どこにでもいる人間の半生12
話は数年前に遡る。
幼馴染とは5年の間音信不通だった。
再び顔を合わせるきっかけになったのは同窓会での事だった。
行こうか迷ったが、恩師の先生も来ると言う事で友人Cと一緒に行く事にした。
この友人Cは私を県外まで迎えに来てくれ、中学生時代にはお互いに家庭環境で悩んだり、荒んでいた心を埋め合うような仲であった。
いざ同窓会の会場へ着くと、懐かしい顔ぶれに気分が高揚した。
そこには幼馴染はもちろん、友人Aや友人Bの姿もあった。
しばらくして同級生との談話を楽しみ、お酒の力も手伝ったのか、幼馴染の座るテーブルへ行く、高揚感も助けてくれたから行動できたのだろう。
お互いに一言と語る事なく涙を流した。
私はこの5年間、もっと違うやり方があったのではないかと考える事が多かった。
フェードアウトではなく、なぜ直接話をしなかったのか、私は幼馴染を自分から遠ざけておきながら悔やんだ。
ぽっかりと空いた心の穴に、それは私が取った行動への報いだ、と言い聞かせて日々を過ごした。
そして、お酒を飲んでみんな楽しく盛り上がり、宴もたけなわ、と行くはずであった。
私は同窓会の場の空気を壊してしまった。
きっかけは同級生の男子Aの発言からだった。
私は体格が良い、幼馴染はスレンダーだ。
それを何度も比較されて煽られていたのだ。
それでも私は堪えていた。
しかし、我慢ができなかった。
女としてしか見れないのか、そう言う比較しかできないのか、私が1番許せない、そして、幼馴染との亀裂のきっかけともなった部分であったから、最後の最後で周りを巻き込んで罵声を浴びせたのだ。
もちろん、私の心情など誰一人知る由もない。
ただの酒乱、迷惑行為、果てには暴行に暴言であるから、私などは獣のように見えただろう。
取り巻きの男子Bの胸ぐらを掴んだし、男子Cにも食ってかかったし、宥めようとした主催AやBの言葉も耳に入らなかった。
私はそこで自分に驚いた。
その時、私は、養父の名前を出して虚勢を張ったのである。
私には結局何もないのだ。
誇れるものなどないし、どうにか男には負けたくない、どうにか舐められたくない、一人の人として生きたい、どうにか存在価値が欲しい、どうにか、どうにか。
私はこんな時に養父の名前を出した自分が信じられない反面、後ろ盾が欲しかったのかと初めて自分に正直になれた。
自分を守って欲しかった。
自慢できる何かが欲しかった。
誰かに、なにかに。
この一件があってから、一部の仲の良い同級生を除く人からは、関わり合いになりたくない人物だと思われているのだろう。
それなりに空気は読める、読んできた。
その後、謝罪参りをダメ押しでしてはみたが、気にしなくていいよ、と言う言葉に社交辞令だとわかってはいても救われた。
主催Aには、あなたが場の空気を壊したことは自覚して欲しい、と言われた事などは鮮明に覚えている。
申し訳なかったと思うと同時に、私だけがいけなかったのかと、腑に落ちない部分もあった。
それから、幼馴染とはまた連絡を取り合うようになり、すぐに毎日のように会うような仲に戻っていった。
これまで出来なかった対等な付き合いが出来る様になったと感じて嬉しかった。
事あるごとに私は幼馴染の顔色を伺ったり、傷つけたくない一心で付き合いをしていた。
独りよがりな私の考えは次第に暴走し、関係性にいつしか疑問を抱くようになっていた。
彼女の言葉にはオブラートと言うものがない、後に理解するのだが、これが彼女なりの思いやりなのである。
そこに私は度々傷つき、疑問を抱き、しかし彼女を傷つけたくないが為に言葉をグッと飲み込む様になってしまっていたのである。
なぜ私が彼女を傷つけまいと振る舞っていたのか、それは中学校3年生の時に、私は彼女を深く傷つけてしまった。
それを何年も彼女は一人で抱えて、数年経ってやっと私に話をしてくれた事があった。
そこから、私は彼女をこれ以上傷つけてはならない、と頑として思ったのだ。
しかし、それは結果として、理解がゴールとするならば遠回りにしかならなかった。
そんな当時の私からしてみれば、対等に付き合って行ける、理解し合い、思いやり、以前より思いをぶつけ合えるという事はこれ以上にない喜びであった。