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正月に実家に行った際、古い古いポスターが入ったフレームが出てきた。 せっかくだから新調しようと持って帰ってきた。 WEBでポスターを選んでいてもどこかしっくりこなかった。 そんな時、自分の写真をプリントアウトすることを思いついた。 出力費は購入とほぼ一緒で、思い入れのある写真を飾ることができたいい感じ。 利用したのは、ソクプリ。対応も早くおススメかも。 ちなみに、出力したのは、アマルフィの朝散歩したときに偶然映り込んだ現地ロードのお兄さん↓
朝の60秒運動からの5分瞑想が最高にいいと聞く。 通勤時間よりも大層短いこの時間で一日がエネルギー漲るものになるならばいいよね。
強い祈りを送り続ける水面下で、心の奥では、いつかその時が来てしまうのではないかという、つらい未来の想像は確かにあった。 そんな中、その知らせはやはり突然で、起き掛けの無防備な脳に、大きな重りをたたきつけた。 昔、自分の人生をじっくり共にした大切な人が、逝った。 小学校の同級生だった。 彼女はそのころからすでに音楽が自分の輝きだとわかっていて、音楽に本当に純粋で一途だった。 校歌の伴奏のピアノは決まって彼女だった気がする。 冬でも半ズボンの鼻垂らし小学生だった当時の
身体性:自分がそこにいるという要素。その場所で五感を通じて感じる状態になっているかということ。まだまだ視覚聴覚での疑似体験であるデジタルで、いかに五感全てを使える状態にできるかという挑戦へのハードル。 例えば、岬で感じる風と海のにおい、太陽の眩しさ暖かさ。
匂い、それは、五感の中で唯一大脳辺縁系と直接つながっており、それがゆえに、本能的な行動や喜怒哀楽などの感情といったものを呼び起こしやすいらしい。 特定の匂いが、過去の記憶や感じたことをじんわりと、しかし、克明に思い出すことをプルースト効果という。 個性が強すぎてはっとするほどの沈丁花の香りが街に満ちるとき、私の右脳は春の到来を知り、 社会の荒波に飛び込む前に少ない経験から見た世界の、若き日の想いに溢れる。 カズオ・イシグロの新作が出ていると知り、まずは、Never l
沈丁花 街を歩くとふと香る あそこにも 濃い緑の葉に映える白と少しの紫 見た目以上の強い存在感を解き放つ 沈丁花も蝉だって 花咲く瞬間に強烈なほどまでに輝く それ以外の長い長い期間には存在を忘れられながら うつろう季節と感じる心 忘れないでいたい
既に2021年が始まって一か月が終わろうとしている最後1月の週末。 一か月は一年の約8%。まだ8%と思うか、もう8%と思うかはコップの問題。というか、一年という単位で考える必要がすでに無い時の流れに我々は入っている。 そんなことはさておき、今年の抱負は「跳躍」と決めた話をメモしておく。 その前に、noteの更新を久々にするのに際して、やはり気持ちの整理が必要だと思い、それも備忘録しておく。 2020年、コロナ禍において、様々なコミュニケーション回路が断たれた。外出禁止
先日Amazon Kindle Paperwhiteが逝った。新しいものをすかさずゲットしたら読書が進んでしょうがない。少しずつまた感想や意見をアウトプットしたい。 #読書
小人から大人になる過程で、社会的人間としてのルールとマナーを身に着けていき、固有の感性や輝きといった「個性」は円磨させられ、気づけばつまらない大人になっている。 尖れば尖るほど、周囲の目が気になってしまう社会的境界線の中。 他人のことを気にしている暇があったら、自らの生きた意味と証をどうにかして残そうと有限の時間を使おうとしたい。 大丈夫、どうしたって、他人の個性は、波のようにしか自分にかかってこない。 In the process of growing up to
今日はなぜかハイ なぜかではなく、 理由はもちろん自分ではわかっている。 それを他人に言うと、あきれられることも分かっている。 それをあえて言うこのnote。 濃い自分を出す練習。さぁ。 昨日、ネットサーフィン中に、出会った。 カルピスのバナーだった。 インフィード広告として「これも読みたい記事」の一つとして佇んでいた。 複数あった画像の中で、彼女はおもむろにそして凛としていた。 そして、なにやら、物憂げな視線で自分を見つめている。 目が合って、しばらく
#WeeklyOchiai でも言われた「他者の尊重」に尽きる。他人を攻撃する暇があったら、いろんな側面でその話を見た方がいい。 ← 「極論ばかりのネット民」と「炎上で儲けるマスコミ」は反省を #山口真一 #炎上 #石打ちの刑 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72925
イシューから始めよの時も感じたが、結局この「日本がいよいよやばい、という課題意識」を本気でとらえて行動に移している人がほとんどいないのだと思う。 どうしたらそれが広がっていくのか、行動に移させるのは、主に政治家の仕事だと思うが、これほど結果が出ていないということは、その点での課題意識がないということだろう。 GDPは国民全員のぼんやりした数字ではなく、自分自身がどれだけ付加価値を生んだかであり、そういうモチベーションを持った人が割合として少ないことが証明されているようなも