見出し画像

我慢は美学なんかじゃない。

どんなに辛くても、どんなにしんどくても、我慢して頑張り続ける。
弱音なんか吐かずに、一人でどうにかしてみせる。我慢こそが美学。
そして、それが明日へと、成功へと続いていく。

中高生の頃の私は、そう信じて疑わなかった。
こういう生き方こそが、美しくて、強くて、かっこいい。
当時の私はそういう生き方に憧れていたし、だからこそ、無理して我慢してまでも頑張ることにそれなりに価値を感じていたんだと思う。

中学生の頃でいうと、受験勉強なんかが一つの大きな代表例である。
本当に勉強よく頑張ったよなーと今の私は思う。
高校受験の為だけの勉強。偏差値の高い高校に入るためだけの勉強。
今となっては、何一つ覚えていない。

なんのためにあんなに必死に勉強してたんだろうね。
今の私はそう思う、それは何故なら、世界が広がったからなんじゃないかな。
とにかくあの頃の私の世界は本当に狭くて、勉強が全てだった。

あとは部活も相当きつかった。
私はテニスが好きだったから、中学の部活でソフトテニス部に入ったのだが、その部活の顧問がTHE昭和みたいな人で、日によって機嫌は変わるは、ミスすると怒鳴るわで、とにかく高圧的な態度で生徒たちを従わせようとする人だった。
その顧問にとっては試合で結果を残すことが全てで、居心地が悪いなと私が感じたのはきっと顧問と私の価値観にズレがあったからだと思う。

私はただテニスを楽しみたかった。
でも、その部活に入ったからには顧問の方針に従うほかなかった。
だから、我慢して頑張り続けた。結果、あまり良い思い出ではない。

高校から海外のインターナショナルスクールに進学した時も、勿論「我慢こそが美学」のマインドだった。
みんなに追いつくためにも人一倍頑張らなくては。
どんなに辛くても、弱音を吐いたら駄目だ。

こういう考えのもと、私は無理して我慢して、大丈夫なふりをして頑張り続けた。
そして、案の定、心も体もぶっ壊れた。

我慢は美学なんかじゃない。絶対違う。今の私にはそう断言できる。
おかげで、私の高校生活は青春とかいうものからは程遠いものになってしまったけれど、早いうちに気づけてよかったと思う。

無理して我慢して頑張らない。
辛い、やりたくないという心の声を無視しない。
自身の心の声に従う。

結局、ただそれだけなんだよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?