【Webメディア取材】自分らしく生きるには…
この記事は、毎日新聞社の女性向けWebメディア「Hanasone(ハナソネ」に取材していただいた私の記事の抜粋をご紹介しています。
ぜひ、引用元の記事もご覧ください。
「自分らしく生きること」の本当の意味がわかります。
【引用元の記事】
人とのコミュニケーションが苦手で
職場を転々としてきた私。
出生時の身体の性別と性自認が一致しない
トランスジェンダーとして葛藤した時期もある。
「自分らしく生きるには……」と自問自答を続け
ビジネスコンサルタントとしての
独立に向けた一歩を踏み出した。
自身の性と葛藤した思春期
私は、中部地方出身。
3人きょうだいで、2人の姉がいる。
待望の男子が生まれたことを
両親は喜んでいたと思う。
子どもの頃の記憶はほとんど残っていない。
思い出せるのは男子校の高校に進学してからのこと。
思春期真っ盛りの男子に囲まれ
はじめて、言葉では言い表せない居心地の悪さを感じた。
「自分は同性愛者なのだろうか」と思い悩むようになった。
ちょうど、インターネットが普及し始めたころ。
教育熱心だった両親が購入したパソコンで
「自分は一体何者なのか」を調べまくった。
でも、答えはなかなか見つからなかった。
夏休み、両親のすすめで米ボストンに語学留学した。
そこで、強烈な体験をした。
クラスメートと入ったレストランで
日本で言う『おねえ』と呼ばれる雰囲気の人に
隣に座っていた男子学生を紹介して、と言われた。
近しさを感じた。
「私は、こっち側なのかも・・」って。
帰国後、地元の大学に進学し
仲良くなった女子グループのメンバーに
恐る恐るカミングアウトした。
「りんは、りんだから」
みんなびっくりするほど自然に受け入れてくれた。
でも、両親にはどうしても言い出せなかった。
ジェンダーレスな服を着て外出し
駅のトイレで、ポケットにしのばせておいた
女性用のアクセサリーを身につけた。
友人たちの中での自分と
家庭での自分とのギャップに戸惑う日々が続いた。
人間関係に悩んで職を転々
2008年、大学卒業後すぐに
大学の事務職員として働き始めた。
リーマン・ショックの直後
「派遣切り」という言葉が広がった時期。
私は、自ら非正規で働くことを選択した。
当時はまだ
「男性会社員はスーツを着てネクタイを締めて働くもの」
というイメージがあったから
それはあまりにもつらいだろうと思った。
少人数ののんびりとした職場で
少しずつ性自認をオープンにすることができた。
だが、やがて人間関係に亀裂が生じる。
自分ではそんなつもりはないのに
新しく入った職員から
『先輩だからって偉そうにするな』と言われて……。
3年ほどで職場を去ることになる。
このとき私は
地元で生活する息苦しさから抜け出すため上京を決意。
東京都内の企業で事務職員として勤務する。
その後は大企業から中小零細企業まで
10社以上を転々としてきた。
なぜか、いつも人間関係がこじれてしまう。
その理由が自分でも分からなかった。
ある時、友人から
『りんが良かれと思って口にしたことが
相手を傷つけている』
という指摘を受けた。
以後、思ったことを口に出さず
自分を抑えて生きるようになった。
好きな人ができて変化した価値観
転機は2011年。初めて、恋人ができた。相手は男性。
これまで付き合ってきたのは全員女性だと聞いて
関係は長く続かないだろうと思った。
でも、お互い不思議と居心地が良くて。
出会って1週間で同居をスタートさせた。
私は、それまで「身体の性」に
こだわりは持っていなかった。
身体は男性であっても、自分であることに変わりはない
そう考えてきた。
性別適合手術を受けたい気持ちはあっても
手術は大きなリスクを伴う。
膨大なお金と時間をかけてまで
手術を受けようとも思えなかった。
ただ、現行制度は同性婚を認めていない。
法律婚をした方がメリットがあるし、親孝行もできる。
「2人で協力してお金をためて手術を受けよう」
そう決めた。
健康な体にメスを入れることには、大きな覚悟が必要。
周囲の理解を得る必要もある。
私は、このタイミングで家族に打ち明けようと決意した。
母はすでに病気で他界していたけど
なんとなく気付いていたらしい。
父に『お付き合いしています』と紹介すると
『良かった』とだけ声をかけてくれた。
手術のことは、LINEで告げた。
・2人で長い時間をかけて話し合ったこと
・自分たちでお金をためていること
・性別を変えて籍を入れたら
改めてあいさつに行きたいと思っていること……。
父から、長文の返信が送られてきた。
『りんが幸せになってくれれば、それがいい。
世の中には受け入れられない人が
いるだろうことは分かってあげてほしい。
付き合いを拒絶されることもあるかもしれない。
でも、前を向いて進めばいい。
りんらしく、幸せに生きていってくれることが一番の願い』
涙があふれてきて、想いが込みあげてきて
すぐには返信できなかった。
でも
「これからは自分らしく生きていける」
と決意できた。
会社勤めをしながらコーチングの資格を取って開業したり
昔から憧れていたファッションを学ぼうと
専門学校に通ったり。
興味が湧いたら、何にでも飛び込んだ。
2021年2月、単身でタイに渡り、性別適合手術を受けた。
同じ年の11月に結婚した。
転職のきっかけは「SATC」
「このまま事務職員を続けていても、何も変わらない」
自分探しを続ける中で
私は職種を変えてみようと思い立った。
頭に浮かんだのは大好きな米人気ドラマ
「セックス・アンド・ザ・シティ」(通称:SATC)
PRウーマンとして登場したサマンサに憧れていた。
すぐに広報・PRの仕事を探し始めた。
未経験職場への転職活動は厳しかった。
唯一、話が進んだのが建設会社のデジタルトランスフォーメーション(DX)を支援するスタートアップ企業での広報立ち上げだった。
社内に広報経験者は1人もいなかった。
何をするべきかと悩んで始めたのが
Xを使った情報発信だった。
他の企業の広報とつながり、積極的に情報交換をした。
ブランディング施策として
自分自身の顔の見える発信を心がけた。
顧客からも反応があり
発信がどんどん楽しくなっていった。
「私がやりたかったのはこれだ」と思った。
ビジネスコンサルタントとして
この頃、私にはもう一つの出合いがあった。
中国・華僑に伝わる人間分析術「門鑑定」。
四柱推命を利用し
10種類の「門」の中から門(タイプ)を探り当て
「その人らしく生きる術」を読み取る。
華僑たちがビジネスを成功させるための
帝王学として利用してきたとされる。
知人を通じて存在を知り、学びを深めるうちに
その面白さにのめり込んだ。
身近な見込み客にアプローチすると反応は上々だった。
自分が良かれと思って口にしたことが
組織内では受け入れられなかったけれど
ビジネスの世界ではアドバイスとして生きる。
そういう手応えを感じた。
SNSを使った情報発信と門鑑定。
2つのツールを手にした私は
ビジネスコンサルタントとして独立することを決めた。
最近になって私は
メンタルヘルスクリニックで
自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けた。
生きづらさの正体がようやく分かった。
そして、気持ちが楽になった。
私は、自分らしく生きる術を見つけた。
これからは
他の人が自分らしく生きるためのお手伝いをしたい。
人一倍、生きづらさを抱えてきた私だからこそ
できることだと思うから。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
門鑑定にご興味のある方へ
適職にお悩みの方へ。
得意を活かして
自然体に活躍できるお仕事を一緒に見つけませんか?
あなたの主観と先入観は混ざらない。
わたしの主観と先入観も混ざらない。
統計学にもとづく唯一無二の人間分析です。
ご興味のある方は、公式LINEよりお問合せくださいね😊