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『新しい自由論』前書き全文公開

残暑お見舞い申し上げます。ことしのお盆は、いかがお過ごしでしょうか。

きょうはこちらのnoteから、村中璃子著『パンデミックを終わりにするための 新しい自由論』(2023年5月、文藝春秋社)より、前書き「難民列車に乗ってーはじめに」を全文公開します。

夏休みの1冊に、ぜひこの本を。

難民列車に乗ってーはじめに


 
 パンデミック宣言から丸二年が経った二〇二二年三月十一日、わたしはドイツの首都ベルリンに向かう、ひどく混雑した列車に揺られていた。
 ヨーロッパの二等列車は指定席と自由席の車輛に分かれていない。座っていきたい人はあらかじめ料金を払って座席を指定し、座席指定をしていない人も空いている席があれば座ることができる。プラハ中央駅のホームからベルリン往きの電車に乗り込むと、デッキまで溢れた人が床に座っており、苦労して中に入ると、指定していた席には五歳くらいの男の子を抱いた若い男性が座っていた。
 
「この席を指定しているんですが……」
 
 英語もドイツ語も通じない。
 よく見ると、男の子の父親かと思った男性の顔にはあどけなさが残っていた。十五歳くらいだろうか。横の四人掛けにいた前歯が金歯の高齢女性が何かを捲まくし立てるように言うと、少年は男の子を連れ、表情ひとつ変えずに後ろの四人掛けの方に行ってしまった。
 そこにはすでに子ども四人と大人二人が座っていた。
  座席の数以上の人で埋まっているのはそこだけではなかった。客の大半が子どもで、どの四人掛けにも六人から八人は座っている。それなのに、網棚に載っている荷物はほとんどない。時どき、ちょちょこんと載っているのは毛布だけだ。
 
 ウクライナから戦禍を逃れてきた人たちだった。中には生後二日の子どもを連れた女性もいた。女性は「生まれたばかり」と表現するよりは「産んだばかり」と表現する方がしっくりくる赤ちゃん以外にも二人の子どもを連れていた。一緒にいるのは斜向かいに座った女性の母親らしき年配の女性だけで、子どもたちの父親らしき年代の男性はいな
かった。 
 
 二〇二二年二月、ロシアがウクライナに侵攻した。グーグルマップで検索をかければ、ハンブルクからウクライナ国境までは列車で十四時間、距離にして一四〇〇キロ。わたしの生活圏から遠くない、東京から鹿児島くらいの場所で戦争が始まっていた。デッキには、中欧から東欧にかけての長距離国際列車の接続を示す鉄道路線図が貼ってあった。路線図の北西の端はわたしの住むハンブルク、北東の端はウクライナの首都キエフだった。わたしの乗った列車は、ウクライナに隣接するハンガリーからチェコを経由してドイツへ向かう国際列車だった。ドイツ政府は、ロシアの侵攻が始まって以降、ウクライナのパスポートを持つ人に、チェコやハンガリー、ポーランドといった近隣諸国からドイツへの国際列車のチケットを無料で提供していた。
 
 二〇二一年の夏頃から、わたしは各国の新型コロナウイルス対策を追うことを通じて、自由や民主主義について真面目に考えようという青臭い取り組みを始めていた。

 最初に注目したのは、特にアメリカや中国で顕著な「パンデミック対策はウイルスとの戦争である」という考え方や取り組みだった。パンデミック対策と戦争は、国を挙げて行う必要があるのと同時に、国民の自由や権利を制限しなくてはならない場面が出てくるといった点で似たところがあった。
  欧米各国は、行動制限やワクチン接種の義務化を自由権の侵害だと主張するデモに手を焼いていた。

 では、国は国民との間にどうやって合意を取り付け、政策を進めていくのか。つまり、民主主義はそこでどのように機能するのか。
 わたしの関心はそこにあった。

  パンデミック対策を戦争と呼ぶのであれば、ウイルスと戦うためのワクチンは軍事兵器と同じ位置にある。各国がワクチンをどのように手に入れ、使っていくのかにも興味があった。
 
 もちろん、こうしたことに関心を持った背景には、国が国民の行動を制限するのではなく、国民が国からの要請で「自粛」するという、極めて独自の方法で新型コロナを抑えようとした日本の存在があった。一九四五年の第二次世界大戦敗戦以来、戦争や全体主義を想起させるような政策は民主主義に反するとして、すべて排除してきた日本らしいやり方だった。国産ワクチンの早期開発は実現せず、東京五輪という大国際イベントを控えながら、外国産のワクチンの確保にも出遅れ、集団接種に消極的だったのも独特だった。
 
 ところが、二〇二二年二月、ロシアとウクライナとの間に本物の戦争が始まると、パンデミック対策をウイルスとの戦争とする考えも、行動制限やワクチン接種は自由や民主主義を侵すものという考えもとたんに空虚で薄っぺらな話に思えて、はたりと筆が止まってしまった。
 
 同じ頃、それまでドイツでは毎週のように行われていた反ワクチンデモも止まった。それまでは毎週のように反ワクチンデモを取材していたわたしも成り行きで、ロシアのウクライナ侵攻に抗議するデモに参加することになった。デモは親の世代のもの、一部の活動家市民のものだと思っていたし、取材することはあっても参加したことはなかった。人生で初めて参加するデモが、反戦デモだとも思っていなかった。テレビでは連日、破壊された街や家族を失って涙を流す人々の映像が流れ、ツイッターでは死体の山の写真が拡散するようになった。コロナ一色だった世界は、突然ウクライナ一色になった。
 
 プラハから難民列車に揺られて二週間後、ロシアとの航空制裁合戦に伴う二度の欠航を経て一年半ぶりに日本に帰国したわたしは、日本でもこの戦争への関心が驚くほど高いことを知った。日本とウクライナは八〇〇〇キロ離れているにも関わらず、同じロシアという国との間に領土問題を抱えていた。
 
 日本では、ウクライナ戦争のニュースに触れるたび、ヨーロッパとの扱いの違いに驚かされた。ヨーロッパでのウクライナの評判は、政治も軍隊も汚職と腐敗にまみれ、民主主義が機能しているかどうかも相当に怪しいというものだった。ウクライナ人と聞いて思い浮かべるのも、安い労働力、清掃員、売春婦、麻薬や武器の売人といった具合で、決してよいものではなかった。ところが、日本におけるウクライナは、れっきとした民主主義国家で、ヨーロッパの一員ということになっていた。

 この戦争も、日本では、独裁国家のロシアが民主主義国家のウクライナに侵攻したという単純な構図で捉えられていたが、ヨーロッパでは、ロシアとウクライナは共にソビエト連邦が分かれてできた国であり、両国の戦争は、「隣の親子喧嘩」に過ぎなかった。「民主主義を守るために団結してウクライナを支援する」というのは建前で、本音は「喧嘩の飛び火はごめんだ」というだけのことだった。新型コロナ不況に重ね、押し寄せる難民や物価高、エネルギー問題といった「飛んでくる火の粉」が目下の課題だった。こうしたウクライナの扱いは、EU(欧州連合)入りを果たし豊かな国となっていたチェコやハンガリー、ポーランドなどといったウクライナ近隣の東欧諸国でも同じだった。

  その上、日本がやったことと言えば、小規模な難民を受け入れ、ウクライナの地名、たとえば、キエフをキーウ、チェルノブイリをチョルノービリなどロシア語読みからウクライナ語読みに変更するといった表面的なことだけだった。同じ隣国の始めた戦争とは言え、ロシアと海を挟んで隣り合う日本の危機感は、ロシアと陸続きのヨーロッパとは比べ物にならないほどささやかなものだった。
 
 先に述べたとおり、日本では終戦以来、戦争や全体主義への反省としてそれらを想起させるものを排除し、国家が個人に対して力を及ぼす範囲を狭めてきた。しかし、そのことが、どんな場合でも国が個人の自由や権利を制限することを極めて難しい状況にしてしまった。対照的に、戦後も「何者かとの戦争」という緊急事態のシナリオをリアルに想定し続けてきた欧米では、個人の自由や権利は時として制限されることもあるという考え方に、ある意味で寛容なところがあった。

  ただ、欧米では、政府が国民の合意を得るための民主主義的なプロセスを非常に重視する。民主的な方法で強制のためのルールを定め、それを行使するのが「欧米式」だ。一方の日本では、国が個人の自由や権利を制限するつもりは端はなからない。国が個人の自由や権利を制限することは、どんな場合でも例外なく民主主義に反するとして、話が止まってしまうのだ。だから、同じ民主主義国家と言っても、国や国民を守っていくためのプロセスに関心が集まることもない。

 そのことは、パンデミックという「ウイルスとの戦争」においても、国が主体となって国や国民を守るための対策を講じることを非常に難しいものにしていた。そして、行動制限にせよワクチン接種にせよ、「自粛」や「努力」という、一見、国民が主体的にやっているかのように見える形で実施したからこそ、その必要がない場面でも、その必要がなくなった場合でも、国民にそれをやめさせる方法が分からなくなってしまった。

  国民との合意の上で決めた強制のルールを国が行使する、という形を避ける「日本式」パンデミック対策のバックボーンとなっているのが、一九九〇年代に大幅に改正された二つの法律だった。一つは、人権への配慮を謳った「感染症法」、もう一つは、ワクチン接種の目的を社会防衛ではなく個人防衛と改めた「予防接種法」だ。これらの法は、現在でも日本の感染症対策の足かせとなり、新型コロナパンデミック対策も効率の悪いものにしていた。
 
「個」が過剰に重視されているのは日本より欧米ではないのか、と言う人もいるだろう。欧米では個人の権利意識が肥大化した結果、パンデミックという緊急時においてさえ、ワクチンやマスクなどに反対する大きなデモが起き、感染爆発を抑えきれなかったのではないか、と。
 
 しかし、現実はむしろその逆だ。国が個人の自由や権利に触れるのを極端に恐れるようになった結果、ただ嵐が去るのを待つだけで、パンデミックをコントロールすることも終わらせることもできなくなっていたのは日本の方だった。
 
 二〇二二年、バカンス客が大量に移動する夏が過ぎ、秋に入って気温が下がり始めると、新型コロナウイルスは例年どおり再拡大を始めた。ところが、これまでどおりなら次の春まで増加を続けるはずのドイツの新規感染者数は十一月中旬、減少に転じた。それだけではない。人工呼吸器などの集中治療を必要とする重症者病床数も、パンデミック前の二〇一九年冬以降の期間で最低のレベルにまで減少した。

  こうした状況を受け、メルケル政権でドイツの新型コロナ対策のトップを務めたクリスティアン・ドロステン氏は二〇二二年十一月、独「ツァイト」紙のインタビューに答え、「人口の七〇%でも八〇%でもなく、ほぼ一〇〇%がワクチンと感染により何らかの免疫を獲得したのだろう。パンデミック終息の兆しが見える」とコメントした。
  クリスマスの帰省がリターンラッシュを迎えた十二月二十六日、ドロステン氏はメディアのインタビューに再び答えてこう言った。「コロナはもはや風土病に過ぎない」

 ドロステン氏が初めてパンデミックの終わりについて言及した二〇二二年十一月下旬、日本では新型コロナウイルス流行の「第八波」に入ったとの報道があった。ドイツと同様、日本の医療現場からも「院内クラスター(集団感染)が出ても重症化する人が減った」という声が聞こえていた。しかし、かねてからの課題だった軽症者の受診を抑制する対策がとられることはなく、むしろ発熱外来を作ってこれに対応しようとした。インフルエンザの同時流行も相まって発熱外来はあっという間にパンク状態になった。

  その頃までにドイツを含む大方の国は、発熱患者をいちいち検査することも新規感染者の全数把握もやめ、サッカーのワールドカップで観客がマスクを着けていない映像が流れたことを機に中国ですらゼロコロナ政策も全数把握もやめていた。それでも、日本はマスク着用を継続し、律儀に感染者数を報告し続けるなど大方の方針に変更はなく、その後もパンデミックが始まって以来、最高となる死者数を何度も更新し、数週間にわたって世界第一位のWHO(世界保健機関)への新規感染者報告国となるなどの状況が続いた。
 
 本書は、感染症から国家や国民を守っていくためには何が必要なのかについて、パンデミックに揺れた日本と世界を通じて考える本である。同時に、パンデミックのような緊急事態における自由や民主主義の価値や意義といったものについて考える本でもある。
 
 ワクチンをすり抜けて感染するデルタ株の出現以降、「人口の七割がワクチンを接種したらパンデミックは終わり」という、古典的な意味での集団免疫戦略は崩壊した。それでも、ウイルスと戦うための兵器であるワクチンを駆使し、反対デモに苦しみながらもパンデミックを〝終わらせるため〞の出口を模索した欧米諸国が得たものは何だったのか。ワクチンが登場してもどんな変異株が流行しても対策をほぼ変えず、マスク・自粛・鎖国といった行動制限でパンデミックが〝終わる〞のを待った日本は、次の危機が訪れても国と国民を守り抜くことができるのか。
 
 戦争とのアナロジーから感染症対策を考えるという初心に返り、その解を求めていくためにも、まずは国策として進められてきた感染症対策の世界史を遡っていくことから始めたいと思う。それを踏まえると、感染症対策と軍事は実際にも関係が深く、日本が戦前には何を持ち、敗戦を機に何を失ったかが分かると思うからだ。 

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続きは、ぜひ本書で!
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