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「ママがいい!」と言われると苦しいなんて


子どもが小さい頃、「ママがいい!」と言われると、胸の奥がぎゅっと潰れるような気持になる時がありました。

その言葉を喜べない自分が居ました。
そんな自分は嫌だなと思う自分も居ました。

子どもは全身で自分を必要としてくれている。
こんなにも求めてくれている。
これ以上に嬉しいことはないはずなのに。

他の人に抱かれると泣いてしまう我が子が、私に抱かれて泣き止むと「やっぱりママがいいのね」「ママが一番ね」…そう言われると、顔は笑顔にしていても、胸の奥の方に抱えている鉛が重さを増す感じがありました。

でもそれは、私が悪いわけじゃないのです。
まして、子どもが悪いわけでもないのです。

今ならはっきり言えます。

そういうときの私はただ疲れているだけでした。
子どもの命の重さに一人で耐えられないだけでした。

本当の私は「ママがいい!」という我が子の声を、「やっぱりママが好きなのね」という誰かの声を、いつも嬉しく思いたかったのです。何の迷いもなく喜びたかったのです。





「ママがいいと言っているよ」と言われると、「私にだけ言わないでよ、パパも同じ親なのに」と思うことも何度もありました。

夫は激務でほとんど家にいなかったので、子どもたちはもれなく父親に人見知りをしました。特に娘はひどくて、夫が帰ってくると大泣きしていました。私も泣きたかった。夫は転勤族だったので、祖父母も頼ることができず、専業主婦の私は見知らぬ土地で初めての育児に孤軍奮闘する毎日でした。

夫はとてもやさしい人で、家族のために働き続けてくれました。だから私も子どもを優先して過ごすことができました。我が家は、家事・育児と仕事を夫婦で分業しました。私たちにはそれしか方法がなかったので。決めたからにはやり抜こうと思いました。


あの頃を振り返ってみると、まぁよくノイローゼにならなかったものだと我ながら感心します。誰にも褒められない時は自分で褒めることにしています。そうです、こんな感じで、私はわりと早い段階で良い母親になることを諦めて開き直りました。たぶん本当に限界で、だけど私が倒れるわけにいかなかったので、本能的にそうなったのでしょう。こんなに大変なことをしているのだから、子どもたちが生きているだけで私は100点満点だ。誰に認められなくても良い。だってどんな私でも、子どもは必要としてくれる。私がいるだけで嬉しそうだ。目の前の我が子のことだけよく見て、それだけを信じよう。子どもは私と一緒にいることを求めているのだから一緒にいるだけでいいじゃないか。そう勝手に思うことにしました。


園でも日に何度も子どもたちの口から「ママがいい」と言う声を聞きます。

ずっと「ママがいい」と同じくらい「パパがいい」と子どもが言うようになったら良いと思っていました。今もそう思っています。子どもが「ママがいい」というのは、それだけママが子どもの世界の中心にいるからでしょう。パパも同じくらい子どもの世界の中心にいたら、パパが良いともいうようになるのではないでしょうか。そして、パパだってそう言われたいのではないでしょうか。パパもそういわれることで、嬉しいだろうし、自信になる事でしょう。


ひとりでは背負いきれず、ともすればプレッシャーになってしまう信頼も、二人で分け合ったら喜びとして受け取れることでしょう。


私が子育てしていた20年前と比べると、今はたくさんの子育て支援が行われています。
「ママがいい」と言われて、当時の私のように胸が苦しくなる母親は減ったでしょうか。「パパが良い」と言う子が増えたでしょうか。


「ママがいい」と言われたら、母親はそれを喜びと誇り変えたいはずなのに。

なぜか、自分が非難されている気持ちになったり、追い詰められた気持ちになってしまう。そう言ってくれた我が子や、それを教えてくれた相手を非難したり、自分を否定する気持ちが芽生えてしまったときには、深呼吸して、自分は疲れているのかもしれない…と、気づくことができたらいいのに。

周りもそんな風に追い詰められてるママがいたら、「ちょっと疲れているみたいだから、子どもはみているから休んだらいいよ」…周りもそんな風に言える余裕がある世界になったら良いのに。

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