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【ショートストーリー】父が遺した手帳

段ボール箱の中にひっそりと眠る小さな黒い手帳。
それは父が遺した暮らしの記録だった。

20年前に母と離婚し疎遠だった父が亡くなった。
知らせを受けた私は遺品整理のため父の会社を訪れた。

父は会社の寮で暮らしていた。

4畳半という狭い空間には
小さなテーブルが置かれていた。

押し入れの奥に埋もれていた段ボールの中から
小さな黒い手帳を見つけた。

手帳を開くと
そこには父の日々の記録が走り書きで記されていた。

「朝、パンと牛乳」
「昼、コンビニ弁当」
「夜、カレーライスと味噌汁」
「仕事終わりにサウナ」

まるで小学生の作文のような文章。
手帳を読み進めるうちに私は胸が締め付けられるような思いがした。

父は人生を楽しんでいたのだろうか…
それとも、ただ孤独に耐えながら生きてきたのだろうか…

もう、父の本心を知ることはできない。

小さな手帳と四畳半の部屋から
父の人生を垣間みたような気がした。

私が知らない父の人生。
この時、父と私は久しぶりにつながったのかもしれない。

父の遺品整理を終え最後に寮の方々に挨拶をした。
「父がお世話になりました。」

すると父と同い年ぐらいの男性が
「お父さん、おしゃれしてスナックに行くのが楽しそうだったよ」
と教えてくれた。

情景が頭に浮かび胸が熱くなった。
父が歌う姿が目に浮かぶ。

知らない父の一面が寮の住人たちとの交流を通じて
少しずつ明らかになる。

「ありがとうございました。」そう言って頭を下げると
寮の男性は優しく微笑み返してくれた。

スナックでの楽しみ
それは父が自分なりに見つけた小さな幸せだったのだろうか。

父の人生には、私たち家族が知り得なかった喜びや寂しさがあったに違いない。


寮を出て夕暮れの街を歩く。
空は茜色に染まり風が少し冷たく感じる。

電車に乗り込み窓の外の景色をぼんやりと眺める。
電車が動き出すと手帳を取り出し表紙をそっと撫でた。

まだ読み切れていないページがたくさんある。
「家でゆっくり読もう」

電車の揺れに身を任せながら父の人生に思いを馳せた。

家に着くと手帳を机の上にそっと置いた。

最後に見た父の背中を思い浮かべる。
その背中は少し寂しげで
どこか色褪せた手帳の表紙と似ていた。

夜が更けるにつれ手帳が気になって眠れなかった。
わたしは手帳を開く決意をする。

父の筆跡に触れながら
その孤独と喜び、小さな幸せをいつまでも眺めていた。

「これが私の人生だったんだよ」
父が語りかけてくる。

手帳のページをめくりながら
父と対話を続け静かに眠りに落ちた。

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