見出し画像

独メディア掲載インタビュー「シリンジをめぐる戦い:日本のHPVワクチン問題」

10月31日、さまざまな分野で行動・活躍する女性について女性記者が報告する独メディア”Die Korrespondentin(ドイツ語で「女性記者」の意)”に掲載された、わたしのインタビュー記事(京都在住、エヴァ・キャスパー筆)を翻訳したのでご覧ください。

「シリンジをめぐる戦いー日本のHPVワクチン問題」

HPVワクチン接種は子宮頸がんを予防し、世界中で多くの女性の命を救っている。2013年、日本ではワクチン被害に関する報道が衝撃を与えた。医師でありジャーナリストでもある村中璃子は、事実を明らかにしようとしたが、そのために高い代償を支払わなければならなかった。

村中氏もはじめて動画を見た時には、こう思ったという。

「いったい何が起きているのか?」

動画には、発作を起こしてうまく歩けないという少女たちが映っており、ワクチンが原因だと言われていた。2013年、日本では命を救うはずのワクチンをめぐるスキャンダルが始まった。HPVワクチンへの信頼が長期にわたって損なわれ、予防できる多くの死を招くことになった。

政府は12歳から16歳の女児を対象にサーバリックスとガーダシルの2種類のHPVワクチン接種を推進してきた。2013年4月、HPVワクチンは定期接種となった。当時の接種率は70%を超えていた。携帯電話で撮影された少女たちの副作用だという動画が出始めたのもこの頃のことだ。

日本のメディアはこの話題に飛びついた。ワクチン薬害のニュースは全国を駆け巡り、多くの人々を深く不安にさせた。少女たちの症状がワクチン接種によるものであるという科学的な証拠はなかったが、日本政府はわずか2ヶ月で接種勧奨を取りやめた。その結果、接種率は1%未満に落ちこんでしまった。

「すべては誤解だった」

村中璃子氏は医師でありジャーナリストである。スキャンダルが始まった時、村中氏は世界保健機関(WHO)に勤務しており、マニラでの任務から戻ったばかりだった。村中氏も最初はビデオにショックを受けた。しかし、その後、彼女は自分自身で情報を得る。WHOの同僚に話を聞き、専門家にインタビューし、データを分析し、「ワクチン接種と少女たちの症状には何の関係もない」との結論を出した。では、これをどう説明するのか?

村中氏は言う。背景には、個人から社会のレベルにまでさまざまな心理的要因があり、「すべては誤解だったのです」と。

科学とデータは村中氏の発言を裏づけている。HPVワクチンの安全性は確立しており、2006年に初めて承認された。WHOによれば、世界125カ国が女子に、47カ国が男子に同ワクチン接種を推奨し、世界ですでに5億回以上接種されている。ほかの多くの予防接種と同様、注射部位の痛み、発赤、腫れ、頭痛や筋肉痛、発熱、胃腸障害、めまい、疲労感などのなどの軽い副作用が起こることがあるが、アレルギー性ショックはまれだ。

ところが、2016年3月、日本のHPVワクチン・スキャンダルはさらなる広がりを見せることになる。 信州大学(松本市)の神経科医である池田秀一氏は、政府から委託された専門家としてHPVワクチン接種による副作用の可能性について研究を行っていた。彼はメディアおよび厚生労働省で、マウスの脳の画像を見せ、ワクチン接種が脳の破壊に関与したと発表したのだった。画像に疑問を持った村中氏は、池田氏にフォローアップの問いあわせ行ったが、池田氏は論文投稿中だと言って、詳しい研究内容を教えてくれなかった。

ところが、独自の調査の結果、村中氏はこの実験についての重要な事実を知ることになる。

「脳の画像はたった1匹のマウスの実験結果でした」

疑惑のマウス実験

科学の世界では、偶然に起きたことを因果と誤認してしまうことを排除するため、実験を繰り返し、再現性を確認することが標準的な手法となっている。

この実験には更なる問題があった。マウスはHPVワクチンを直接投与されたわけなく、2,3か月の間、飼っているだけで自分の体の組織を異物と誤認して攻撃してしまう自己抗体が勝手に作られる特殊なマウスを用い、自己抗体が含まれている血清を噴霧したのだった。

村中氏はその事実を日本の月刊誌『Wedge』に、「薬害の証拠の捏造だ」と書いた。これに対し池田氏は、村中氏を名誉棄損で訴え、損害賠償を求めた。彼の言い分はこうだった。

「自分は研究員が実験して作成したデータを引用して発表しただけで、捏造はしていない」

長い法廷闘争が始まった。その間、反ワクチン活動家たちからの攻撃、メールや電話、ソーシャルメディアを通じた脅迫が続いた。メディアは彼女との仕事を止め、彼女は日本を離れてドイツに行くことを決意した。信州大学も池田氏の研究発表について調査を行い、「マウス実験の結果はワクチン被害の証拠にはなっていない」との結論を出したが、池田が捏造を行ったことについては認めず、厳重注意をするに留まった。

反ワクチン活動家からの誹謗中傷を受け、メディアからは無視される中、村中氏は2017年、攻撃や批判に直面しながらも事実に基づいた科学を提唱する人々を称える、ジョン・マドックス賞を受賞した。この賞は英国の慈善団体「センス・アバウト・サイエンス」が学術誌『ネイチャー』と共催して授与する国際賞だ。

その間、名古屋市による大規模な疫学調査も「HPVワクチン接種と、反ワクチン団体が副反応だと主張する症状との間に因果関係を示す証拠はない」という結論を出した。

しかし、日本政府はまだ勧奨を再開することを差し控えていた。

法廷での敗北


裁判は難航していた。日本では被告人である村中氏が立証責任を負う。しかし、池田氏は最後までデータの引き渡しを拒否していた、と村中氏は言う。最近ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏をはじめとする著名な科学者たちも村中氏を支援した。

にもかかわらず、2019年、東京地裁は池田氏を支持し、ジャーナリストと雑誌『Wedge』に2万1000ユーロ相当の罰金を科すとの判決をくだした。村中氏は控訴を望んだ。しかし、同誌は全額を支払い、謝罪し、記事から問題となった文章を削除した。こうして池田氏の要求は満たされ、村中氏は控訴する権利を失った。

それでも、村中氏はこの裁判には実質上、勝ったと感じているという。池田はお金と謝罪を手に入れたかもしれないが、科学者としての評判と名誉を失った。池田氏は現在、大学を辞め、個人医院を開業している。優れた医師で研究者だった池田氏は、「日本の反HPVワクチン運動の支柱」となった、と村中氏は語った。

日本政府、HPVワクチンの積極的接種勧奨を再開

2022年4月、日本政府は8年10カ月に及んだ勧奨差し控えの方針を改め、HPVワクチンの推奨を再開した。村中はこれを方針の変更ではなく、そうすべきだと最初から分かっていた方針を確認しただけと見ている。そして、もっと早く推奨を再開していれば、もっと多くの病気や死が避けられたはずであるとも。

2020年、権威ある学術誌『ランセット』に掲載された研究でも、日本におけるHPVワクチン接種率の低下は、2013年から2019年の間に子宮頸がんによる日本人女性の死亡者数を5,000人から5,700人増加させる可能性があると結論づけている。

村中氏は、「政府が本気でこうした命の損失を防ごうと思うのであれば、諸外国と同様、HPVワクチン接種の学校接種を行うべきだ。そのことで接種率が向上するだけでなく、人々のワクチンに対する信頼も回復する」と話す。

とはいえ、日本におけるHPVワクチンをめぐるドラマは、まだ完全には終わったわけではない。

村中氏は京都の同志社大学の客員教授となったが、現在でもドイツでの生活を余儀なくされている。ワクチン被害を訴える人たちの集団訴訟はまだ続いている。村中氏によれば、原告の何人かは訴えを取り下げ、ワクチンへの敵意は薄れつつあり、新型コロナパンデミックを機に反ワクチンに対する懐疑的な見方が強まった結果、コロナワクチンの接種率は世界有数にまで上がったが、HPVワクチンの接種率は回復しないままである。

村中氏はワクチンの信頼を守るために多くの犠牲を払わなければならなかった。しかし、村中氏は、それだけの価値はあったと信じている。もし彼女や他の医師たちが声を上げなければ、日本政府が再びHPVワクチンの接種勧奨を再開するまでにはもっと時間がかかっただろう。そして、将来、子宮頸がんで亡くなる女性の数はもっと増えることになっただろう。

ここから先は

0字

医学に関するデータやその解釈をいつも最新にアップデートしておくことを通じて命や健康を守りたい、という方に強くおススメできる定期購読マガジンです。

noteでわたしが書く記事が大体ぜんぶ読める基本のマガジンです。継続的に執筆を応援してくださる方、わたしの書いた記事を大体ぜんぶ読みたい!…

内容の詰まった記事を更新していきます。「文系女医の書いて、思うこと。【スタンダード】」とだいたい同じ内容ですが、こちらを購読して応援していただけるととてもうれしいです。

「文系女医の書いて、思うこと【プロフェッショナル】」はわたしが書くすべての記事を読みたいという方、定期購読で応援してくださる方向けです。執…

わたしの書いた記事や科学・医学のニュースのまとめを適当にセレクトしてちょこっとお届けするマガジンです。わたしがnoteに書いた記事をぜんぶ…

正しい情報発信を続けていかれるよう、購読・サポートで応援していただけると嬉しいです!