が違う」
「毎回刈り上げの位置が変わっている」
「顔面詐欺やめろ」
といった祝辞をいただくのですが、音楽の原点はクラシックです。
三歳からピアノを習い始め、七歳の時にベートーヴェンの伝記を読んで何を思ったか、「このおっさんが五歳で作曲したなら七歳の俺も書ける」とイキってピアノ独奏曲を書きました。簡単なもので、今でも弾けます。
するとピアノ講師が喫驚、どんどん書きなさいと叱咤激励を受け、一度は合同発表会で俺ひとりだけ、
「モーツァルトのソナタと自作曲を弾く」
という悪目立ちしまくりな年もありましたし、渡米直前に、地元のピアノ講師から、
なんてオファーを受けましたが、何しろ後述する「ニューヨーク
永住計画」の真っ只中、面白そうでしたがお断りしました。
また、演者としてはブラスバンドとオーケストラでパーカッション(打楽器)を各々三年間、部活動としてこなし、ついでに言うとその際フルオケで演奏できる曲を二、三曲書いていました。
転機は中学二年の時分、NIRVANAのカート・コバーンと出会ったことです。当時俺はオーケストラ部で「チャイ四(チャイコフスキー交響曲第四番)」でティンパニをぶっ叩きながらも、通学路では「NEVERMIND」を聞き込み、クラスの男女が「L'Arc派かGLAY派か?!」で戦争直前の臨戦状態になっているのを尻目に、ずぶずぶとUS/UKロック沼にハマって参りました。
しかし、しかしですよ……。
俺の世代ですからね!
YouTubeも各種サブスクもねぇからな!
かろうじてナップスターはあったけど当時アレ違法でな!! ジリ貧中高生にとってCDを買い漁って音源を集めるってなぁなかなかにタフなもんでしたよ!!!
まあ、そうこうしている内に、俺は(おそらくは)生涯の「神」と出会います。
当時まだ人間だった、
MUSEのマシュー・ベラミー氏です↓
実は17歳の時に会ってお話しする機会に恵まれましたが、俺の英語力がまだまだだった上、マシューさんはエゲレス南部の英語を猛スピードでくっちゃべりあそばされます(自分は米語を勉強&話すので、もはや異国語なんよ)。
……いやぁ、今でも恐ろしいぜマシューさんイングリッシュ。
その後、2004年にもメンバーと会えました。
この頃はすでに日常会話程度ならこなせていたので、マシューさんのみならず、ベースのクリスとドラムのドムとも話しましたよ。一番話しやすいのはドム、英語的に分かり易いのはクリスって印象でした(アメリカ英語学習者的に)。
——あれ? これ自己紹介じゃなくね?
Alright, いい加減書く方の話をしましょう。
……とまあね、こんな色々と間違っている自己紹介記事も書きかけていたのですよ。
え、セルフ・インタビューの方が間違ってる?
あーあーあー聞こえない! 俺は!! 何も!!!
聞こえやしねぇ!!!
【了】