「エルピス-希望、あるいは災い−」は「それでも」と言い続ける力強さを示してくれる
【絶望もしばらく抱いてやればふと弱みを見せるそのときに刺せ】
「エルピス ー希望、あるいは災いー」を見終わってじわっと思い出してしまった、木下龍也さんの短歌です。
何度も何度も踏み潰されそうになった絶望に、最後の最後、小さなひと刺しをして、かすかな<希望>を見出した、見事なドラマでした。
未だ余韻に浸っています。
サブタイトルである
「ー希望、あるいは災いー」の【あるいは】が最後になって効いてきました。
この、あるいは、は接続詞なのか副詞なのか。
接続詞ならば、希望か、災いか、どっちか、になるし、
副詞ならば、希望かもしれない災いなのかもしれない、になります。
「エルピス」の結末は、そのどっちとも取れる感じで、
でも、エピローグにワンシーンだけ挿入された、
新聞記者らマスコミによる(もみ消しをした)副総理への追及、
「まだ終わっちゃいませんよ」は、
それは<希望>という選択を感じさせてくれるものでした。
追及される側(権力側)にとっては、
その追及は鬱陶しい<災い>かもしれないないけれど、
これまで(現実社会では)そんなのばっかりでうんざりさせられてきたことに対して、もう終わりにしましょう、というメッセージのようで力強い。
「エルピス」で描かれた大きなチカラの横暴は現実でも同じで、
【しょうがない】とあきらめてスルーしてしまうばかりだったけど、
「エルピス」では
【それでも】と、<希望>に向かっていた。
深い池の底へと引きずり込まれるように沈んでいく【しょうがない】を、
手を伸ばし、ひとりのリーチじゃ届かなければ何人かが手をつなぎあって明るい水面に引き上げる【それでも】の推進力。
そんな【それでも】のチカラを、
エンタメの中で描き切っちゃうなんて、渡辺あやさん、すごい。
渡辺あやさんは、以前の「今ここにある危機とぼくの好感度について」でも、
【しょうがない】のひとつ、「善人の沈黙」についてメッセージしていた。
おかしな政治家の言動や不正、どこを向いているかわからない政策にも
【しょうがない】で終わらせず【それでも】と言い続ける。
大げさじゃなく、この「エルピス」をきっかけに【それでも】物語が増えていきそうな気もしていますし、増えていって欲しいと思います。
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