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「考えること」は「表現すること」

 コロナの流行により、政府からは緊急事態宣言が出されて約1か月弱。私の生活は180度変わってしまった。

 それまでアルバイトを2つ掛け持ちしていたが、どちらも休業になってしまい、自宅待機扱いに。唯一の救いは、4月から新たにインターンを始め、在宅で仕事ができるインターンのため、少し忙しくしているくらい。

 しかし1日の大半を家の中で過ごすことになり、今までとは違う生活になってしまった。テレビを点ければコロナのニュースで溢れ、一方他のテレビ番組は再放送のものが多くなり、現在と過去を行き来している気持ちになり自分が今どの世界に属しているのかわからなくなる。

 唯一の楽しみは、1か月以上前から始めた筋トレとランニング。(ランニングはもちろん人の少ないところを走っている。)最近成果が体に出てきて、なかなか楽しい。体を動かすことはもともと好きで得意だが、家に引きこもりがちで、しかも頭の中で様々なことを悶々と考えることの方が多いため、メンタル的にやられてしまうことが多く、メンタルを良くするためにもこの2つを始めた。
 筋トレとランニングを習慣化されると、2つできない日があっても体とメンタルの調子を維持できるようにもなってきた。

 しかしやはり家の中で過ごすことが多かったり、スーパーや銀行に行くにも感染のリスクはあるため、自粛疲れや緊張感からは解放されない。自分の目の前に繰り広げられた現状に、思うこと・考えることは山ほどある。そして、また悶々としたりもするのだ。

 ある日、自粛疲れが出てきた時、悶々としながら近所のスーパーに買い出しに行った。行く途中に居酒屋さんの前を通るのだが、その日、店の前にこんなものが出ていた。

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 いつもは素通りするが、思わず立ち止まってじっと見てしまった。

「新型コロナと闘う、消防 医療従事者の方々ありがとう」

飲食店はとくに居酒屋さんは客足が遠のき、営業時間短縮のせいでただでさえ大変だというのに、このようなメッセージを出せる心意気と優しさに私は心打たれた。

 そして、それまで自分は物事を頭の中で悶々と考えている、ただそれだけだったことに気付かされた。この居酒屋さんは、自分たちが考えていたことをメッセージとして社会に発信している。それは自分たちのステイトメントや立場を明らかにすることと同じなのではないだろうか。

 「考える」という言葉は、「頭の中で考える」「自分の中で考える」と表現することが多い。そのため、考えることは自分の中で完結させてしまうと捉えがちだ。私はまさにその「自分の中で完結させてしまう」ひとりだったのだ。
 しかし自分の中だけで終わらせていたら、現実はなにも変わらない。せっかく考えていたものが、白紙になってしまう。だからこそ、居酒屋さんはホワイトボードにメッセージを書いて、それを伝えるということを行動に移したのかもしれない。

 居酒屋さんがとった行動は、自分たちの思いや考えを相手にメッセ―ジとして伝えるというひとつの「表現」なんだと私は思う。今考えてみると、これはごくごく当たり前のことだと思うが、私の中では点と点が繋がった感覚がしたのだ。

「考える」ことは自分の中だけで完結するものだけではないこと。
「考える」ことは「表現する」ことだと。
考えることと表現することは表裏一体なのかもしれないということ。

これから先、私たちの生活はどうなるかわからない。だからこそ私たちは自分たちの目や耳や頭で様々な情報をキャッチして、考えなくてはならない。
今までは私たちは考えなくてもなんとなく生きてこれた。しかしもうその時代は終わった。私たちは自分たちの生活、社会、世界について深く考えなければならない。
しかしその時に、自分の中で考えて終わるのではなくそれを他人と共有すること、伝えることが大切になってくるんだと思う。それはどんな方法でも構わない

議論でもよし、絵を描くのでもよし、音楽にするのもよし、論文にするのもよし。

なんでもありだ。そうやって他人と様々な考えを交し合っていくことによって私たちの世界は日々再構築され続けるのだ。

近所の居酒屋さんは、悶々と自分の中だけで考える続ける私にその大切さを教えてくれたと思う。だからこそ私は今回、このnoteに少し勇気を出して書いてみる。

コロナがおさまったら、あの居酒屋さんに行ってみたいな。

#コロナ #考える #表現する #居酒屋さん


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