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GAFAはラグジュアリーにはなれないかも

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こんにちは、あきらかにバイトの給料が実際より多い気がする国武です(「これ絶対多いし定期できてるので交通費もいらないですよ!」といったら無視されました。優しいなあ)

今回は「GAFAはラグジュアリーにはなれないかも」というテーマで、ラグジュアリーとは何かを改めて振り返りつつ、それらの知識とGAFAを絡めてお話ししていければなあと思っております。よろしくお願いしまーす!!!


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では本題です。

まずはラグジュアリーとはなんぞやっ!と言ったところなのですが、パッと思い浮かぶのは「ルイヴィトン」だったり「シャネル」だったりですかね。

高級、お金持ち、品質が高い、希少性、、、

こういった言葉やブランドが思い浮かんできます。

ブランドとはいってもラグジュアリーと呼べないブランドもありそうで、例えば僕もみんなも大好きな「ドンキホーテ」は、流石にラグジュアリーとは言えなそう。
そのほかにも「ナイキ」。人によってはラグジュアリーだ、と仰る方もおられると思うし、正解はないのでそれはそれで最高なのですが、僕的には大好きなんだけどラグジュアリーとは思えません。

ここら辺の、ラグジュアリーか否かの曖昧な境界線には何が存在しているのでしょう。

よく言われているのは「」ですね。
そのブランドが「いつかあのブランドを身につけたい」だとか「いつかあのブランドを買えるぐらい稼いでやる」だとか、そういった夢を顧客の中に創るlことができるなら、それはラグジュアリーだと言えそうです。

ここでいう「夢」には、有名な方程式があって、それが
認知度 − 普及度
ですね

この値が大きければ大きいほど夢の力は強くなり、その夢の強さがブランドに夢を持つ人間の行動の質を高めます。

どういうことかと言いますと、例えば僕は中学でテニス部に所属していましたが、大事な大会や試合では必ず決まった帽子をかぶっていました。この帽子を被ることで、「よし、やるぞっ!」となり、いつも以上に緊張感もやる気も高まって、この心持ちがいいパフォーマンスにつながる感じがするのです。
実際にパフォーマンスの質が上がったかはよくわかりませんが、なんかそういうの、皆さんありませんか?笑
大事な場面では決まって、いつもはつけない何かを身につけて、そのことで自分を奮い立たせる、みたいな。

こういう、人間の行動の質を高めてくれるだろうと、その人が思えるもの、これもひとつラグジュアリーの定義としてありそうです。要は、ラグジュアリーは心の持ちようであり、客体ではなく主体である、ということです。

ここから見えてくることとして、ラグジュアリーはプライシングではない、ということです。
中学時代の僕のラグジュアリーは、上の定義でいくと「黒とピンクのミズノのテニス帽子」です。これを大会とかでかぶったりして自分を高めていました。しかし、この帽子は大体2000円ぐらいです。
ラグジュアリーと聞くとどうしても値段が高いもの、と定義しちゃいそうですが、どうやら価格がラグジュアリーたらしめているのではなく、それはあくまで要素の一部でしかない、ということです。

上で見たようにラグジュアリーは主体であるために、他の人からしたら理解できないものがラグジュアリーであることは往々にしてあります。
「なんであの人は鞄ごときにあんなお金を払ったんだろう」
みたいな。
しかし、そうやってエルメスのバーキンを買う女性が理解できない男性が車に何千万も払う。そして
「あの人はなんであんな高い車を買ったのかしら」
と思われる。

こうやって考えると、ラグジュアリーは他の人からしたら無価値なのだが、その人からしたらとても価値がある、超個人的な趣味であるとも定義できます。

ここまでをまとめますと、ラグジュアリーとは
1.夢
2.行動の質を高めるもの
3.他人からしたら無価値に見えるがその人からしたら何よりも価値があるもの
といった感じです。

ラグジュアリーは奥が深いので、一概に「ラグジュアリーの定義はこれだっ!!」とはいえませんが、にしても今あげた要素は結構マストかなあと思ってます。

これを踏まえた上で、今回の本題である「GAFA×ラグジュアリー」についてお話ししていきます。


GAFA×ラグジュアリー

結論、GAFAがラグジュアリーになるのは不可能でしょう。
いやいや、そこ目指してねえよ、というのは大前提ね?

なぜGAFAがラグジュアリーになれないかは結構明白で、まずGAFAのサービスを使っているからといって、行動の質が高まるとは思えませんよね?
ラグジュアリーが主体であって、人間の心の持ちようであるという観点から、科学的なデータ云々は置いといて、例えばFacebookを使ったからと言って何か僕らに行動の質を高めてくれるであろう恩恵が得られるとは到底思えません。Facebookで松岡修造さんの言葉を見てやる気があふれてきて行動の質が高まりそうだ、みたいな、GAFASが手段となって恩恵を受ける可能性はあります。ただそのサービス自体が恩恵をもたらしてくれるかというと、答えはNoです。

ラグジュアリーの定義の一つが「行動の質を高めてくれる」なら、GAFAはラグジュアリーにはなれないでしょう。そして、なぜそれらが行動の質を高めれないかというと、理由は「夢がないから」にあると思ってます。

GAFAのサービスは誰でも使えますし、みんなすでにつかっています。Appleの製品を抜くと、それらの会社の主要サービスは基本無料でつかえるので、かなり便利だし多くの人とつながることができます。
が故に、「いつかGAFAのサービスを使える人間になるぞ!」なんて夢は誰も持たないですよね。
夢というのは何かしらの高い障壁があるから夢になるのであり、誰でも無料で使えるしみんな使っているという状況は夢を創るには無理ゲーすぎます。
夢を創る力がないから、結果的に行動の質を高める能力もなくて、そこら辺が欠けているからラグジュアリーとは程遠い、ということになります。

全豪オープン決勝戦にルイヴィトンのバックでくるとか、高級時計をつけて戦うみたいなのはありそうですが、オリンピックの試合直前に自分のFacebookページにお祈りをする人はいなさそう。

やっぱり、ラグジュアリーは人の行動の質を高めるような何かを有することが、結構重要なのかなあと思いました。

ラグジュアリーは主体なものであり、心の持ちようである。そう考えるなら、「ラグジュアリーとは何か」が年齢や性別、所得や文化によっても大きく異なるでしょう。サラリーマンからしたらラグジュアリーとは程遠い「ミズノのテニス帽子」が、とある京都の中学2年生からしたらラグジュアリーになるのです。


一応ここら辺でまとめたいのですが、GAFAはラグジュアリーとは程遠いとは言ってもAppleはどうなの?と思いませんでしたか?

確かにAppleはラグジュアリーになりえるだろうし、実際高校1年生の僕は iPhoneがラグジュアリーでした。ただ、ラグジュアリーとは何かを長年研究してきた学術者のの方とルイヴィトン元社長の方がタッグで書かれた本「ラグジュアリー戦略」を参考にすると、Appleもまたラグジュアリーにはならなそうです。

ここら辺の話はぜひこの本を読んでみてください。超参考になります!


ということで、長くなってしまいましたが今回は「GAFAはラグジュアリーにはなれないかも」というテーマでお話しさせていただきました。ぜひ皆さんのご意見をお聞かせください、ではまた!

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