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チェルシーの終売と推しについて考えた

お菓子のチェルシーの終売が発表された。SNSでもショック!という声が大きかったようだ。

昔からあるお菓子がなくなる…確かにショックを受けるけど、正直チェルシーを食べたのは10年以上前だと思う。下手したら20年近く…かもしれない。

高校生のとき授業中にお腹がならないように(なんてかわいい理由…)休憩中にアメをなめることが定番となっていて、友達と分けっこしたような思い出がある。
定番のバター味を覚えているし、ヨーグルトの爽やかな味を私は好んで食べていた。

CHEMISTRY(ケミストリー)という2人組の歌手が好きだった。あるときチェルシーのCMに彼らが出ていて、チェルシーの曲(CMで使われていたおなじみの曲)をCHEMISTRYが歌っていて驚いた。2人のハーモニーが素敵だった。当時出たアルバムにはその曲も入っていて、短い曲なんだけど何度も繰り返して聴いていた。

でもチェルシーのアメは買っていなかったなぁと思う。

今、チェルシーは買いだめされて高額転売されているらしい。そのエネルギーがあれば終売になってなさそうだけど、みんなもうなくなると知ってから惜しくなるようだ。

近所の本屋が閉店することになったのだけど、最近その前を通るといつも満車になっている。いつもあんなにスカスカだったのに。平日に行くと、店内で流れているアニメの声が響いてるくらいお客さんいなかったじゃないか。
閉店すると知り、みんな訪れているようだ。
最後に何か買おうとしているのか、急に惜しくなったのか。

やはり推しは推せるときに推せというのは絶対に正しいと思った。


おわり


本屋の閉店のはなしはこちら

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