【読書メモ】神田房枝『知覚力を磨く』03
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読書メモ
はじめに 観ているつもりで、見ていない私たち
なぜ「子どもでも気づく異常」に気づけない?
人間の胸部にゴリラのシルエットが写っているCT写真
→熟練した24名の放射線医師(28~70歳)のうち、20名(83%)が画像の異常に気がつかない(ゴリラの存在に気がつかない)
→20名のうち8名は、ゴリラに眼を向けることもしない
→残り12名は、直視していたのに気がつなかい「観てるつもりで見ていない」
肺の白い部分を細かく観察することは慣れているが、予想外のもの(ゴリラのシルエット)は近くできなかった
世界トップの医学生でさえ「見えるはずのもの」が見えていない
詳細かつ総合的に観る能力が失われかけている
米国のメディカルスクールに入学する優秀な学生
→「患者の症状を観察し、然るべき診断を下し、それを患者に伝える」能力が失われている
→結論を急いだり、テクノロジーに頼って診断しようとする
イェール大発、科学的に実証された「知覚力トレーニング」
絵画観察トレーニング
絵画で、医学生たちの「眼」と「脳」を鍛えようとする
→ごく短期間の実践であっても、知覚力アップの効果が見込めた
五感を集中させて対象を観察するとき、人間は「見えないもの」を観る
→人間の脳には「眼では見えていないもの」を補いながら観ようとする機能(マインドアイ)がある
感想
「見る」と「観る」の対比がようやくわかってきた感じがします。「見る」は「眼の機能を使って視覚情報を需要すること」、「観る」とは「眼に見えない何かを察知すること」、文章で読むことで例えるなら「行間を読むこと」ということでしょうか。
必要な情報を得るために、集中して効率的に対象を観ることの代償として、純粋に見ることができなくなっているようにも思えます。分析的に観ることは慣れていても、総合的に観る能力が失われている、とも言えそうです。
知覚力を鍛えるのに、「絵画鑑賞」ではなく「絵画観察」と言っているところが意味深です。どういったことをするのか楽しみです。