学生ボランティアの私たちにしかできないことって?|立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト【第2弾・後編】
前半の記事に続き、8月16日(金)〜21日(水)の5泊6日で実施した「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年 能登半島地震)」における第2弾の活動について紹介いたします。
本記事は非常にボリュームが大きくなっておりますが、その分、学生たちの声や思いを丁寧に綴っています。ぜひ何度かに分けたり、時間をかけたりして、ゆっくり味わいながらお読みください。学生たちの考えの変化や感情のゆらぎに触れていただけたら嬉しいです。
※本記事は後編です。前編をご覧になっていない方は、そちらからお読みいただくことをおすすめいたします。
〜4日目:8月19日(月)の活動〜
前日(8月18日)から合流したC日程の学生は、この日からボランティア活動が本格的にスタート。前夜のふりかえりによってモチベーションは高まっていましたが、同時に緊張も窺えました。
いつも通り宿泊先の「宝仙閣」で朝食をとった後、活動先へ出発!
午前中はみんなで一緒に活動し、午後からは2つのグループに分かれてそれぞれ別の場所で活動しました。
午前:本学卒業生が経営する老舗旅館「多田屋」での活動
午前中は、本学卒業生である多田健太郎社長(経営学科・卒)が経営する老舗旅館「多田屋」で活動しました。
「多田屋」は、和倉温泉の中心地から少し外れた、静かな海岸沿いの土地にあります。私たちの宿泊先である「宝仙閣」からは徒歩十数分の距離であったため、みんなで歩いて向かいました。
多田健太郎社長と『「和倉温泉」創造的復興ビジョン』
多田社長は、今回の「令和6年能登半島地震」後に次代を担う若手経営者を中心に構成された「和倉温泉創造的復興ビジョン策定会議 ワーキンググループ」の委員長に就任しています。
その後、ビジョンの実現に向けた復興プランの策定を目指した「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」の代表としても活躍され、一旅館の社長という立場を超えて、和倉温泉の復旧・復興、そして新たな価値の創造に向けて尽力されています。
今年2月に策定された『「和倉温泉」創造的復興ビジョン』では、和倉温泉再生の目標像(コンセプト)として、「能登の里山里海 を“めぐるちから”に。和倉温泉」を掲げ、2040年を目標年とし、以下6つの基本方針とそれに基づく事業アイデアをまとめています。
景観(歩きたくなる動線や空間をつくる)
生業(多様で洗練された湯治を提案する)
共有(循環経済の温泉地モデルを実現する)
連携(能登の里山里海の交流拠点となる)
生活(温泉文化を未来につなぐ)
安全(安全安心の防災を強化する)
3月11日には、石川県の馳知事を訪問し、この『「和倉温泉」創造的復興ビジョン』についての説明を行ったそうです。
このような動きを把握し理解することは、和倉温泉全体の復興に向けて取り組んでいる私たちにとっても重要なことです。多田社長からお聞きした話は、立教チームで取り組んでいる本プロジェクトの今後にも深くつながるものでした。
多田健太郎社長のお話
「多田屋」に到着後、まずは多田社長から「能登地震と地域の取組」と題したお話を多田屋のスタッフの方々とともにお聞きしました。
内容は、「震災前の和倉温泉」「震災前の多田屋」「能登半島地震による被害」「震災後の動き」「next和倉温泉で目指す未来」で構成されており、和倉温泉における過去・現在・未来に対して、多田社長がそれぞれをどのように受け止めているのか、そしてどのように関わっていこうと考えているのかを知ることができました。
ーー「課題は、震災が起きる前からあった」
多田社長は、冒頭でこのように語りました。
これは前日までの活動で学生たちが感じていたことと共通します。私たちは、活動を通して空き家の増加など、地元住民の生活環境における問題に触れましたが、旅館業や観光業においても同様であるということを教えていただきました。
「第3回 国連防災世界会議(2015年に宮城県で開催)」の成果文書として採択された『仙台防災枠組2015-2030』では、復興過程における「Build Back Better(より良い復興)」という新しい考え方が示され、災害教訓を生かし次の災害におけるリスクを軽減することの重要性が多くの人に認識されましたが、この”より良い”が示す内容は、なにも災害対策だけに留まりません。
実際に和倉温泉でも、中心的な産業である「観光業」のあり方を見直し、未来につながるより良いものにしていくことが求められているそうです。人口流出や少子高齢化などの様々な社会問題があるなかで、今回の地震をきっかけにその復興段階で地域をどのように盛り上げていくかが重要な問いとなっているとのことでした。
ーー「オール和倉に、オール七尾になれるか」
同じ和倉温泉地域で被災した方々・企業であっても、それぞれの被害状況は様々です。実際に被災程度の差から分断が起きている例もあると、いくつかの事例を話してくださいました。
消費者に対して商売を行っている「BtoC(Business to Consumer)」の企業の場合、そもそも消費者と関わる機会が多いためクラウドファンディングなどでお金が集まりやすいようですが、企業同士で商売をする「BtoB(Business to Business)」の企業の場合は、お互いに被災しているため、お金を集めるのが難しいそうです。同じ企業同士とはいえ、その商売の内容によって地震の被害が異なり、営業再開にかかわる復旧・復興段階においてもそれぞれ異なる影響があるとのことでした。
地震前は付き合いがあって仲良しだったのにもかかわらず、地震の影響でだんだんと温度差が出てきて少しずつ分断が生まれているそうなのですが、そのような現状を踏まえて多田社長は、「そのような状況を乗り越えて、オール和倉やオール七尾になれるかがポイントだ」と話していました。
学生からの質問
多田社長は、学生からの質問を取り上げながら話を進めてくださったのですが、学生からは「学生ボランティアの役割は?」「震災を経ても変えたくない、多田屋の核となる部分は?」などの質問が挙がりました。
後者の質問をした学生に対しては、別の場面で「いい質問だったね〜」と多田屋のスタッフが声をかけていたのですが、スタッフの立場では聞きにくいことをたまたま代弁するような形になったのかもしれません。
多田社長は答えにくい質問も含めて丁寧に答えてくださったので、学生たちがいただいた学びは多かったのですが、スタッフの方々にとっても新たな発見や気付きを得られたかもしれないと、その後の学生とスタッフの交流の様子を見て感じました。経営者や従業員、様々な立場があってそれぞれ異なる思いをもっていると思いますが、今回の交流を通してそれぞれの関係性が解れるようなきっかけが生まれていたら嬉しいです。
立教チームのボランティアに対して多くのことを教えてくださる時間ではありましたが、学生ボランティアが媒介することで、現地の方々同士の対話を促進することができたとしたら、それもボランティアの大きな価値なのではないかと思います。
地震による館内の被害は?
社長のお話をお聞きした後は、多田屋スタッフの伊藤さんに館内を案内していただきました。
今回の地震における被害状況を確認して回ったのですが、館内の至るところで壁が剥がれたり、通路が割れたり、備品が転倒して壊れたりしており、地震の発生以降手付かずのままになっているところが多くありました。
大浴場の中にも入らせていただきました。お客さんにとってこの旅館に泊まる醍醐味の一つであっただろうこの場所も地震直後のままの状態になっていました。お湯も張られておらず、露天部分の柱もかろうじて立っているだけで、いつ倒れてもおかしくない状況とのこと。
これまでの活動を通して和倉の方々が温泉を誇りに思っていることを知っていただけに、スタッフの方がどのような思いで説明してくださっているのかを考えただけで、心苦しく感じました。
スタッフの方々と共に作業開始!
その後は、小グループに分かれてスタッフの方々と作業に取り組みました。
作業内容や作業場所は様々で、「客室の清掃」「備品の整理・運び出し」「商品の梱包」「屋外の清掃」などに取り組んだのですが、それぞれの活動場面では学生とスタッフの方々が積極的に会話している様子が印象的でした。
きっと全体では共有できないような話もあったはず。地震発生当時のこと、その後の生活、学生たちは何気ない会話の中から多くのメッセージをいただいたようです。
多田屋での昼食
活動後には、昼食をご馳走になりました。多田社長・スタッフの伊藤さんと一緒に食事をさせていただいたのですが、ここでも学生たちからの質問にたくさんお答えいただきました。
話題は社長と立教大学のつながりから、よりプライベートな部分へ。
内容はもちろんここに書けませんが、社長やスタッフの方々のお人柄や思いに触れることができて嬉しかったです。
NHK金沢放送局による取材
多田屋での活動の様子は、「NHK金沢放送局」の方々に取材していただき、その日のお昼のニュースで早速放送されました。
私たちは活動中だったためリアルタイムでの視聴ができませんでしたが、道中にお会いした地元の方々が紫色の立教ビブスに気づいてくださり、「テレビで見たよー!」と話しかけてくださいました。地元の方々の視聴率が高かったようで、私たちの想像を超える反響をいただきびっくりです。
全国ニュースでも放送されたようで、関東にいる方々からも「関東圏の電車内モニターで見た!」「たまたまニュースを見ていたら映っていて驚いた」という声をいただきました。
放送された内容は、下記のWEBページで公開されています。
ぜひご覧ください!
▼NHKニュース|石川県版
▼NHKニュース|全国版
活動スタート時は、見慣れない学生の群れに対する懐疑的な眼差しを感じる場面もありました。
しかし、「北國新聞」や「NHK金沢放送局」の方々に取材していただいたことで、少しずつではありますが、メディアがもつ影響力に助けられながら立教チームの活動を地元の方々に知っていただくことができました。
紫色の立教ビブスは、まさに立教チームとして第1弾から第2弾、そして今後に受け継がれていく「バトン」のような役割を果たしています。
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午後①:旅館「寿苑」での活動
午後は活動先を移し、2グループに分かれて活動しました。
活動先の1つは、私たちの宿泊先である「宝仙閣」と同様に宝仙閣グループに属する旅館「寿苑」です。学生たちは、ボランティア受け入れ担当者である同グループの帽子山会長とともに、館内の備品移動作業に取り組みました。
会長によると、これからグループ会社の営業再開を目指すためにオフィス機能を「寿苑」内の一室に設けるそうです。オフィス機能の有無は補助金申請などにもかかわるため、これからの経営再建に向けて重要な作業であるとのことでした。
早速、館内の一階部分にある部屋(オフィスにする部屋)に収納された備品を別の部屋に運び出す作業に着手しました。
動線の脇にあるお土産売り場はほとんど当時のまま。反対側のロビー部分には客室から回収した布団などの寝具が積まれており、活躍の機会を失った備品からはどこか物悲しさが漂っていたような気がします。電気が点いていないところも多く、暗い中での作業だったため、そのように感じたのかもしれません。
しかし、地震の前であれば、この場所は多くのお客さんで賑わっていたはずです。会長からお聞きしたお話からも、その時の賑わいや活気が伝わってきたのですが、地震前の様子が分かれば分かるほど目の前にある現状との差が色濃く感じられ、地震によって失われたものの大きさを実感しました。
思いの詰まった手づくりの旅館
休憩中や作業後には、帽子山会長から様々なお話をお聞きしました。
若いときに経験した職業やそれをきっかけに事業を起こした話、和倉でどのような取り組みをしてきたのか、今回の地震を経験して思うこと…。
会長の人生のハイライトを通して感じたのは、ブレない信念があること、それを同じ志をもつ仲間とともに自らの手で創り上げる会長の行動力でした。
特に印象的だったのが、会長とスタッフの方が手作りでこの旅館をつくってきたことです。元々あったこの旅館を買収して、立て直しに取り組んできた会長ですが、内装の多くを自分たちの手でつくってきたと話していました。
作業後に館内を案内していただいた際には、自作した箇所について教えていただいたのですが、自分たちで購入し敷き詰めた床材、自分たちでデザインしてつくった宴会場の壁、知り合いから引き取った材料を使ってつくった廊下の壁の装飾品、自分たちで設計し材料を組んだ鯉の水槽の酸素ポンプ、ここでは書ききれないほど多くの部分が専門業者ではなく、自分たちの手でつくられていました。
驚くべきはそのクオリティで、会長が話す「DIY」という言葉に似合わないほど素人がつくったとは思えない仕上がりなのです。その一つひとつについて製作時のエピソードとともに紹介してくださったのですが、その際の会長の表情はとても明るく誇らしげで、当時の喜びを追想しているようでした。
会長がどれほどの思いでこの旅館をつくってきたのか、大切にしてきたのか、話を聞けば聞くほど、この旅館への愛の大きさを感じました。
そんな大切な場所を今回の地震が一瞬で奪い去っていきました。
数十秒の間に生まれた損失は数十億だそうです。私たちにはそれらを背負う会長の苦悩を想像することすらできません。
会長と共に見て回った館内の被害状況は、言葉にできないほど凄惨なものでした。
このような状況に対して、私たちには何ができるのでしょうか。
館内を見て回った数十分間は、ほとんど会長の語りを聞くことしかできませんでした。その語りは、今回の地震の前後だけでなくこれまで積み重ねてきたことの全てに触れているようで、言葉の一つひとつが重く、会長の人生に直接触れているような感覚がありました。
私たちがその語りを自分の言葉に置き換えてしまうと何か大事なものが失われてしまう気がします。複雑で重く、それでいて熱い会長の言葉や思いに対して、軽い気持ちで同情するなんて無責任なこともできません。
私たちはボランティアとしての無力感を感じながらいたのですが、会長はそんな私たちに多くのメッセージをくださいました。
目の前の状況への理解も追いついていない状況の私たちでしたが、それでも今私たちにできること、私たちに託されていることを心に刻み、改めて復旧・復興にかかわることへの思いを強くしました。
午後②:「和倉温泉お祭り会館(和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合)」での活動
もう一つのグループは、「和倉温泉お祭り会館」で活動しました。同施設は、青柏祭の曳山行事がユネスコ無形文化遺産に登録されたことをきっかけに、祭り文化を通した新たな人の流れを創出できるようにと、当時の「和倉温泉観光会館」をリニューアルして開館した観光拠点です。
現在は地震の影響で営業休止となっていました。
本プロジェクトにおける第2弾の活動の多くをコーディネートいただいた「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」の事務所も館内にあるのですが、今回はその倉庫内整理の作業を行いました。
この日は、地震の影響でひしゃげてしまった棚から荷物を運び出す作業を実施。新しい棚と入れ替えるために、まずは倉庫の外へ荷物を移動させました。
他にも、館内に保存されていた輪島塗の漆器の整理・梱包・再収納作業なども行いました。
夜のふりかえり+「立教チームとして目指すもの」の整理
この日のふりかえりも、Miroを使用しながら前日までと同じ流れで実施したのですが、それに加えて前日の夜に合意形成をした「第2弾の活動における方向性を定めること」、「それをみんなの思いを重ね合わせるところから始めていくこと」に着手し、提案者である2名の学生を中心にその取り組みをスタートさせました。
まず取り組んだのは、メンバー一人ひとりが「立教チーム」をどのように捉えているのか共有することです。
今回の活動開始前にはそれぞれ個人目標を設定しており、毎日それに対するふりかえりも実施しているのですが、「それぞれが立教チームに何を求めているのか」「立教チームとして活動する価値をどのように考えているのか」などについては、共有する機会がありませんでした。
そこで、一人ひとりが考える「立教チームとして目指したいこと」を付箋でMiro上に貼っていき、それらを円状に並べ整理したり、統合したりしながら、共通点を探っていきました。
ここでの作業のゴールは、多様であるみんなの考えを無理やり一つにまとめることではなく、いくつかの共通点に見出すことだったのですが、とはいえそれぞれの思いも考えもバラバラで、それらを整理することに苦戦。
話し合いの進行役を担った提案者の2人がなんとかみんなの思いや価値観を引き出そうとするのですが、その熱量や働きかけがむしろ話し合いを混乱させてしまう場面もありました。自分の思いとは裏腹に、なかなか円滑にいかない進行。どんどん表情が曇る提案者の2人…。他のメンバーと大きく熱量に差があるわけではないのですが、いつの間にか2人の思いを実現させるために他のメンバーが気を遣うような発言も出てきてしまいました。
これでは、「立教チーム」として目指すものをまとめていくというよりも、2人のわがままに他のメンバーが従うような形になってしまいます。当然、このような状況は2人にとっても他のメンバーにとっても本意ではありません。全員が熱量をもって取り組んでいるものの、状況は好転せず、なんだかうまく歯車が噛み合わないような時間が続いていきました。
結果的に話し合いが大きく進むことはありませんでしたが、それでも一人ひとりが考える「立教チームとして目指したいこと」を共有する中で、それぞれの考えがどうやら、『①和倉に対して取り組むこと』『②社会全体に対して取り組むこと』の2観点から整理できそうだということがわかりました。
進行役を担った提案者の2人の記録にはこのように書かれていました。
現地での活動は残り2日。全員でのふりかえりができるのは、翌日の夜の1回のみです。みんなの思いは形になるのでしょうか。
〜5日目:8月20日(火)の活動〜
5日目は、午前中に全員で活動を行い、午後は3グループに分かれて活動しました。第2弾でボランティア活動を実施するのは、この日が最後です。
午前:「わくたまくんパーク」での活動
午前中は、七尾湾を見ながら足湯に浸かれる観光スポット「湯っ足りパーク」に隣接する「緑地ひろば(わくたまくんパーク)」にて、園内に設置されている「わくたまくん」のオブジェを清掃しました。
ところで皆さんは、「わくたまくん」をご存知ですか?
和倉温泉地域では、観光マップや屋外の案内表示などの至るところで、このマスコットキャラクター「わくたまくん」を目にします。
地震後に「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」が実施したクラウドファンディングでは、被災地復興を願う声とともに、わくたまくんへの愛ある応援メッセージも多く届いたそうです。
地域のシンボルのようになっているこの「わくたまくん」ですが、公園内に設置されたオブジェは、風雨にさらされ、汚れが溜まっていました。
このままでは、観光者受け入れが本格的に再開した際に活躍できません。
本来の輝きを取り戻せるよう、その汚れを洗剤やスポンジを使って洗い流して、綺麗にしました。
作業の途中には、本学卒業生である長谷川滋さん(経済学科・卒)と奥様である加賀屋の女将さんがお越しくださり、労いの言葉をいただきました。
予想していなかった思いがけない機会でしたが、ここでも現地の方・そして本学卒業生の厚意に触れ、私たちの活動を後押ししていただいた気がします。ちなみに、この日の昼食もご馳走になりました。
これにて午前の活動が終了!
観光客が増え、多くの方にわくたまくんを見てもらえたら嬉しいです。
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午後①:「少比古那(スクナヒコナ)神社」での活動
午後の活動では、3グループの内の1つが宝仙閣から徒歩5分ほどのところにある「少比古那神社」で、受け入れ担当者の方と共に境内の草刈りなどを行いました。
「少比古那神社」は、夫婦御神木などが人気で、和倉温泉内で実施されている「七福神福々めぐり」のチェックポイントにもなっています。
元々は立派な石鳥居があったそうなのですが、地震の影響で折れてしまい、現在は根本の部分からしか、その痕跡が窺えません。階段をあがると同時に迎えてくれる狛犬や石灯籠の多くも、地震の影響でほとんどが壊れてしまっていました。
境内には、雑草が生い茂っていました。入口付近の草刈りから始めたのですが、量が量であるためになかなか雑草が減りません。気温も高く、写真でみる以上にハードな作業でした。
途中、交換し終えたしめ縄の片付け作業や休憩を挟みながらも着実に作業を進め、最終的には境内の奥の方まで見違えるほど綺麗になりました。
災害による影響が住民の方々の日常を確かに変化させており、これまで当たり前のように行われていた軽作業にも着手できない現状があるようです。
ここでの活動に限らず、様々な場所でそのような声を直接お聞きしました。
活動前には、この支援が「復旧・復興に向けた支援」と言えるのか、住民の方々が本来やるべきことをボランティアとして奪っていないだろうかという悩みを抱えていました。ボランティアへの依存を助長するようなかかわりは、むしろ現地の復旧・復興の足を引っ張ってしまうからです。
ただ、実際に作業場所を訪れ、受け入れ担当者の方とお話ししてみると、そこでの課題がたしかに災害によって生じたことを確認することができました。もちろん全ての課題が災害によって新たに生まれたものではなく、元々その地域に潜在的にあったもので、災害がそれを加速させた部分もあります。
だからこそ、災害前の状態に戻すということ(復旧)よりも、これまで大切にしてきたことを残しつつさらにより良い状態を創っていくような営み「創造的復興」が求められているのだと実感しました。
午後②:旅館「のと楽」での活動
「のと楽」では、旅館の目の前にある海岸の清掃を行いました。
これまでは「のと楽」のスタッフの方が定期的に掃除をしていたそうですが、現在は旅館が休業中で人手不足なこともあり、なかなか手がつけられていない状況だったそうです。
砂浜には漂流物やゴミが溜まっている様子でした。
海の反対側には能登島が見えるのですが、地震発生後はこの能登島によって津波が打ち消されたおかげで、和倉まで届くことがなかったそうです。
そのせいか瓦礫などの漂流物はなく、生活ゴミがほとんどでした。
流木などは重量があり、砂浜から引き上げるのに一苦労。旅館のスタッフの方々と協力しながらなんとか引き上げ、なんとかトラックに積み込みました。回収した漂流物やゴミは、トラックで指定の回収場所まで運ぶそうです。
暑い海での活動は湿気も酷く大変でしたが、活動の途中には通りすがりのご婦人から差し入れのアイスキャンデーをいただいて、疲れた体を癒やす場面もありました。のと楽スタッフの方と一緒に美味しくいただきましたが、そのご婦人は旅館を出入りされている業者スタッフの奥様とのこと。
私たちの活動への労いに心を温めるとともに、旅館の営業再開を多くの人が待ち望んでいるのだなと感じました。
午後③:「和倉温泉お祭り会館(和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合)」での活動
「和倉温泉 お祭り会館」では、前日と同じメンバーが作業の続きを実施。
倉庫内に新たに設置された棚に、前日運び出した備品を再度収納しました。
作業後は、現在地震の影響で営業休止となっている「お祭り会館」の展示ホール内をご厚意で見学させていただき、青柏祭(青柏祭の曳山行事)、能登島向田の火祭、石崎奉燈祭、お熊甲祭(熊甲二十日祭の枠旗行事)など、七尾市を代表する祭り文化に触れさせていただきました。
最後に、「和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合」の宮西事務局長から学生へのメッセージをいただき、活動が終了。
わくたまくんも出てきてくれて、たくさん触れ合うことができました!
夜のふりかえり。そして…
現地でこのメンバーと夜を過ごせるのは、この日が最後です。
この日は屋台村に行かず、夕食後はすぐに「ふりかえり」を実施。その後の「立教チームとして目指すこと」をまとめる話し合いに、多くの時間を費やしました。
これまでのように一日の活動を全体で振り返った後、チームの方向性を決める話し合いへ。「今日で決め切らなければならない」というプレッシャーもあり、不安や緊張感が入り混じった雰囲気が漂います。
そんな中、これまでと大きく変わったことがありました。提案者である学生2人が前日の課題を踏まえて話し合いの進行役を別のメンバーに委ねる決断をしたのです。
自分の提案から始まったことであるが故に、「自分の力でみんな引っ張らなければ」と強い責任感をもっていたことも知っています。うまく議論をファシリテートできない中でも、「誰かにこの役割を委ねることで、その責任を放棄することになってしまうのではないか」と葛藤していたはずです。
それでも、他のメンバーを今まで以上に信頼し、強い覚悟をもってこの提案をしてくれました。
これまでの論点整理を別の学生メンバーが、話し合いのファシリテーターをボランティアコーディネーターの齋藤が担当し、最後の話し合いがスタート。
最初に取り組んだのは、話し合いの前に「この話し合いによって決めること」を整理し、その順序を決めることです。
加えて、話し合いを終えた後のみんなの状態(ゴール)を具体的にするために、全員が何を目指して話し合いに参加すればよいのかという前提部分のすり合わせを行いました。前日の話し合いでは進行役と参加者の立場がはっきりと分かれてしまったことで、それぞれが話し合いを通して実現したいことにすれ違いが生ていました。結果的に、進行役も参加者も話し合う目的を見失っていたのです。
そのため、この日の話し合いでは全員が同じ立場で対等に話し合えるような場をつくること、話し合いを通して実現したいことに対して同じイメージを全員がもてるようにすることから、丁寧に進めていきました。
以上が、今回の話し合いの前提です。
前日の話し合いでは、立教チームとして目指したいことが『①和倉に対して取り組むこと』『②社会全体に対して取り組むこと』の2観点から整理できそうだということが分かっていましたので、それぞれの観点を出発点にしながら、前日共有したそれぞれの思いをさらに深堀り、メンバーが共感するキーワードを抽出していきました。
キーワードを出すところまではスムーズにいっても、それをつなげて文章にすると解釈の幅が広がり、そこに込めた思いが見えづらくなっていきます。
文章化にあたっては、本当に多くの時間を費やしました。小まめに休憩を挟んだのですが、驚くことに学生たちはその時間ですら近くのメンバーと熱心に意見交換していました。提案者か賛同者かといった立場の違いなどはもう関係ありません。全員がそのような姿勢ではこの日の話し合いに取り組んでいたのです。
話し合いは少しずつ、でも着実に前に進んでいきました。具体的な表現を比較したり、別の角度から捉え直したり、別の言葉で言い換えたりしながら、ああでもない、こうでもないと、それぞれの考えを重ね合わせる中で、キーワードとして適さないものが確認でき、それらが削ぎ落とされ、少しずつ洗練されてきたのです。
「よく理解できないな」「自分は違う考えをもっているな」そんなときも勇気をもってみんなに共有してくれたので、妥協せずに文章化に取り組むことができました。
結果的には夜遅くまでかかってしまいましたが、なんとか「立教チームとして目指すこと」がまとまりました。一つまとまるごとにみんなで称え合い、最終的には3つの文章が完成。その内容は、以下のとおりです。
本プロジェクトには、第1弾の実施前から設定している目的が存在しますが、活動日数が増えた第2弾の活動を通して、「その目的があまりに抽象的であり、メンバー一人ひとりが活動中に意識できるものではない」という課題に直面しました。
そんな中で、学生たちが現地の方々から聞いた声や見たもの、感じたこと、それぞれの思いを整理し、可視化したものが「立教チームとして目指すこと」です。
これらは以下のように整理されます。
活動を終えた最後の夜にこれがまとまったため、提案者の2人が目指していた「チームとして同じ絵を描き、その共通認識をもって現地活動を行うこと」はできませんでしたが、それでもその過程で自分たちに求められていることを考え続け、チームとしての意識を高めながら活動を行うことができました。
さらに、ここでまとめたビジョンは、プロジェクトにおける次回の活動を引き継がれます。それによって、より良い活動につながっていくはずです。
これまで続けてきた話し合いについて、メンバーはどのように受け止めたのでしょうか。
また、提案者の2人のこの日の記録には、次のように書かれていました。
この2人の提案により、間違いなく「立教チーム」の意識や連帯感は高まりました。常に「自分たち学生ボランティアに求められていることは何か」を考え続けることになっため、活動をただこなしていくような学生は一人も生まれませんでしたし、それぞれが積極的に住民の方々と関わりながらそのニーズに寄り添おうと行動し続けました。
また、被災地には簡単に言葉で表現できない現状が数多くあるのですが、メンバーみんなでお互いの思いが共有できるようにと言語化に取り組んだことは、自分たちの学びや現地の方々から受け取ったものを整理するうえでも重要なことだったように思います。
勇気をもって自分の思いをみんなに伝え、巻き込み、そして現地での活動を豊かにしてくれた提案者の2人を誇りに思います。
〜最終日:8月21日(水)の活動〜
活動報告会に向けた準備
いつものように朝食を終えた後は、バスの乗車時間まで余裕があるということで、大学内で行う活動報告会の準備に取り組みました。
3日目にB日程のメンバーがそうしたように、「七尾市街地の被害状況を確認しに行く」などの選択肢もありましたが、全員で話し合い、「現地にいる間に活動報告会に向けた準備を進める」ということを決めました。
前日も長く話し合っていたので、みんな疲れが溜まっていたと思いますが、みんなでまとめたビジョンを達成するために、自分たちがすべきことを熱心に話し合って、活動報告会に向けた具体的な準備を進めていました。
帰路へつく
お世話になった宿泊先「宝仙閣」の方にお礼を伝え、路線バスで和倉温泉駅へ。
6日間しか滞在していませんが、駅の景色に小さな変化がありました。初日は、地震の影響でボロボロに崩れてしまった駅から路線バスの停留所までの道を慎重に歩いたのですが、その道の工事が始まっていたのです。少しずつではあると思いますが、それでも着実にまちの復旧が進んでいることを実感しました。
とはいえ、復旧・復興までの道のりは長そうです。金沢駅まで向かう特急からは、崩れたり、ブルーシートで屋根が補強されたりした家屋が見え、元の生活とはかけ離れた現状が確認できました。
金沢駅に到着
解散場所にしていた金沢駅では、本学の卒業生である長谷川滋さんと奥様である加賀屋の女将さんのご厚意で昼食をご馳走になりました。
2日目・5日目の昼食もご馳走になり、自分たちが貢献した以上に多くのものをいただいているのではないかと感じるほど。
いただいた美味しい料理で、心とお腹を満たしました。
これにて第2弾における現地活動は終了。
残りの活動は、大学内で開催する活動報告会のみです。
現地での活動を振り返って
活動を終えた学生たちは、何を感じ、何を考えていたのでしょうか。
学生たちが今回の活動の全体をふりかえって記した記録の一部を紹介します。
〜活動資金にかかる寄付のお願い〜
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寄付額に応じて控除も受けられます。
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