【053】読書のすすめ:書籍は生き物。その価値は自分の成長と共に大きくなる
書籍の価値は人によって異なります。同じ本でも、読者の知識や理解力によって、感じ方はまったく異なるからです。
そんなわけで、普段から個人のレビューだけで書籍についての絶対的な評価をすることはできないと思っています。
例えば、Amazonの書籍レビューに「ありきたりのことが書かれているだけで、価値がない本」なんて書かれていて読むのをやめようと思ったことはありませんか?私はあります。でも、それは感想を述べた人の理解力が十分でなかったり、表面的な理解にとどまってしまっただけなのかもしれないですよね。駄本に見えたのは読み手の問題だったのかもしれない。逆に、高い評価を受けた本であっても、自分が同じように内容を深く理解して感動できるかどうかは保証されません。
自分の思考の成熟度が高いほど、読書から得られるものが多いので、結果として若い頃の読書よりも、知識や経験が深まった大人になってからの読書の方が学びが圧倒的に深いということでもあります。
では、若い時の読書は年齢を経てからの読書に比べると価値が低いのでしょうか?わたしはむしろ、若い時には積極的に量の読書をするべきだと思います。
若い頃の読書は、脳に種をまくことに似ているような気がします。多く読み、多くの種をまくことによって、後になって「かつて読んだあの本は、こういうことだったのか!?」と気づくチャンスが増えるからです。大人になってからの経験が、発芽のトリガーになって、過去に読んだことが時間を経て深い学びに転化する。
蒔いた種が多いほど、発芽の数を増やすことができるので、若い頃の読書は、たとえその時の理解は浅かったとしても将来の深い学びにつながり、最終的に自分の糧になる。
昔読んでピンとこなかったことが、『今ならわかる!』という深い感動のために、わたしは若い頃に読んだ名著を、何度も読んでいます。それでかつて蒔いた種や発芽した芽を収穫しています。若い頃の読書ではアンテナに触れなかったことが、改めて深い感動と驚きを与えてくれる感覚は快感です笑。
ところで、直近ではかつてのベストセラー「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで、新たな気づきを得ました。今回は普遍的な歴史の法則本として読めました。
読書は、私たちが精神的に成長し続けるための最もコストパフォーマンスの高い手段の一つだと思います。自分が個体として得ることができる知識や経験に加えて、他人が生きた経験や思考を追体験して自分のものにできるからです。
若い時にピンとこない書籍(というより理解していたつもりの書籍)が、何十年かを経てさらに深い感動を与えてくれたり、新たな学びを与えてくれることが多いので、書いてみました。既に同じような読書をしている方もおられると思いますが、まだの方にはオススメです。