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復興支援のボランティアニーズは残っているのか?|立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト【第2弾・前編】

「令和6年 能登半島地震」において大きな被害を受けた石川県七尾市和倉町(和倉温泉)を拠点とし、同地域の復旧・復興に向けた支援活動に取り組む「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)」ですが、第1弾(7月1日〜3日)の活動に続き、今回は第2弾として、8月16日(金)〜21日(水)の5泊6日で活動してきました。

前回は、本学の卒業生が経営する老舗旅館「加賀屋」と連携し、旅館「加賀屋姉妹館 あえの風」で活動しましたが、今回も立教大学のつながりから、卒業生が経営するもう一つの旅館「多田屋」で活動した他、活動範囲をさらに広げ、観光協会や寺院・神社、観光名所の公園などでも、それぞれのニーズに合わせた活動を実施しました。

本記事では、前半の活動(初日〜3日目)についてまとめております。
学生の声も合わせて紹介していますので、ぜひご覧ください!

※本記事で扱う活動の前半部分[8月16日(金)〜18日(日)]については、立教大学ボランティアセンターの公式YouTubeチャンネルにて、ダイジェスト動画を公開中!


立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト【第2弾】について

立教大学ボランティアセンターでは、「令和6年 能登半島地震」において大きな被害を受けた石川県七尾市和倉温泉を拠点とし、同地域の復興に向けた支援活動に取り組む「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)」を立ち上げました。

第1弾の活動は、同地震発生のちょうど半年にあたる7月1日(月)から3日(水)までの2泊3日で実施しました。
その様子は以下の記事で公開しておりますので、ぜひご覧ください。

活動範囲を和倉温泉全体へ広げていく

前回(第1弾)の活動では、初めて学生たちが現地で活動するということもあり、本学にとって縁の深い「株式会社加賀屋」にボランティア受け入れをしていただき、「加賀屋姉妹館 あえの風」での備品運び出し作業に取り組みました、今回(第2弾)もその活動の続きを実施する予定で準備を進めていました。
ところが、その作業が当初の想定以上に早く進んだということで、「あえの風」での活動は白紙に。
立教チームとして貢献できたことはほんの僅かでしたが、復旧・復興に向けて少しずつ前進していることがわかり、嬉しく思います。

ただ一方で、「立教チームとしての活動先がなくなる」ということが分かったのは、プログラム実施の直前。大ピンチです。
無理やり”ボランティアのために”活動内容をつくっていただくようなことでは、支援というより、むしろ現地に負担とご迷惑をおかけしてしまうようなおせっかいになってしまいます。
あくまでも私たちが目指しているのは、現地のニーズに寄り添った支援活動であるため、どのように活動先を調整すれば良いかすごく悩みました。

そこで、現地視察の段階からお世話になっている「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」の方々とオンラインで打ち合わせをさせていただき、現地活動のコーディネートを急遽お願いすることに。
最終的には、復興支援のボランティアニーズを踏まえて、複数の活動先を調整いただき、無事にプログラムデザインが完了。
「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」の方々のおかげで、現地に向かう準備が整いました。

このプログラムでは、「和倉温泉地域全体の復旧・復興に貢献すること」を目指していますが、結果的に「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」の方々のおかげで、縁の深い「加賀屋」から支援活動先をさらに広げることになり、これまで接点のなかった様々な場所で活動することになりました。
これは嬉しい誤算で、本プロジェクトにとっても大きな一歩となりました。

第2弾の参加メンバーを募集!

募集ポスター

第2弾の活動では、それぞれの都合や希望に応じ、「A日程(全日程参加・5泊6日)」「B日程(前半日程参加・2泊3日)」「C日程(後半日程参加・3泊4日)」から参加日程を選択して、応募できるようにしました。

最終的に33名の応募があり、そこから選考を経て参加者19名が決定。
メンバーの中には、過去に学外のプログラムを通して能登での支援活動を経験していた学生もいましたが、大半の学生が災害ボランティアの未経験者でした。
しかし、それぞれに強い思いをもって参加しており、石川県出身の学生や観光客として和倉温泉を訪れたことのある学生、学部の授業で七尾市役所の方とつながりのある学生などもいました。


事前学習

第2弾の活動では、参加必須となっている「事前学習」の機会を2回設定しました。
この事前学習では、現地での活動に向けて、プロジェクトについての理解を深めたり、チームビルディングをしたり、一人ひとりの思いがプロジェクトの活動と結びつくように個人目標を設定したりしました。

事前学習①(第1弾の参加学生による活動報告会)

初回の事前学習は、7月30日(水)に実施した「第1弾の参加学生による活動報告会」に設定しました。
そもそも第1弾の参加学生が企画・運営したこの活動報告会は、単に成果や課題を報告するだけでなく、第2弾への引き継ぎも兼ねて実施したため、先に現地で活動した学生たちから語られる情報は、参考になるものばかりです。実際に現地での活動に関わる質問がたくさん共有されていました。

池袋キャンパスで実施した活動報告会の様子

事前学習②

8月5日(月)に実施した2回目の事前学習では、参加メンバーの顔合わせから始め、プロジェクトの目的や活動の軸、現地の活動スケジュール・活動内容・持ち物などの実際に活動に関わる詳細情報の共有や、現地でも使用するオンラインツールの活用トレーニングなどを実施しました。

プロジェクトの目的と活動の軸

プロジェクトの目的は、前回と同様、「令和6年能登半島地震における災害被災地の復旧・復興に、⽴教チームとして貢献すること」です。
参加する学生にとって、被災地が学びの場になることは間違いありませんが、学生の学びのために被災地があり、被災者がいるわけではありません。
あくまでも私たちは、被災地の復旧・復興が実現するように取り組んでいくのだということを、共有しました。

また、活動の軸においても前回と同様で、「被災“地”の支援を通して、被災者を支援すること」「現地の声に寄り添い、現地の方々と共に復旧・復興に取り組んでいくこと」「⽴教チームとして、活動者が次の活動者へバトンを引き継ぐことで、継続的な支援を実現すること」の3つを設定しています。

第2弾の活動で求められること

加えて、今回は直前に「作業の進捗の影響でボランティアニーズが解消され、当初予定していた活動がなくなる」ということがあったため、「現地においてボランティアニーズは今もなお残っているのか」を確認することの必要性も感じていました。

そこで参加メンバーとは、今回の活動で「現地の方々の声から、復興支援としてのボランティアニーズの掘り起こしが求められること」、「ボランティア受け入れ先が大幅に減少する中、本当にボランティアが求められていないのか(=プロジェクトを終えていいのか)を見極めたいこと」を共有し、現地での活動に備えていきました。

事前学習の最後は、災害ボランティアや今回の「令和6年 能登半島地震」について知っている情報・現在持っているイメージなどをお互いに共有したうえで、今回の活動における個人目標を設定。
現地での活動に向けた準備が完了しました。

いよいよ被災地での活動が始まります。

事前学習②の様子。手前がA日程、奥がC日程のメンバー。

〜初日:8月16日(金)の活動〜

金沢駅で集合。そこから、みんなで和倉へ。

初日は、金沢駅にA・B日程のメンバー(学生14名+ボランティアセンター長+ボランティアコーディネーター)が集合し、そこからみんなで「特急かがり火」に乗車して、和倉温泉駅まで移動しました。
その後、バスに乗り換えて、宿泊先である旅館「宝仙閣」に到着。荷物を置き、いよいよ現地での活動がスタートです。

活動先となる「青林寺」「信行寺」へ

初日の活動は、主に翌日・翌々日の活動先である「曹洞宗 青林寺」「真宗大谷派 信行寺」へのご挨拶です。
「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」の方にご案内いただき、各所に伺って、作業内容や必要な持ち物・服装などの確認を行いました。

「青林寺」では、濱田住職からお寺の歴史や今回の地震による被害状況についてお聞きしました。建物が「国指定登録有形文化財」となっているが故に、小さな被害でも自分たちで修理することができない(専門チームが対応する)など、なかなか復旧が進まない現状があるようです。
実際に、御便殿の柱が横にずれていたままになっていたり、襖が歪んでいたりする様子を見させていただきました。

濱田住職からお話を聞く学生たち
御便殿内の状況を説明する濱田住職

和倉温泉の景観からみる震災の爪痕

「青林寺」「信行寺」を後にしたメンバーは、周辺地域を歩きながら今回の地震による被害状況を確認しました。
学生たちは、事前に震災前の町並みを調べてきていましたが、その景観との違いや被害の大きさ、そしてその被害が地震の発生から半年以上経った今でもそのままの状態で残っていることについて、驚いたり心を痛めたりしている様子でした。

修繕された道路もあれば、被害がそのままになっているところも
地面に大きな歪みが生じている沿岸部

地域を歩いていると、建物の壁が剥がれかかってグラついていたり、電柱が折れ曲がっていたりと、今後落下や倒壊などで新たな被害が生まれるような状況が多々ありました。

被災地でのボランティア活動では、二次災害に巻き込まれないように「危険を予測し、回避する」ということが欠かせません。
しかしそれは、災害ボランティアの活動先(作業場所)に限らず、何気なく地域を歩くという場面においても同様にそれが求められること、それほどにこの地域の方々の日常が危険と隣り合わせにあり、震災前の日常とかけ離れていることを実感しました。

折れ曲がったままになっている電灯

被災した飲食店が集まる「屋台村」へ

宿泊先である「宝仙閣」での夕食後は、被災した和倉温泉周辺の店舗が集まって営業している「和倉温泉屋台村」へ。

ここでは、この日の活動に同行していただいていた本学教員の声かけにより、立教大学の卒業生で和倉温泉にある旅館「多田屋」を経営する多田健太郎社長とお話しする機会をいただきました。

写真右端に写っているのが、立教タオルを首にかけて来てくれた多田社長

4日目(19日)には「多田屋」での活動を控えていますが、B日程のメンバーは3日目(18日)で活動終了するため、そこに参加できません。
そのため、当初の予定にはなかったことを含めてとても貴重な機会となりました。
特にB日程のメンバーから様々な質問があがったのですが、多田社長には、その一つひとつに対して丁寧にご回答いただきました。

オンラインツール「miro」への情報記録〜夜の「ふりかえり」

毎夜、男子部屋でふりかえりを実施

毎日の活動では、夜の就寝前にみんなで一日の活動における「ふりかえり」の時間をもちました。
その「ふりかえり」は、オンラインツール「miro(ミロ)」にそれぞれが新たに得た情報、そのときに考えたことなどを記録することから始まります。

「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)」では、情報の記録・共有を行うためにオンラインツール「miro」を活用しており、これまでのプロジェクトの参加学生全員がアクセスできるボードを構築・設定しています。
このボードには、プロジェクト設計段階の現地視察で収集した情報から、第1弾の活動におけるスケジュールや事前学習の資料、現地での活動内容、それに対する学生のふりかえり情報、活動報告会のスライドなどが全て蓄積されています。そのため、自分が参加する前に実施していた(している)活動の内容や参加学生一人ひとりのかかわりを知ることができるほか、自分が参加した後に実施された活動情報も追うことができます。

これにより、これまでの活動を一つひとつを単発の別物として扱うのではなく、参加メンバーが次の参加メンバーにバトンをつなぐことで、人が入れ替わりながらも立教チームとして一続きの活動にすることを実現しています。

現地視察〜第1弾〜第2弾の詳細な情報や学生一人ひとりのかかわり・思いが記録されたボード

毎夜の「ふりかえり」もこのボードを活用して実施しました。
その大まかな流れは、以下のとおりです。

【1】その日の活動スケジュール・メンバーの動きに対して、それぞれが同じボードに「事実・聞いたこと」「自分で考えたこと」「疑問・モヤモヤ」を書き入れる。
【2】その内容をもとに、一人ひとりが一日を振り返って印象的だったことを共有する。
※発言のタイミング自由(学生たちにお任せ)(人の話は遮らない)
※関連する話が他のメンバーから共有されたら、その話に自分の話も重ねて共有する
※発言は複数回OK
【3】全員分の共有ができたら、終了。
【4】個々に個人目標に対してふりかえり、その内容をボードに書き入れる。

まずは、その日の活動スケジュール・メンバーの動きに対して、それぞれがもっている情報をボードに書き出します。
黄色い付箋には「事実・聞いたこと」を、ピンク色の付箋には「自分で考えたこと」を、青い付箋には「疑問・モヤモヤ」を書き入れ、それぞれの動きに対してボードに貼っていきます。

各日程における記録

その後、この付箋の内容をもとに、一人ひとりが一日を振り返って印象的だったことを共有するわけですが、大枠としては同じ活動でも、実態としては少人数に分かれて作業したり、それぞれ個々に伺った情報があったりするため、全員が同じ情報をもっているとは限りません。
そのため、「事実・聞いたこと」を丁寧に記録することで、自分以外のメンバーが受け取った情報にも触れられるようにしました。
第2弾の活動では、現地のボランティアニーズを探ることが求められるため、この記録作業はプロジェクトの今後を考えるうえで重要な意味をもちます。だからこそ、事実として現地にあること、自分たちの考えを明確に分けることで、現地のニーズを把握していくことを目指しました。

また、「メンバー一人ひとりが何について、どのように考えたのか」の記録を共有することで、自分以外のメンバーの多様な価値観に触れることができます。
それにより自らの価値観を問い直すこと(自分の当たり前を疑うこと)ができるようになり、実際に「疑問・モヤモヤ」の共有を発端に、答えのない問いに対してそれぞれの思いをぶつけ合うようなこともありました。

初日は、支援活動に取り組む場面がなかったため、「ふりかえり」の時間に共有された内容も、みんなで一緒に見聞きしたことがほとんどでしたが、それでもそれぞれの感情の変化などを共有したことで、この活動に対するメンバーそれぞれの思いを改めて確認することができました。

事前に設定した個人目標に対するふりかえり(記録途中)

全体での「ふりかえり」を終えた後は、それぞれが事前に設定した個人目標に対してふりかえり、忘れないうちにボードへ記録。
それぞれ旅館内の温泉に入るなどして、一日の活動を終えました。


〜2日目:8月17日(土)の活動〜

「曹洞宗 青林寺」での活動

2日目は、前日挨拶に伺った「曹洞宗 青林寺」での活動です。

「青林寺」は、大正天皇の休憩所として建てられた御便殿があることで有名ですが、それに加えて庭と御便殿が一体になってみえるリフレクション撮影ができるスポットとしても人気でした。

しかし、今回の地震後は拝観を休止しています。
活動日の直前はお盆の期間でしたが、拝観休止中のため、お寺の方が「いつもと違うお盆を過ごした」という話をされていました。

今回リフレクション撮影させていただいた写真(一般の方は休止中)

午前中は、「中庭の手入れ」「参道の清掃」の2班に分かれて活動しました。

中庭では、鎌を使って雑草をとる作業を行いました。残したい植物と取り除きたい植物があるのですが、残したい苔の間に雑草が生えているため、雑草を大雑把に刈るわけにいかず、とても大変でした。

一緒に作業していた住職からお聞きした話によると、「以前は、特にお盆前に手入れをし、拝観者を迎えていた」とのことでした。
しかし、今年は地震の影響で拝観者の受け入れができず、また震災の影響が日常の生活にも響いていることから、なかなか着手できていなかったそうです。

中庭での作業の様子

本堂の横の階段を上がっていくと参道でもある「和倉温泉 和みの丘公園」があります。
参道を担当したチームは、その道中の階段を副住職と一緒に清掃しました。

参道の清掃の様子

清掃活動を行いながら副住職さんとお話しさせていただいた。相手の要望に一心に取り組むことも大切だと思う。ただ自分としてはなぜ我々の手が必要なのか、なぜ行うのか、何につながるのか、色々と考えながら取り組みたかったので、会話をしながら作業ができて良かった。
復旧が進まないこと、人手が足りていないこと、時間ばかりが経過していること、覚えていること忘れてしまったことなど、このお話は共に作業したからこそ聞くことができたのだと思う。

学生の記録(8/17)から:【A】経営学科 2年

青林寺で掃除を行なった。内容としては公園にある落ち葉やごみをほうきで掃いて、道や階段を綺麗にするというものだった。公園の中には墓や、菩薩の地蔵などがあり、地震の被害によってそれらが壊れている部分があった。また、その影響により、お墓を直す費用が何倍にも膨れ上がったと話していた。

学生の記録(8/17)から:【B】文学科 英米文学専修 2年

それぞれの活動に目処がつくと、全員で一旦休憩。体を休めながらスタッフの方々に様々なお話を聞かせていただきました。

その後途中からは、みんなで本堂内の拭き掃除を実施。畳や柱、戸の敷居などを丁寧に拭きました。

本堂内の清掃の様子
埃などを丁寧に拭き取りました

午後は、青林寺の方々からの提案で、「座禅体験」をさせていただくことに。
青林寺の「座禅体験」や「写経体験」は人気で、地震前はツアーなどで訪れた多くの体験者で賑わっていたそうです。現在は、地震の影響で休止していますが、今回はご厚意で体験させていただくことになりました。

副住職が「久しぶりだな。ちゃんと覚えているかな」と話していたことが印象的だったのですが、何気なく話してくださったことからも、地震発生時から時が経っていること、地震前の日常から少しずつ遠ざかっていることを実感しました。

午前中の活動の最後に座禅のレクチャーを受けました
座禅終了後の様子。実は足元がふらついています

座禅終了後は、「座禅体験」と同様に現在休止中である御便殿での「リフレクション撮影」をさせていただけることに。

「リフレクション撮影」には専用のテーブルを使用するのですが、今回地震の発生以降初めてそれを出し、設置してくれたそうです。
学生たちはそれぞれ写真撮影を楽しんだり、それをきっかけに地震前の様子についての話をお聞きしたりしていました。

ボランティアは、ただ単にボランティアに行く側・受け入れる側が、施す・施されるという単純な関係でできていると考えていた。
しかし、青林寺の方がリフレクション撮影のテーブルを出して、「せっかくの機会だし、今日を機にそのまま置いとこう!」というような、今まで無かった新たな「きっかけ」をつくれたこと、ボランティアを受け入れる側が施されるだけでなく、新しいアクションをとることにつなげられたことは、ボランティア活動が現地の新たな活気を引き出したと言えるのではないか。これもボランティア活動のひとつのアプローチなのかなと思った。

学生の記録(8/17)から:【B】観光学科 2年

座禅体験を行うことや、反射する机を出すことを半年以上ぶりだと仰って積極的に出してくれたが、自分たちの行った作業量と見合わない見返りの多さに、自分たちではなく相手のボランティア活動になってしまっているのではないかと感じた。一方で、私たちが来たからこそ、実現できたという側面もあるように思うので、気持ちに寄り添うことと、支援することのバランスが難しいなと感じる。

学生の記録(8/17)から:【B】文学科 日本文学専修 3年

青林寺では、住職・副住職をはじめご家族の方々と一緒に作業をさせていただき、様々なお話を伺いました。震災被害の状況についてだけでなく、復興に向けた一人ひとりの思いにも接し、このような表現が適切かわかりませんが、メンバーみんなが青林寺のファンになったような気がします。

また、「座禅体験」や「リフレクション撮影」など、観光客に人気のプログラムについて説明してくださっている時のスタッフの方々の表情がとても輝いていて、お寺はもちろんそのような取り組みに誇りをもっていることがわかりました。
スタッフの方々が大事にされていること、拝観や各プログラムの再開に少しでも貢献できていたら嬉しいです。

青林寺のInstagramでも、活動の様子をご紹介いただいていますので、ぜひご覧ください!

また、ここでの活動は地元紙である「北國新聞」にも取材いただきました。
石川県出身の学生へのインタビュー内容も含め、「和倉復興に学生が協力」という見出しで、8月17日(土)の朝刊に掲載されております。

※内容の閲覧には、会員登録とプランの申し込みが必要です。

夜の「ふりかえり」

夕食後には、前日に続き屋台村へ。地元の方に声をかけていただき、交流した学生もいました。

宝仙閣に帰ってきてからは、前日に続き、「ふりかえり」を実施しました。
この日は前日とは異なり、実際に作業をしてみて感じたことについて多く共有されました。
「疑問・モヤモヤ」として共有されたのは、「自分たちが復興支援として作業をした以上に、座禅体験をさせていただいたり、リフレクション撮影をさせていただいたり、多くの差し入れをいただいたりするなど、結局自分たちがしてもらったことの方が多くなってしまったのではないか」ということや、「ボランティアというよりも観光客になってしまったのではないか」ということでした。
これらは、ボランティアである自分たちに求められている役割や、自分が今被災地にいる理由に関わる非常に重要な問いだと思います。

このような問いに対して、ここでは明確な答えを見つけることはしませんでしたが、災害ボランティアの特性やそれぞれの専攻学問の知識などを共有しながらみんなで意見交換をしたうえで、ポジティブな考えの一つとして、「座禅体験やリフレクション撮影など、地震発生時から止まっていた時間を動かせたものもあるのではないか」「私たちが今回訪れたことが再開のきっかけの一つになるかもしれないのであれば、それも価値のあることかもしれない」ということを共有しました。
ここで共有した考えは、翌日からの活動にも一人ひとりの意識レベルでつながっていったように思います。

また、全ての活動が終了した後に、学内で実施する「活動報告会」についての話し合いも実施しました。
どんな人とここでの経験を分かち合いたいのか、そのためにはどんなことをすればいいのかのアイデア出しをしましたが、様々な意見が共有された一方で、明確な方向性を確認するところまでには至りませんでした。


〜3日目:8月18日(日)の活動〜

3日目は、B日程のメンバーが帰宅、C日程のメンバーが合流するため、A・B・Cがそれぞれ別の動きをする一日となりました。

【A日程メンバー】
「真宗大谷派 信行寺」での活動

引き続き現地で活動するA日程のメンバーは、朝食後に「宝仙閣」でB日程メンバーと分かれ、徒歩で「信行寺」へ移動。
その後、装備を整え、「本堂の清掃」「敷地内の整備」の2班に分かれて活動しました。

信行寺
道具を持ち、装備を整えて活動開始!

本堂では、主に戸の拭き掃除に取り組み、ガラスからサッシまで溜まった埃を丁寧に拭き取りました。

本堂の拭き掃除の様子
窓の汚れを丁寧に拭き取りました

もう一班は、敷地内の整備作業として、本堂裏の草刈りに取り組みました。
前日の作業と同様に、残す植物と取り除く植物があったため、それらを間違えないように雑草だけ刈っていきました。

本堂裏での草刈りの様子
刈った草はゴミ袋へ

この日はとても暑く、ほとんど日陰のない屋外での活動が続いたため、小まめに休憩を取りながら作業を続けました。
本堂での作業が完了した後は、敷地内の整備チームに全員が合流。
整備場所も本堂裏から敷地の端へ移し、落ち葉掃きや雑草刈り、側溝の清掃などに取り組みました。

今回の作業箇所。右側の側溝は雑草で覆われていた。

お寺の方の話によると、この周辺は震災のずっと前から空き家が増えていたそうです。作業場所の近くにある家はほとんどが空き家で、作業中は車も人も全く通りませんでした。

道路の側溝には、雑草が根(しかも、かなり太い)を張っており、長い期間放置されていたことが窺えました。お寺の方から、「この側溝が機能せず雨の時は詰まって流れなくなっていたこと」「それがずっと気にかかっていたこと」「今回ボランティアが来てくれるということで、せっかくならお願いしてみようかなと思ったこと」をお聞きし、今回の地震で新たに生まれたものだけでなく、その前からこの地域に存在していた問題があること、そしてそれを今回の地震が加速させていることを知りました。

草刈りの様子
落ち葉掃きの様子

午前の活動の終了後には、信行寺内で昼食をご馳走になりました。
熱中症にならないように小まめに休憩をとりながら活動していたのですが、その際に差し入れもいただき、それを美味しくいただいたりしながら、体力を回復させて作業を進めていきました。

午後は、途中からC日程のメンバーが到着。
A日程のメンバー2人が信行寺での活動から一度離脱し、案内役としてC日程の動きに合流しました。

信行寺では、残った7人で作業を続けたのですが、最終的には作業前と見違えるほどキレイになり、お寺の方にも喜んでいただくことができました。

【Before】側溝の様子
【After】側溝の様子
刈った雑草や集めた落ち葉

今日の信行寺での活動は前日とは違い、黙々と作業を行うほうに重点が向いていたように感じる。
前日の成果もありコツをつかんできた草むしりを行ううちに、これはがれきの撤去などの直接的な支援ではないかもしれないが、こういった日常的な作業も行うことが難しいほどに現地の方はするべきことがたくさんあって疲弊しているのかもしれないと考えていたら、必ずしも直接的な支援がボランティア活動ではないことに気づき、自分の中のボランティアに関する考えが一新されたように感じる。

学生の記録(8/18)から:【A】社会学科 3年

信仰寺での草むしり、裏庭(?)の掃除作業。学んだことがたくさんあった。まず、自然が気持ちよかった。時より吹く風を肌で感じで、パワーをもらった。作業はとても体力が要って大変なものだけれど、自然の心地よさがそれ以上の力をくれた。
普段は自分で手入れされているが、震災後は手付かずになっていて、せっかくの機会に学生にお願いしようと、お寺の方が思ってくださったということを聞いた。まだうまく言葉にできないけれど、自分たちで手をかけてこられた場所で、日常の営みであったことをさせていただくということの意義や責任を感じた。

学生の記録(8/18)から:【A】史学科 3年

手を動かして綺麗になった本堂や敷地、側溝を見て晴れやかな気持ちになった。この活動も初めは災害と関係のないものだと思っていたが、被害によって生まれた声(ニーズ)だった。震災によって取り組めなくなった作業を行えたのは、現地の方が声をかけてくださったからであることを忘れないようにしたいと思う。交流し対話することだけが寄り添うことではないのだということを改めて感じる活動になった。

学生の記録(8/18)から:【A】経営学科 2年

信行寺の方からお昼ご飯やアイスを頂いたが、これはボランティアの贈与論に当てはまるのではないかと感じた。昨日青林寺を訪れたときには坐禅体験をしたりリフレクション撮影のためにテーブルを出していただくなど、さまざまなおもてなしを受けた。私はこれがボランティアというより観光客になってしまっているような気がして素直に喜ぶことができなかったけれど、私たちが何かをし続けるだけでなく、相手からも何かをしてもらうことにもボランティアとしての意味があって、その関係性が築けることによって私たちは初めて対等な立場になれるのだという考えは非常に腑に落ちるものであった。私たちが学生だからそういったおもてなし的な行為をしてくださった部分もあるのかもしれないし、現地の方たちは震災以前と同じようにおもてなしをしれないが、私たちがそれに対して喜んでいるのを見ること自体が嬉しく、今後の糧になるのかもしれない。そう考えると、学生ボランティアは被災地にとってニーズがあるといえるのではないか。

学生の記録(8/18)から:【A】社会学科 3年

【B日程のメンバー】
七尾市街地へ、そして活動終了。

「宝仙閣」でA日程のメンバーと別れたB日程メンバーは、特急に乗車するまでの時間を活用して、七尾市街地の被害状況を確認しに行きました。

七尾市街地には、観光地である和倉温泉とはまた違った被害状況がありました。
一本杉通りの周辺は、倒壊した家屋が目立ちます。「被災建築物応急危険度判定(被災した建築物について、その後の余震等による倒壊、外壁・窓ガラスの落下などの危険性を判定し、二次被害を防止するためのもの)」の紙、特に「危険」を示す赤紙が貼られている様子と、それが貼られている住居の一つひとつがいまだ解体されずに残っていることに、学生たちは心を痛め、改めて地震による被害の深刻さを実感したようでした。

建物の被害が大きく、想像以上の光景に最初は言葉が出なかった。一階が潰され二階のみが残る家。道路標識を飲み込む形で崩れた家。墓石が全て外れている墓。倒壊したブロック塀。撤去されたものはあるのだろうが、それでもなお残っているものが七尾の被害を物語っていた。
(中略)危険と判断された家からも住民らしき人が出入りしているのを見かけた。そこに住み続けたいという意思なのか、それとも他に住む場所がないのか。他の理由があるのか。わからないけど建物は危険で住むべきではないという理屈と出入りする人がいるという現状の間に大きなギャップを感じる。

学生の記録(8/18)から:【B】経済政策学科 3年

赤紙を貼られてしまった家に出入りしている夫婦を見た。安全性のことを考えると本当に危険。しかし大切な家に大切なものがあるという気持ちを否定することなど、とてもじゃないけれどできない。

学生の記録(8/18)から:【B】観光学科 2年

花嫁のれん館に訪れ、職員さんに色々話を伺った。
石川の名物の一つとして、花嫁のれん号という電車があるのだが、今は自身の影響で動いていないらしい。結局七尾の先の和倉温泉だったり観光地だったりが全然立ち直っていないため、結局動かしても意味がないという。ただ一つの町が立ち直ったとしても、他の町の観光資源との関わりが必須なため、意味がないとは言わないが中々完全に元の姿に戻るというのは時間がかかると再認識した。

学生の記録(8/18)から:【B】映像身体学科 2年

『北國新聞』を読んだ方からの反応もありました。

私たちの着用するビブスを見た方が「新聞読んだよ、ご苦労様」と声をかけてくださり、地方紙ならではの情報の伝達の速さに驚くとともに、改めて自分の来ているビブスに対して周囲からの目があるということを認識し、責任感を感じた。

学生の記録(8/18)から:【B】経済政策学科 3年

市街地に入ってすぐ、地元の方に新聞を読んだよと声をかけていただいた際に、その方とは直接の関係が全くないのに「ありがとう」と声をかけていただいたことが印象的だった。おこがましい言い方かもしれないが、東京というある程度以上の距離が離れている場所の人間が関心を持っているという状況自体が、もしかしたら一種の支援活動なのかもしれないとも思った。ただ、更に支援を深めるために、行って終わりではなく、更に双方ともに価値あるものにするための活動や行動を実現させることが大事になってくるなと感じた。

学生の記録(8/18)から:【B】文学科 日本文学専修 3年

市街地の状況を確認した後は、七尾駅から特急に乗車し、金沢駅到着後に解散。B日程メンバーの活動が終了しました。

【C日程のメンバー】
和倉温泉に到着し、A日程のメンバーと合流。

C日程のメンバーは、金沢駅で集合し、そこから特急に乗って和倉温泉まで向かいました。そこからバスに乗り換えて、「宝仙閣」に到着。
そこで荷物を置いた後、合流したA日程のメンバー2人の案内で、和倉温泉内の被害状況を確認しました。

偶然、現地に住む立教大学の卒業生の方ともお会いしました。ビブスを見て声をかけてくださったそうで、過去に観光施設の命名などもされたという話もお聞きしました。

初日の活動の主として周囲を散策し、旅館や寺院の被災の状況を見た。閑散とした地区にある未撤去の瓦礫や隆起した道路を見ることで現実味が湧き、事実としてあった地震や液状化の悲惨な現実を目の当たりにした。自分が動画や報道等で見た際はあまり感じなかった胸に迫る思いは、実際に現地に訪れたからこそ得られた感情だったと考える。
一方で、被災から半年たっても直ってない箇所も見受けられ、この半年で一体どの箇所が復旧、修復されたのかという疑問が湧いていた。

学生の記録(8/18)から:【C】メディア社会学科 4年

道中には、住人の方に訝しまれたうえで、ボランティアに対するネガティブな考えを直接伝えていただく場面もありました。
現地に到着したC日程メンバーにとっては、驚きや戸惑いを感じるような出来事でしたが、住人の方々がボランティアに対して必ずしも肯定的に捉えていないこと、だからこそ私たちの活動を通して現地の方々との”信頼関係”を構築していくことの大切さを感じました。

興味を持って声をかけてくださる方もいれば、不信感を持たれてしまっていると感じたこともあり、ボランティアの存在が地域の方々に与える影響やその振る舞い、見え方についても良く考え行動したいと思った。

学生の記録(8/18)から:【C】数学科 4年

自分たちに何ができるか、ニーズはどこにあるのかという点について、現地の人の声やゴールを知ることが大切だと感じ、そういったお話を今後より聞けたらと思った

学生の記録(8/18)から:【C】コミュニティ政策学科 2年

夜の「ふりかえり」で、突然の提案

これまでと同様に、「宝仙閣」での夕食後は、屋台村へ。
この日は、A日程・C日程でそれぞれ別の動きをしたため、屋台村ではそれぞれの動きの情報共有などをしながら、お互いの関係性を深めました。

「宝仙閣」に帰ってきてからは、「ふりかえり」を実施。
A日程のメンバーからC日程のメンバーにふりかえりの流れを共有しながら、活動で感じたことなどを共有しました。
ここまではこれまで通りの流れだったのですが、ここでA日程のメンバー2人から他のメンバーにある提案がなされました。

A日程メンバー2名からの提案

私が前日までの話し合いを聞いていて思ったのは、手段(事後に実施を予定している活動報告会など)に対してはみんな良い視点をもっているけれど、プロジェクトの目的が分かっていない(一人ひとりに落ちていない)から、何でそれをしているのか聞かれたら答えられないのがすごく大きい課題だなと感じている
私は災害にかかわらず、一人ひとりが様々な現状を知って、自分事として考えられる社会をつくりたい。自分自身もここに来るまで、今回の地震を自分事として捉えられていなかったと思う。でも、一人ひとりが自分事として捉えられないから何のアクションも起こせず、社会問題は深刻化するのだと思っている。
きっとみんなも心の中や頭の中で、こういう社会になってほしいというものが何かしらあると思っていて、それを共有できていないことが問題だと思うから、情報発信などの手段から考え始めるのではなく、まずは一人ひとりの考えを出し合って、大きな輪をつくって、そこからみんなの共通認識や方向性を定めていきたい
なぜ今、それをやりたいかというと、今現地にいてその問題意識をもって活動するかどうかで、そこでの視点も学びも変わってくると思うから。それぞれの考えや思いの色は違うかもしれないけれど、まずは輪をつくるところから始めたい。

この語りを皮切りに、それぞれが「何を目指して今回の活動に参加しているのか」を語り始めました。
時間の関係もあり、この日はここまでで話し合いを終わりにしましたが、「第2弾の活動における方向性を定めること」「それをみんなの思いを重ね合わせるところから始めていくこと」に対して、全員が賛同。提案者である2人を中心に、翌日以降からそれらを全員で進めていくことが決まりました。

提案者の前日のふりかえり記録には、このように書かれています。

夜のミーティングを通じて、目的意識の欠如にモヤモヤを感じた。部屋に戻り、A・Bグループの女子に何となくこのモヤモヤした気持ちを話してみた。みんな感じていることは同じだった。嬉しかったような、安心したような気持ちになった。2時半ごろまで6人で話し合った。
みんな思っていることは似ていて、私は全員に共有したいと思ったし、みんなでこのことについて話し合いたいと思った。しかし、あれこれ考えて3周くらい回って、これは今ここで話し合うべきではないのかとも思えてきたし、どうするべきか迷う。

学生の記録(8/17)から:【A】史学科 3年

振り返りの後、女子部屋では寝る前に話し合いが行われた。最初は振り返りの反省や各自が感じていたもやもやや疑問点を共有するところから始まったが、そこからボランティアをするにあたっての目的が分からないという話に派生し、現状について発信することは手段であって目的ではないから、それを踏まえたうえで私たちにできることは何なのか、についてまで、脱線もしながらではあるが多岐にわたって話が広がった。
その中で、ひとりひとりが考える目的や意見について話を聞く機会があった。私は社会学的な観点から物事を捉えがちだったが、観光学や文化人類学的視点からの意見も聞くことができて勉強になったし、このもやもやはこのまま終わらせるのではなくもしかしたら全体に共有する必要があるのかもしれないと思った。でも、皆が賛同するとは限らないし私たちには他にもやるべきことがあるから、これを共有することはみんなにとってただの負担になってしまうかもしれないとも思ったりして、結局自分の中で答えは出なかった。
女子部屋での議論は2時間ほど続いた。話せば話すほど眠気がなくなって頭が冴えていく感覚が新鮮だったし、こんなに話し足りないと感じたのは初めてのことだった。また、まだ出会ってから2日しか経っていないのにここまで深く話し合えたことが個人的にとても嬉しかった。皆が同じ熱量で物事を真剣に考え、より良い状態を目指すために話したこの時間はとても大切で意義があって、きっと今後の活動にも何らかの形で活かされるのではないかと感じた。

学生の記録(8/17)から:【A】社会学科 3年

プロジェクトの目的も活動の軸も設定していましたが、それが学生一人ひとりのものになっていないこと、それぞれの当事者性と結びついていないことに危機感を感じていたようです。

現地に訪れる前には表面的な情報にしか触れられなかったため、当然、自分たちが目指したいことなどを具体的にすることは難しく、”復旧・復興支援”という大きな目的(Mission)を意識してきました。
しかし、実際に現地の状況や現地の方々の声に接したことで、「自分たちの眼の前にある状況に対して、自分たちがどう応えていけば良いのか」という問題意識が湧き上がり、大きな目的(Mission)だけでは「自分”たち”がチームとして何を目指して現地の方々や現地の被害に関われば良いのか」がうまく整理できなくなってきたのだと思います。
被災地の被害はとても深刻で、私たちが一回活動しただけでは解決できない課題がたくさんあるからこそ、何を目指して目の前の状況に向かっていったら良いのかを改めて整理することが必要だったのかもしれません。
私たちの活動が「現地のニーズに寄り添えているのか(=間違っていないか)」という不安もあったかもしれません。「正しさ」という基準ではかれないからこそ、向かう先を見誤らないような自分たちの指針(Vision)の必要性も見えてきました。

今回の提案は、このプロジェクトを、そして現地での活動をより良いものにしていくために重要なものでした。全員の前で自分の思いを語るのは簡単なことではなく、勇気がいることだったと思いますが、この提案が今回の活動に大きな価値と意義を与えてくれたように思います。
この日は、これから取り組むべきことが決まった(みんなの賛同を得た)だけで具体的な指針(Vision)が定まったわけではありませんでしたが、プロジェクト全体として大きな一歩を踏み出すことができました。

提案者の一人のこの日の記録には、こう書かれていました。

振り返りの時間、先陣を切ってストーリーオブセルフを話した。
自分の想いや理想、意見をみんなの前で言葉にして伝えるのは怖かったし、勇気がいる事だった。
しかし、今まで過ごして私の中で芽生えたメンバーに対する信頼が力になった。みんなに賛成してもらえた時は、まだうまく言えないけれど、ここに来て、この人たちと出会えて、よかったと思った。
提案したからには、みんなで同じ方向を向けるように尽力したいし、成果に繋げられるように頑張ってみたいと思った。

学生の記録(8/18)から:【A】史学科 3年

後半の記事へ続く…


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