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コーチングを受けたら”2024年私はティンカーベルとして生きるぞ”って口にしていた。

こんにちは!ご無沙汰しています。

最近の私はコーチングをしたり、書道のワークショップを企画したり、週に2回学校でカウンセリングをしたりしています。

さて1月も20日以上経ちましたが、みなさん年始に今年の目標をたてましたか?

私の2024年の目標はいくつかあって、
チームりかちゃんを作る」「選択と集中」と年始に掲げていました。

なんかこれじゃ物足りないんだよな〜
結局私が世の中に表現したいものってなんだろう

この命と時間を使ってどう生きていきたいんだろうとずっと考えていました。

あまりに答えが出ないので、マイコーチの坂口佳世さん(ぐっちさん)にテーマとして話してみました。


大好きなマイコーチぐっちさん

りか)なんとなく足元はめちゃくちゃ明るいんだけど、先が見えなくって…怖いんです

ぐっち)そうなんだね。りかちゃん、なんとなこういう景色っていうのが見えているんじゃない?よかったら一緒にイメージの世界に入ってみない?



こうやってイメージの世界に入ってみた。そしてイメージの世界で情景を語ったり、本当はどうしたいのか?を話していくと…

ぐっちさんがふとこんな問を投げてくれた。



ぐっち)りかちゃん、「だって〇〇だもん」って言う言葉があったらどんな言葉になる?


りか)えー…「だって自由にやって良いじゃん!」とか「だっていつか死ぬでしょう!もっとやりたいことやって生きて良いって!!」

と熱量が上がってくる私。

「だって◯◯だもん」が出てくる出てくる…

・だってわがままに生きて良いじゃん

・だって嫌いなものは嫌なんだもん

・だってやりたいこと全部やって生きて良い!

・だってもうめんどくさい!窮屈だ!やりたくないことは絶対やりたくない!!!

・だって嫌なもんは嫌だ!
めんどうな用事とか全部断りたい!!

・だって窮屈嫌!出ていきたいんだもん!!もうSNSもやめたいし、もう数値とか理論とかまじでどうでも良い!!って。

こんな感じの感情が湧いて出てきました。

私は過去に親に「りかはいつもワガママだもんね」と言われたことがあります。

小さい頃の記憶で母親から「りかはなんでそんなに言うこと聞けないの。なんで…」って泣かれたこともありました。

(親とはめちゃくちゃ良好な関係ですが、その当時の私はすごく母を泣かせてしまったという罪悪感がありました)

だからこれまで「ワガママな自分=悪」と抑え込んで生きてきました。

友達関係でうまくいかなかったりしたときも「自分がワガママだから…きっと誰も仲良くしてくれない」って思い込んだりと、私の自分のイメージに

「りか=ワガママ=悪」

ワガママなことが自分の真ん中に住み着いて生きてきました。

そしてそんな自分に罪悪感をもって生きてきました。

でも、あえてここで宣言させてください。

私はこれからもワガママな自分として生きていきます。

ワガママとは決して自分本位に生きるってことじゃなく

人を傷つけるってことでもなく

もちろん社会性もあった状態で

「自由になんでもやって良い」

「制限をかけない」

「自分の欲求を出していく」

「やりたいことをやって生きていく」


ということです。

ここでぐっちさんが

ぐっち)りかちゃん、なんかこういう人を象徴するキャラクターかなんかいない?


って言ってくれ、一緒に探すことになりました。


今やっていることが今後どうなるかはわかりません。
人はいつ死ぬかもわかりません。
明日死ぬかもしれない。

だからこそ、後悔せず私はやりたいことを全部やって生きていきたいんです。

そしてどこかで私の生き方をみて

「あ、私もこうやって生きて良いんだ」

「あ、なんか私もやれそうな気がする」


そういう人に

私は自分の生き方をもって、

ほらあなたもやってごらんよ」
「きっとできるよ〜

って思って自由に生きられる社会を作りたい。

常識とか制限とか当たり前とか既成概念とか取っ払って一旦自由に描いてみる。

大人から与えられた価値観や社会性は必要。

だけれど
自分を大切にしながら優しさを自分なりに表現していく。

子どものような
もって生まれた純粋な気持ちと

”好きなことを好きだ”っていうシンプルな好奇心。

ちょっとしたユーモアをもって生きていく。

あなたはどんな自分を生きていきますか?



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りかちゃん|新庄りか
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