ビッグイシュー講談会、再開。
2ヶ月の休演を経て、昨夜6月29日、「ビッグイシュー講談会」がそろりと再開した。とはいえ、まだまだ通常開催は難しい。積極的な告知は控え、感染予防対策をしたうえで、完全予約制の小規模な会として開くこととなった。
「ビッグイシュー講談会」とは――。講談師の玉田玉秀斎さんが「講談を通じて、何か社会貢献ができたら」と企画してくださり、2019年1月から月一回の会として、大阪市中央区のカフェ「周(amane)」(←とても素敵な会場なのです)で始まった。ビッグイシューや販売者さんの半生をテーマにした講談が披露されるほか、なんと収益の一部をビッグイシューに寄付し続けてくださっている。
また、玉秀斎さんは「販売者の方々に伝統芸能を楽しんでいただけたら」と当初から販売者さんたちを会場に無料招待。そうしてプロの講談に触れた販売者さんの中から「講談をやってみたい」と声があがり、「ビッグイシュー講談部」が結成されたのが2019年夏のこと。快くご指導を引き受けてくださった玉秀斎さんのご厚意のおかげで、ビッグイシュー講談部のメンバーは目標ができ、日々のモチベーションが上がり、とてもイキイキとして見える。
昨夜の会の始まりは、玉秀斎さんのお弟子さん・玉田玉山さんによる「玉田玉山物語」から。大学入学に合わせて京都のアパートで一人暮らしを始めた玉山さんは、ご近所への挨拶用にとお母さんが用意してくれたお菓子をなんと・・・・。たくさん笑わせて頂いた。
続いて、「ビッグイシュー講談部」の部員でビッグイシュー販売者の玉玉亭播秀さんによる講談「私の思い出の一冊」。独特のリズムや間合いの取り方は、播秀さんならではの味わいがある。笑いも沸き起こっていた。
その播秀さんが挙げた"一冊”は、2019年8月発売の「ビッグイシュー365号」。特集は「漢字を包摂した日本語」。文字の成り立ちの歴史やその面白さに触れたこの特集は、書道が得意な播秀さんらしいセレクトなのかもしれない。播秀さんの販売場所は、大阪・梅新交差点そば。
続いて高座に上がったのは、大阪・淀屋橋で販売をしている玉玉亭壱秀さん。同じく「私の思い出の一冊」を講談で読んでいく。練習熱心な壱秀さんの一席は堂々としていて安定感も増してきた。
壱秀さんの “一冊”は、ミュージシャンの斉藤和義さんが表紙を飾り、インタビューに応じてくれた2011年の「ビッグイシュー178号」。この号はもうsold outながら、もし淀屋橋を通る機会があれば、ぜひ壱秀さんにこの一冊を選んだ理由を聞いてみていただけたら――。
お次は、玉田玉秀斎さんと編集部スタッフによる「どこよりも早い最新号紹介」。6月15日号の「コロナ禍で、世界の路上は」と、7月1日号の特集「タネ、食の安全保障」について話す。過去100年で世界の「在来種」の種苗が75%消滅したという一方で、各地で在来のタネを守る活動をしている人たちがいる。F1種と在来種とは? 育てた作物からタネが採れなくなる? タネを取り巻く状況は今どうなっていて、これからどうなっていくのか。私たちが生きていくうえで欠かせない”食”、タネについての特集だ。
そして、会のトリを飾るのは四代目 玉田玉秀斎さんによる「ビッグイシュー講談」だ。ビッグイシューの成り立ちや、路上生活を経験した販売者さんの半生を玉秀斎さんが丁寧にヒヤリングして講談として語る。
事実をベースとしながら脚色も加えつつ、"物語”に編み直して読んでいく。時に笑いがあり、時に涙もある。そうして、誰かの人生やその時代の出来事を継いでいく。今夜は、とある販売者・タクヤさんの人生を読む4回目。幼少期、10代、自衛隊員時代、農業従事者を経て、さて、今度は何に直面したのか――。うー、気になるところで「この続きはまた次回」とお預けにされるのが講談のお約束。客席一同、「えーっ」と声を揃えるのがまた盛り上がって楽しい。(ちなみに豊臣秀吉の物語は700時間にも及ぶのだそう。1回2時間の会なら完結まで350回! 349回もお預けにされるのだ)。テレビもラジオもない時代、こうして講談師さんが抑揚をつけて語ってくれる物語は、続きが気になって気になって仕方がない大きな娯楽の一つだったのだ。
講談×ビッグイシュー。ありそうでなさそうなこのコラボが、いろいろな人の思いを重ねながら続いている。来月も小規模で開催予定です。
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