フジイリク (アロワナレコード)

アロワナレコードというバンドのVo/Gtをしています。 2019コロナ前直前に行ったト…

フジイリク (アロワナレコード)

アロワナレコードというバンドのVo/Gtをしています。 2019コロナ前直前に行ったトロントのワーキングホリデーでの生活を記録します。

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Toronto Working Holiday[1]

・海外へ行く決意  当時、大学2年生だった私は、放射線学科を専攻しておりその専門的な勉学に全く興味を失ってしまい、どうしようかその後を迷っていました。  ある日、地元である福井県に帰省し、高校時代の恩師に ”知らないことが多すぎるのにそんな状態で専門的な勉強をして仕事を決めてしまうのは、何かおかしいのではないか” という旨の話をしたところ、「海外へ行ったことがあるか?」と言われた。「お前の悩みは日本から出れば解決する。」と言われた。よく聞く言葉だと思う。しかし断言してくれた

    • Toronto Working Holiday[3]

      ・引っ越し2日目  昨晩はビールをいただき、同居人のみんなと音楽を聴いていた。英語が苦手は私でも、音楽という共通言語のおかげでみんなとなじめ楽しく過ごせた。今後こういった日々を過ごしていく中で、私はだんだんと英語が聞き取れ、話せるようになっていく。あの日は6人部屋という過酷な環境の中で、ぐっすりと眠れたことを覚えている。  翌朝、目が覚めキッチンへと向かい、金がない僕は1 DOLLAR SHOPという日本でいう100均のような場所で買った10個入りのパンを食べようとしていた

      • Toronro Working Holiday[2]

        ・初日  朝起きて、ここ外国であるということを受け入れるまでは少々時間がかかったと思う。部屋を出てもだれもおらず、明日朝いちばんに聞こうと思っていたシャワーの使い方もわからない。つまり、キッチンやその他もろもろの使用許諾が取れない状態であった。僕はまず何をするでもなくトロントの街に出かけることにした。  トロントから公共交通機関で1時間ほどの場所に滞在しており、おそらく最寄り駅はSheppard Westという駅であったと思う。バスでその最寄り駅まで行き、Dundasという

        • 結晶

           赤坂レッドシアターにて機会ありまして劇団5454さんの「結晶」という作品を観劇しました。久々に舞台というものを見ましたが、純粋に120分楽しみました。  自分が最近考えていた「母性」と逆に「子供からの両親への愛」。見事に考えていたテーマが一致していて、新たな目線で思考できました。それに加えて、近代的な技術。これも気になるところで、AIや、人工授精、その他多数ありますが科学技術の進歩によっての便利すぎる社会。最近、我らはどんどん思考することをやめて、利益、不利益で行動してい

          制限、自由、工夫

           天気雨が去ると、また蝉の声が聞こえてきた。「雨止んだぜ」と雨宿りをしていた子供達は、片手に虫取り網、もう片方にゲーム機。自分の子供の頃はバットにグローブだったなと思った時、ここは東京だと思い出した。公園にはデカデカと、球技禁止の文字。可哀想だなと思いながらも、彼らの想像力にかかれば、そんなことは何ら関係のないことなんだろうなと思った。  最近子供の関わる機会が増えている。子供嫌いだった(苦手だった)自分が、と考えると驚くべきことである。彼らは本当に自由で、泣いたり、笑った

          シーモア•グラース

           常に何かを考えている。バスに乗った老人の行先や、乳児が発する知らない言葉の真意、争い、1週間前に期限を過ぎた公共料金。思考がうるさいなと常に思っている。そこにさらに追い討ちをかけるように、様々なことが降り注ぐ。”もう何も考えたくないな”と考えている。そうやって暮らしが続いている。何も変わらない毎日に、自身の感情だけが右往左往している。  ある一冊の本を読んだ。J•D•サリンジャーのナイン・ストーリーズ。その中から特に「バナナフィッシュにうってつけの日」この中での主人公の名

          愛の行先

           人々はまたラブソングを聴いている。愛する人と共にいる幸せ、出会い、別れ。私はそれをすごく嘘くさいなと思った。恋愛というものに希望を持つことは至極当然のことなのだが、一方それは、人間の醜さが顕著に現れてしまうものでもある。そのような醜さや汚さがが沈澱し、綺麗な上澄みだけを啜るようなものは存在しない。しかし世に溢れる無数のラブソングはそれだと思った。今までラブソングを好きになれなかったのは、そういった理由がある気がした。  終わりと始まり。それは物事を考える上で、私が常に大切

          ロープウェイを下る頃には

           先日すごく楽しいことがありまして、その内容自体はまた後日話そうと思いますが、そのことを終えて時計は22時30分を指しておりました。私はその高揚を抑えられず、いや抑えたくなかったの方が正しいでしょうか、酒を煽りたかった。しかし今はこんな世の中、軽く酒を片手に家路につきました。この時思い出したのです。以前の馬鹿騒ぎした友達との飲み会終わりのテーブルの虚しさを。 そこには、言葉で表現してはいけないような何かが存在する気がした。そしてあの楽しいひとときの中に、必ずロープウェイを下

          ロープウェイを下る頃には

          蘇れ!

           自分は歌詞を書くのがかなり苦手だ。それは話の構成が苦手なのに少し似ているかも。ちょっと前までは「どんなことを歌おうかな」なんて考えながら歌詞を書くことが多かったのだが、最近は昔を思い出したら未来を想像したり、なんか基本自分中心の世界と自分とは乖離した世界の両極端の中から共通点を引っ張ってくるような、そんな作業をしている。  そこで過去に思い耽るとふと気づくことがある。例えば昨日食べた町中華の麻婆豆腐がめちゃくちゃ美味しかったとする。もうなんか人生で一番美味しかったくらい。で

          愚行

          人々が外を歩いている。私はバスに乗り窓の外を眺めた。なんだか皆が何食わぬ顔をして仕事に向かう様を見て吐き気がした。自分もその中の1人だ。犬を連れた人、手を繋ぐカップル、上司と部下、そういった関係性が蜘蛛の糸みたく脆く、そんな弱っちい縛りから誰も逃げられない気がした。

          いつかは死んでしまうことを

          2021.3.29  故郷は福井県に帰省いたしました。 いまだに我が家の犬の鳴き声が聞こえないことにはなれず、続く日常がそこにはありました。 福井駅前は大掛かりな工事をしており、新幹線開通に向けて着々と進んでおりました。思い出の中の故郷とは形は変わっているけれども根っこは変わらないことを「人」を見て思いました。  街を歩くと、堤防沿いの桜並木や、小さいトンネルの通学路、行きつけの定食屋など思い出の地があり、この景色もいずれなくなることを感じました。全て忘れてしまうから。景色

          いつかは死んでしまうことを