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Toronro Working Holiday[2]

・初日

 朝起きて、ここ外国であるということを受け入れるまでは少々時間がかかったと思う。部屋を出てもだれもおらず、明日朝いちばんに聞こうと思っていたシャワーの使い方もわからない。つまり、キッチンやその他もろもろの使用許諾が取れない状態であった。僕はまず何をするでもなくトロントの街に出かけることにした。
 トロントから公共交通機関で1時間ほどの場所に滞在しており、おそらく最寄り駅はSheppard Westという駅であったと思う。バスでその最寄り駅まで行き、Dundasという駅に向かった。そこにはEaton Centerというトロントで一番大きなショッピングモールがあった。私は、ひとまずそこに向かうことにした。
 

・乗り換え/交通機関

 トロントの公共交通機関の支払いは独特で、トークンと呼ばれるコインを3ドルで購入することで、(もしくはチャージ式のカード決済)一方向に向かう電車やバスに2時間乗り放題というシステムである。最初は慣れなかったが、2週間もするころには非常に便利で使い勝手が良かった。トロントには、路面電車も走っており、小さな移動も気軽にできた。そのように電車を乗り継ぎ、私はDundasへと向かった。

・フードコート

 巨大なショッピングモールToronto Eaton Centerに着いた僕は、その広さに驚いた。ざっとアウトレットモールのような広さの建物が、都心のど真ん中にあるようなものであった。建物の周りには、路上ミュージシャンや、ホットドッグ等の出店が出店していた。何よりも人の量が多く、一種ここは渋谷かと思わせるような雑多な感じがそこにはあった。
 地下にフードコートがあるということで、手始めにそのフードコードで自分が注文できるのかを試してみようと思った。遡ってみると、私はなぜかパッタイのようなものを食べていた。まったく何を言っているのかわからず、指をさしながら適当に”Yes””Yeah”と繰り返していたら、そのようになったみたいだ。エビが嫌いなのに、、。食べたいものも食べれない、、それはとても辛いことだった。

・英語力上達のために

 私は、この旅というか生活をハングリーに過ごしたかった。英語を学ぶという目的よりも、自分を見つめなおすために。しかし、いざ現地に到着すると、英語力は必須だった。そのために私は一つの作戦を立てた。それは、、”交換留学生風インタビュー”であった。これはどういうものかというと、カフェやフードコートに行き、「日本から来た留学生です。課題で現地の方100人に日本とカナダに関するインタビューをしています。ご協力お願いします。」というものである。これはいい作戦を思いついたぞ。ともっていた。
 実際は私のシャイな性格が邪魔して、とても大変だった。しかし毎日5人など目標を決めたり、話すごとに相手の英語が分かるようになり、自分の表現の幅が増えていくことが非常に嬉しかった。記憶に残っているのはハンバーガーがおいしいカフェにいたBECKが好きな青年と映画館のロビーにいた少年。
 前者の彼は、渡航して3日目あたりにあったはずである。バンドが好きで、日本の漫画だとBECKが好きだという。自分も大好きかつバンドをやっているんだという話をし、我々のバンドアカウント初の外国人フォロワーになったことを今でも覚えている。彼は今も我々の活動をチェックしてくれているだろうか。
 後者の少年は、一人映画館の上にあったフリースペースのようなところで勉強をしていた、インタビューをしているというと快く引き受けてくれた。私は、インタビューの項目の中に将来の夢というものを入れていた。その彼は、確か16歳。自分の家族の幸せを願っていた。父や母が元気に過ごしてほしいと。僕はそれまで将来の夢というのは自分がどうなりたいかということと、同義だと思っていた。自分の夢で他の誰かを思うこと。僕はその少年にとても感動した。そして今ならこう思う。「君は自分の幸せをねっがってもいいんだよ。」と。そういったアルバムを我々はその後2023年にリリースする。「(君が君の)幸せを願えるように」。私もその時より少しは大人になっているであろうか。


・引っ越し

 1週間の滞在が終わり、私は都心付近に引っ越しをすることになった。St.Patrickという駅が最寄だったと思う。2週間滞在の予定で、10畳ほどの部屋に2段ベッドが3つ。6人+大家で過ごしていた。いろんな人種の方がいたが快く歓迎してくれて、その晩何も言わずともビールをくれた。人っていうのは、いろんなしがらみがあるけれど一本のビールで平和が訪れるなと思った。僕はそれからずっとビールが好きだ。大げさかもしれないけど、それからずっと。その晩のことは今でも覚えている。みんなでテレビを囲み、好きな音楽を順番にかけていこうと。それを聞きながら皆踊った。私は、こんな性格だから踊れなかった。代わりにそこにたまたまあったギターを弾いた。自分が見たい景色はこれだなと思った。私は音楽を奏で、それを楽しむ人がいる。そうして今、私はミュージシャンをしている。自分が音楽を続けている一つの理由になっているだろう。


~余談~
 日本ではプロミュージシャンもしくは音楽で食っていけている人のことをミュージシャンと呼んでいるような気がする。ではそれだけでは飯が食えない人、夢見ている人はどうなるのだろう?トロントでは(もしかすると日本以外では)、みんなミュージシャンだった。それを志しているもの。音楽を奏でるものはみんなミュージシャン。それを知って僕は自分のことをミュージシャン、シンガーと胸を張って言えるようになった。それを志す者はみな、アーティストだし、イラストレーターだし、スポーツ選手だと思う。声を大にして、胸を張ってそう言える社会であってほしい。

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