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センチメンタルを味わおう〜蓮見圭一「美しき人生」
ココイチの3辛カレーをはぁふぅ言いながら食べたあとの数日は、あっさりとシンプルに玉子がけごはんを食べて落ち着きたくなります。
小説だって同じです。
作家自身の境遇の特異、題材・設定の特異、文体の特異など、いわゆる刺激的?な小説を読み漁ったあとは、脳内を駆け巡る混乱を鎮めてくれる正統派の物語がうってつけです。
好きな作家が十何年ぶりに長編を出しました。蓮見圭一さんです。
「水曜の朝、午前三時」「かなしぃ」など、蓮見さんの物語は振り返り系が多く、センチメンタル濃度が濃いのだけど、年のせいか無条件にハマってしまう。
ジョージ・ハリスンの「Wtat is life」から取ったとかいう「美しき人生」
このタイトルだけを聞くと、あまりにもストレートで衒いがないため敬遠してしまうかもしれません。
でも、描かれているのは、「若さ」にもれなく付いてくるためらいや強がりや後悔や、そして情熱で、おそらく自分自身にもあったであろうこれらのひとつひとつを振り返ってみたくなる。
若い人間の時間は限られています。しかも大事な時間はほとんど一瞬です。極限すればそれが人生だという気さえします。
彼女を抱きながら、自分は馬鹿だった、何て時間の無駄使いをしていたのかと悔やみました。もっと早くこうすべきだったのに、公園で犬の頭を撫でたり、駅前の書店で立ち読みをしたり、ああでもないこうでもないと迷っていたのです。
どんな話?と、あらすじをここで語るのは野暮というもんです。
だって自分の青春時代をたった100文字のあらすじで語れますか?語れるわけがありません。
人生はすべてディテールの積み重ねで、あのときのあれが、後にこれとつながって、あのときの後悔がのちの情熱につながって、一度きりの出会いのあのひと言がいつしか大きな影響となって立ち現れてくるのですから。
こうやって思い出すのはセンチメンタル?
この小説をオヤジたちの懐古物語、と切り捨ててしまうのは簡単です。
でも誰にだってセンチというひと言で放り投げてしまうには惜しい宝物を抱えています。
最近思います。
テレビで昔の映像〜例えばビートルズ来日コンサートで泣き叫ぶ少女たちや、ジュリアナ東京で恐る女性たち〜を見ると、ああこの子たちは今何才なんだろう。もうおばあちゃん、なんだ、と。
そんな一人ひとりに「美しき人生」があったんだなと感じ入ってしまうのです。
だから、気恥ずかしいかもしれませんが、思いっきりセンチに浸ろう。
過去を語りながら、未来への希望を抱かせてくれる、本当にステキな小説です。