Vol.1.27 棒のない棒高跳びをしていたあの頃
失敗が続くと、自分はなんでこんなこともできないんだろうと自分で自分を責めていた。
誰かの役に立ちたい。
足手まといになりたくないのにどうしてこうも人に迷惑をかけてしまうんだろう。
そうして自分を責めに責めて、自己肯定感とやらがダダ下がりした。
自己肯定感が下がると自信をなくしてネガティブな事しか考えられなくなってどんどんどんどん自己肯定感が下がっていった。
そんな悪循環を今何十周目なんだろうかと数えるのも気が遠くなる程しているとふと思いついた。
「よくよく考えてみれば、私は頭も良くないしそこまで大した人間じゃないぞ」
もしかしたら、これまで自分のためと言って棒を使わない棒高跳びレベルのハードルを自分に課していたんじゃなかろうかと思うようになった。
そんな自分を客観的に見てみたら、そりゃあ無理に決まってる。
それに気付いてからは、自分に課した目標のハードルをこれでもかという程下げた。
わかりやすく言うと、中学生の数学から小学1年生の算数ぐらいのレベルだろうか。
内容も日常のほんの些細なもの。
これまでだと自分の成長のためといって毎日最低3時間の資格勉強や早朝ランニングだったのが、読書•映画鑑賞やいつでもいいから散歩をする、といった具合だ。
初めのうちはこんな初歩的なことで大丈夫かなと思ったけど、特に誰かと勝負しているわけじゃないからまあいいかと気楽に始めた。
それをしばらく続けていると、どんな小さな目標もひとつふたつクリアしていくと不思議と自信が湧いてきた。
ただ家の掃除をしたり、レンタルショップで借りてきたDVDを観ただけなのに。
難しい事を乗り越えることも確かに自分の成長につながるけれど、心が弱っている時にこれをするにはリスクが高すぎる。
まずはケン•ケン•パからでもいい。
それからちょっとずつバーを上げながらハードルを飛び越えて、よしココだ!という場面で棒を持って棒高跳びに挑戦してもいい。
楽なことは自分を甘やかしているわけではない。
誰がなんと言おうが、これは自分のためのリハビリなんだ。
今日もうまくいかない事があって自分自己評価が30点でも10点でもとりあえずその日を生きていれば及第点でいいんじゃないと思うようになってからは少しラクになった。
あれ?
これが「自分を認める」ということ?