2020年 青森一人旅 ②
弘前城と洋館巡り
続いて、弘前城に向かった。弘前城では、遠足だろうか、ジャージを着た中学生がバスで来ていたのが意外だった。普通なら何でもないことだが、コロナが流行ってからというもの、団体で動いている人を見るとおや? と思ってしまう。
弘前城ではお堀の工事をしていた。お堀の傍に観覧台が設けられていて、重機を使って歪んだ石垣を直している様子がしっかりと見える。お堀の向こうにある弘前城の天守閣は、桜の木の影になって写真には上手く撮れなかったが、その姿を確認できた。
お堀の他にも、弘前城は天守閣の位置を移動したりと、さまざまな工事をしているらしい。後の予定があるので、天守の近くにある有料区間には入らず、少し遠くから弘前城の写真を撮ってその場を後にした。
その後、弘前にある教会を2か所巡るのだが……まず、道に迷って困惑した。その後、なんとか辿り着いたカトリック弘前教会では、入ったはいいものの先に述べた遠足の中学生がたくさんいて、30代のおばさんがそこに混じるのがいたたまれなくて秒で抜け出してしまう。もう1つの日本基督教団教会は閉まっていて入れなかった。そんなこともある。しょうがない。
気を取り直して、次の目的地、青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)に向かった。
重厚な感じの建物に圧倒されつつ、中に入る。ツヤツヤとした木でできたどっしりとした受付から、上品な感じのおじいさんとお姉さんの職員さんがご挨拶してくれる。すごく、上等な感じがする。もの静かで丁寧な応対を受けて中に入る。緊張して、「パンフレットにある来館スタンプはどこで押すのですか?」などとは聞けなかった。
館内は1階が貨幣や銀行全般に関する歴史、2階がこの建物に関する歴史についての展示が多かった。2階の広々とした大会議室は、艶やかに磨かれた木の床と、金唐革紙が施された天井の装飾が美しかった。
この青森銀行記念館を建てた堀江佐吉さんという方は、他にもいろんな建築を手がけたらしい。太宰の生家である斜陽館や、この後訪れる弘前市立図書館など、地元の有名な建築物を建てている。
地域に根差した有名な建築家がいるのは、いいことだと思う。その人が作った建物が、地域の雰囲気をまとめてくれるような気がする。先日、釧路に行った時も、同じ建築家が手掛けた建物が市内に何点かあり、感心した。それらの建物はまったく違う形をしているけれど、同じ親から生まれた共通点のようなものがある気がした。建物同士が兄弟みたいな雰囲気。それが見ていて、なんとなく微笑ましかったのである。
弘前と太宰治
記念館を出た後、タクシーで太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)に向かった。
太宰治まなびの家とは、太宰が18~21歳の間、官立弘前高等学校(現在の弘前大学)に通うため、下宿していた親戚の家である。現在、その建物は一般公開されおり、太宰が実際に寝起きしていた部屋などを見学することができる。
計画をたてた時は、少し離れた場所にあり、閉館も16時と若干早いので、行くのは無理かと思っていた。しかし教会をさっさと過ぎてしまったため時間が余り、行くことができたのである。
記念館の近くに停まっていたタクシーの運転手に声をかけ、乗車する。「休憩中邪魔をして機嫌を損ねただろうか」と不安になりながら、会話のない車内で10分ほど過ごし、太宰治まなびの家に着いた。
外観はごく普通で、小さな庭に2階建てのこじんまりした家が建っている。ぴたりと閉じられた引き戸に、休館だろうかとびくびくしながら、手をかける。少し重い引き戸は、がらがらと音をたてて開いた。するといきなり、太宰治の青年時代の写真パネルが目に飛び込んできた。学生服を着て、顎に手を当てる太宰青年のカッコイイポーズである。ドキドキしながら写真を撮った。
「ごめんください」とそおっと言いながら進むと、中にいた案内の方が声をかけてくれた。案内の方の説明を聞きながら、太宰が弘前高校時代に過ごした下宿を見学する。和風の住宅だが、太宰が住んでいた当時は、ワイン作りを家業にしていたそうだ。ハイカラでお洒落な感じが、なんとなく太宰に合っている気がした。
畳敷きの館内には、当時の太宰が写っている写真や、当時の弘前の街の写真、弘前にいた頃太宰が作った同人誌などが展示されている。当時の手紙や、周囲の人からの証言などを引用し、太宰の青年時代の様子がリアルに分かるようになっていた。数字は忘れてしまったが、当時の一般的な月給と、太宰が1ヶ月あたりに花街通いにかけた金額を比較し、学生の太宰がどれほど浪費をしていたか分かるように説明がされていた(たしか月に100円、当時の一般的な月収の2倍だったと思う)。
また、この家の床の間の前で撮った、太宰の家族写真がある。その写真で太宰が座った場所に、私も座らせていただいた。本でしか知らない「その人」がいた場所に自分がいるというのは、なんとも不思議な気持ちである。太宰が見ていたかもしれない景色を写真に収めておく。
建物の2階には、太宰が寝起きし、書き物をしていた部屋がある。太宰が書き物をしていた小さな文机は、日当たりがいいようにか、窓のすぐ下にあった。
また、出窓のように畳からすこしはみ出したスペースがあって、机と椅子が置かれていた。窓際でよく日が当たるそのスペースは、太宰のお気に入りの場所だったそうだ。よくここで義太夫を歌ったり、創作のアイディアを練ったりしていたらしい。それは座布団を三つ並べたら、入るか入らないか分らないくらい狭いスペースだったが、その狭さがいいと思った。こじんまりしたスペース、気持ちのいい陽だまり、木の椅子、机、座布団。猫が昼寝をするのによさそうな、とても居心地の良さそうな場所だった。
部屋の欄干には蝙蝠の透かし彫りがあった。今までこういう模様を見たことがなかったのと、ハロウィン風で可愛らしくとても気になってしまったので、どういうものか質問してみる。蝙蝠の「蝠」の字の右側は「福」の字と同じである。そのことから、蝙蝠は縁起のいい動物と言われているらしい。初めて知った。
また、まなびの家にはいたるところに太宰を写した写真がある。当時この家に住んでいた藤田家の長男は写真が趣味だったそうで、太宰はよくその被写体になっていたらしい。
偉人の資料館などを訪ねると、その人にまつわるものがたくさん残っていることに感動する。写真や手紙、手書きの原稿など、それを捨てずに残してくれた人がいたからこそ、現代の私達が見ることができる。今では貴重な手書きの原稿だが、当時はゴミのようなものだったかもしれない。ゴミ箱に捨ててあった原稿を家族が拾って、取っておいたみたいな話も聞いたことがあるくらいだ。
ゴミのようなもの。でも、何かあるかもしれない。そう思ってとっておいてくれた人がいたのだ。その人の慧眼やものを大事にする心に感謝である。まなびの家に残された写真にも、同じような感情を抱いた。別になんの記念でもない写真を、きちんと保存してくれた人がいる。太宰青年の日常の姿を守ってくれた人がいるということが、嬉しいなあと思う。
弘前の夕暮れ
まなびの家から出て、隣にある旧弘前偕行社という古い建物をちらっと見る。発表会でもしているのか、ピアノの音がずっと響いていてロマンチックな雰囲気だった。
偕行社の建物には貸し切りの札が下げられていたので、少しだけ写真を撮って立ち去ろうとした。すると、職員の方だろうか、近くに行くいた人から「見学ですか?」と声をかけられた。時間もないと思ったので、「見ていただけです」と言ってその場を離れたが、そうですと言えば、中を見せてくれたんだろうか。勿体ないことをしたかもしれない。
歩いて、バス停がある通りまで戻る。行きは遠いように感じたけれど、帰りはそうでもなかった。また100円バスに乗って、お昼と同じバス停で降りる。
向かったのは旧弘前市立図書館だ。二つの塔を持つおしゃれな洋風建築の建物は、弘前のガイドブックにも大きな写真が載っており、一度見て見たかったのである。
しかし、到着すると、旧図書館は工事中の囲いにすっぽりと覆われていた。一面シートが張ってあり、外観がまったく分からない。諦めて帰ろうと思ったのだが、よく見ると「開館中」の札が下がっていた。せっかくなので、中だけでもと見学する。
建物の中には、ここが図書館だった当時使われていた本棚やカウンターなどが置いてあった。当時使われていた椅子には、「古くて抜けやすくなっています。気をつけて座ってください」などと書かれていて、「座っていいの?」と驚きながらも、おっかなびっくり座って、怖くなって急いで下りた。ぎしぎしいう木の床を踏みしめながら、静かに見学した。見学者は私一人だけだったので、少し薄暗い館内にいると何となく心細く、ささっと見学を済ませて外に出た。
時刻は17時前、ちょうど近くにある弘前市立郷土文学館が閉館前だったので立ち寄ってみる。入ると、すでに閉館の準備をしていたようで申し訳なくなった。申し訳ないと思いつつも、座れるスペースがあったり、映像の展示もあったので、ゆっくり見て回った。
弘前にゆかりがある作家さんは、太宰と寺山修司(初めて知ったが、出生地は弘前とのこと)以外知らなかったが、興味を持って見学できた。
意外におもしろかったのが岩木山と文学に関する展示だ。さまざまな作家が書いた岩木山の描写や句などがあったが、それぞれに雰囲気が違うのがおもしろかった。津軽富士、と呼ばれるのも最もで、岩木山は富士山並みにこの地方では親しまれているらしい。弘前に来る前は岩木山にそれほど注目していなかったのだが、展示を見たらとても気になってしまった。
文学館を出て、近くにある旧東奥義外人教師館を見学する。
開館していたのだが、完全に無人だった。1階にはカフェがあるのだが、そちらは閉まっている。しかし明かりがついていて、見学自由の看板があったので、下駄箱に靴を入れて上がらせてもらった。
中はお洒落な家具がきちんと配置され、当時の雰囲気がたっぷりだ。ここに暮らしていた外人教師の写真なども展示されており、歴史を感じさせる。
しかし、自分以外の誰もいない空間に、心がそわそわし始める。子供部屋に置いてある人形や、当時のものなのか、古ぼけた木馬などがなんとなく怖いもののように感じられる。二階で見学していると、一階に人の気配を感じた……やっぱり心細くなって、足早に見学を済ませた。建物を出た後、警備員さんの姿を見かけたので、一階で感じた気配は、警備員さんのものだったのだろう。
外人教師館の庭には、弘前の洋風建築のミニチュアを集めた広場があった。
外人教師館は勿論、青森銀行記念館や見学できなかった教会のミニチュアもあった。工事中の旧図書館のミニチュアもあったので、写真をしっかり撮っておく。
バス停に戻る頃には、日がすっかり落ちていた。かすかに残った夕焼けに、岩木山の影がくっきり映っている。やっぱり岩木山が気になる。明日、もし晴れていたら、弘前城の天守から岩木山が見たいなあ、と思った。
津軽そばとスイーツ三昧
バスに乗り、夕食と今夜のデザートの調達に出かける。
駅の一つ前のバス停で降りて、街の中心とは反対方向へ15分ほど歩く。
途中、大量のカラスが止まっている電線を見つけてビビる。50メートルくらいの電線に、びっしりとカラスがとまっていた。落とし物の直撃を受けないよう、小走りでカラスの下を通った。
この後も、弘前ではたびたび大量のカラスを見かける。弘前の街はゴミが全然落ちていなくて本当にきれいなのだが、朝と夕方はカラスがすごく多くて困惑する。もしかして、街のゴミをカラスが食べてくれているんだろうか。
そんなことを考えながら、目的地のケーキ屋さん「アンジェリック」に着いた。まるでジュエリーショップのような、ホワイトとプラチナカラーを基調にした外観に期待が高まる。
中に入ると、目当てのアップルパイとケーキ、両方がまだ売り切れずに残っていた。特にアップルパイの方は、予約しなければほぼ買えないと聞いていたので、どうなるかと思っていたのだ。ホテルで食べる用に、アップルパイとケーキを1つずつテイクアウトした。
続いて、近くにあるお店「三忠食堂本店」で夕食にする。ねぶたを思わせる明かりが、老舗っぽい雰囲気のお店だった。
ガラガラと扉を開けて入ると、お客さんは誰もいなかった。古いお店だが、透明の仕切りなどが設けられていて、コロナ対策がしっかりしている。
すぐに店主であろうおじさんが来て、「お好きな席にどうぞ」と案内してくれた。名物の津軽そばを頼むと、おじさんが「津軽そばは初めてですか?」と聞いてきた。そうです、と頷くと、とても丁寧に説明してくれた。優しい感じの津軽方言風の喋り方だったと思うが、うまく表現できないので、そんな感じに脳内変換しながら続きを読んでいただきたい。
おじさんは一度厨房に入って、小皿を持って戻ってきた。
「これは焼き干しといいます。津軽そばは、この焼き干しの出汁を使っているんですよ」
小皿には、頭を千切った煮干しのようなものがのっていた。
「煮干しは魚をまるごと煮て、干して作るんですが、そうすると内臓ごと煮るので、旨味の他に苦みも残ります。ですが、焼き干しは頭と内臓を取って、火で焼いてから干すので、苦みがなく、旨味だけが残るんですよ」
そう言って、雑誌を見せてくれる。そこには、「津軽」に出てくるタケのようなおばあさんが、串に刺した小魚を炉端で炙っている写真があった。一本の串に何匹も小魚が刺さっているが、どの魚もしっかり頭をむしられていた。
「食べてみてください」
と言われるまま、小皿に手を伸ばす。一口食べようとすると、まず固い食感に驚いた。姿は似ているが、煮干しとは明らかに違う。ただ口に咥えただけでは食べられない。パキリ、と音をたてて噛み締めると、口の中に旨味が広がる。そこに、苦みはない。生臭さのようなものはまったく感じられない。かなりおいしいと思った。
煮干しは魚を鍋に入れて一気に煮ればいいが、焼き干しはいちいち頭や内臓を取り、一つ一つ串に刺して焼くという細かい工程があるため、煮干しより高価で、あまり広く出回っていないらしい。私も初めて聞いた。津軽そばは、その貴重な焼き干しを使っているのがおいしさの秘密だという。
店内に飾られた芸能人のサインなどを眺めながらしばらく待っていると、津軽そばをおじさんが持ってきてくれた。
さっそく、焼き干しで作った出汁を飲む。雑味のない、とてもおいしい味だった。おじさんが比較にと小さな器に入れてくれた関東風の出汁を飲んでみると、関東風はかなり甘く感じられる。
薄味で風味豊かな出汁には、柔らかくてコシの弱いそばが入っていた。少し箸に力を入れるとプツン切れてしまう麺が、やさしい味の出汁と合っている。
焼き干しと豆の煮物とりんごも付いてきて、満足の行く夕食だった。特に、津軽そばについてのおじさんの説明や、焼き干しへのこだわりが感じられたのがとても良かった。おもてなしの心みたいなものが感じられて、太宰の「津軽」に出てくる、津軽人のおもてなし魂みたいなのを実感できた。
お店を出て、ホテルに帰った。チェックインするとGOTOトラベルの地域共通クーポン7,000円分が貰えた。部屋に荷物をおろすと、地域共通クーポンを持って早速駅に向かう。
まず行ったのは、みどりの窓口。明日使う津軽フリーパスを買おうと思ったのだが、今日だと地域共通クーポンは使えないらしい。
使えない理由は聞かないでしまったので不明だが、クーポンで買える商品や、時期が限られていることはどんな施設でもあると思うので、事前に調べておくことが大事だと思った。
気を取り直して、今度は駅ビルのお土産屋へ。お土産に絶対買おうと思っていたアップルパイと、ホテルの部屋で飲む用にりんごのサイダーを地域共通クーポンで買った。
ホテルに戻ると、さっき帰った時に冷蔵庫に入れておいたアンジェリックのケーキを取り出す。
買ってきたのは「津軽りんご」というケーキだ。箱を開けると、りんごそっくりの見た目をしたケーキが出てくる。ケーキを包む、赤いジェル状のコーティングが、蛍光灯の下でキラキラ輝いていた。ガイドブックで写真を見て、この可愛らしいケーキが欲しくなってアンジェリックに行こうと思ったのである。
フォークを入れると、ふんわりとしたチーズ風味のクリームが顔を出す。クリームの中心には、黄金色のりんごのフィリングが入っていた。口に入れると、クリームのさっぱりした酸味と、りんごのやさしい甘さが混ざり合う。1日中歩いて疲れた体に、染みわたる味だった。
続いて、同じくアンジェリックのアップルパイをいただく。パイ生地の上に薄切りのりんごを載せて焼いたタイプのアップルパイだ。
一口齧ると、食感にびっくりしてしまう。ザクザクとした固い歯応え。これはパイ生地だけのものではなかった。パイ生地の下がキャラメリゼしてあって、薄い飴を噛んでいるような、しっかりした噛み応えを作っているのだ。また、キャラメリゼは食感だけでなく、ほろ苦い焦がしキャラメルがパイ全体の味にアクセントを加えている。
インパクトがあるパイ生地とは反対に、薄切りのりんごは上品な甘さだった。上品ではあるが、パイ生地の歯応えに負けない存在感がある。焼き加減が絶妙で、りんごには瑞々しさが十分に残っていた。
アップルパイ全体が、存在感とボリュームたっぷりで最後まで食べきれず、途中でお風呂に入って少し汗をかいてから、残りを食べた。今度弘前に来たら、誰かと半分こして食べたい。
思ったよりたくさんの名所を巡り、太宰の青春時代の思い出に触れ、親切なおもてなしと共に夕飯をいただき、アップルパイとスイーツを食べまくった。想像していたより、ずっと充実した1日目だった。
参考
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