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一年で右脳が最も爆発する期間の始まり

匂い、それは、五感の中で唯一大脳辺縁系と直接つながっており、それがゆえに、本能的な行動や喜怒哀楽などの感情といったものを呼び起こしやすいらしい。

特定の匂いが、過去の記憶や感じたことをじんわりと、しかし、克明に思い出すことをプルースト効果という。


個性が強すぎてはっとするほどの沈丁花の香りが街に満ちるとき、私の右脳は春の到来を知り、

社会の荒波に飛び込む前に少ない経験から見た世界の、若き日の想いに溢れる。



カズオ・イシグロの新作が出ていると知り、まずは、Never let me go(邦題:私を離さないで)を再度観た。


臓器提供のために造られ、二十歳位でその任を完了する、と、11歳そこらで、知らされる彼らは、「死が身近に迫ってくる生」を彼らなりに生きた。

最初に見た当時は、その切ない設定と、共に生きた友が完了していく流れが単に悲しくて、大きなショックを受けながら、割と多くの涙を流した記憶がある。

何より、当時の自分としては、自分の「死」など一切意識していなかったというのが土壌だと思う。


あれからだいぶ時が経って見た今の最初の思いは、、、苦しいという気持ち。

何が苦しいんだろう。

全然違う風に感じている自分に驚いてもいる。


死を意識して、彼らなりに生きた様を見て、自分と重ねられる部分が多くあるようになったのは大きな変化だと思う。

世の人は、「コロナ」で否が応でも「死」を意識せざるを得なくなったが、個人的には、その前から「死」を意識したできごとがあった。

「死」という、自分の「生」の完了を突き付けられた時から、真面目に自分自身に向き合わないといけないと強く感じた。

長く生きたいというわけでは決してなく、純粋に、自分が本当にしたいことをきちんとしていくという、世の中にごまんとあふれているメッセージを、自分のこととして感じ、自分が変わったのは後から思えば、それがきっかけだと。


若き日強く決めていたこと、それは、太く短く生きる。

自分らしさを全開にして、世界に沈丁花のごとく、強烈な香りを放って去る。

そういう決意だったはずなのに、いつしか、そうではない状態になっていて、あと5年もすれば死ぬだろうなとさえ感じていたこともあった。「私」の「死」が迫っていた。そう理解するようになった。


そういう意味では、その構造から抜け出た私が、

Never let me go の中で、National Donor Programmeという枠組みから抜け出ることなく、無限の可能性の中で個性を発揮するという「生」を知らず、資本力に優れる人々から仕組まれた臓器提供という機能を完了して死んでいく彼らが苦しくてしょうがなかった。のかもしれない。

この作品は救いようなく終わる。

それによって、考えさせられる。


右脳が爆発する期間の、この悶々とした暗い気持ちになるのも嫌いじゃない。鬱屈した、個性顕示欲が溜まっていく過程の必要な、ある種の儀式みたいなものだ。



新作は似たようなテーマだが、AI方面らしい。

Detroit Become Humanにも通ずる思考回路になるであろう。楽しみだ。

次回は、エヴァについての整理と、書き溜めた過去の作品についても書くと予告しておく。


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