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私の美(26)「金閣寺は美しいのだろうか?」

 京都太秦に実家があったせいか、嵐山や嵯峨野…等々の観光名所が身近にあり、それらは日常生活の一部と化し、特段興味を持つことなく過ごしていました。金閣寺もまたそうした日常生活の近くにあり、名前は知っていたものの、わざわざ訪れはしませんでした。生まれてから京都を離れる25年間で、一度だけ訪ねたことがあるとは思いますが、記憶は定かではありません。
 小説を貪るように読んでいた高校生の頃、三島由紀夫さんの「金閣寺」を読み、本作を原作とした映画『炎上』(監督:市川崑/主演:市川雷蔵)を観て、金閣寺を巡るある視点を知ることになりました。金閣寺の煌びやかな「美」に取り憑かれた学僧・溝口の金閣寺への執着と怨念が描かれたこの作品は私を魅了しましたが、ある一点、「金閣寺ははたして美しいのだろうか?」という疑問が残ったまま今日に至っています。
 御室や鳴滝の山を背景に金色に輝く金閣寺は、もちろん驚きをもたらしてくれます。特に雪景色の金閣寺ほど綺麗なものはないでしょうが、美しいかと訊ねられると、即答できません。
 三島由紀夫さんの「金閣寺」を巡る主人公の心のなかの葛藤は、小説としては十分楽しめ理解できますが、主人公が何故そんなに金閣寺を美の象徴のように捉えたかの部分が、私のとはズレています。
 室町幕府三代将軍の足利義満が山荘北山殿を作り、金閣を中心とした庭園や建築物を建て、極楽浄土を現したとされ、北山文化の中心になったようです。義満の死後、夢窓国師を開山として鹿苑寺となりました。なので、あの金色の建物は鹿苑寺金閣が正式名称です。
 14世紀後期、室町時代の政治、経済や文化の最盛期に花開いた北山文化の象徴として金閣寺を捉えると、当時の人々は驚いたに違いありません。それは豪華な美とでもいえる驚きだったと思います。能の観阿弥・世阿弥、狂言、水墨画、連歌、太平記などの五山文学……。日明貿易や禅文化を通じた多様な文化が花開いた北山文化の象徴ですから、躍動する京都の町に現れた金閣寺の視覚的インパクトは大きかったと思います。
 この14世紀末から15世紀始め頃の絢爛豪華さに現在も目を奪われるのは分かりますが、私はそこに華やかな「美」ではなく、その真反対にあるどこか鄙びて偽りの「美」を感じてしまいます。あの三島由紀夫さんの「金閣寺」の主人公・溝口は、実は絢爛豪華な金閣寺に対してではなく、自分の心の中の鄙びて偽りの「美」に執着や怨念を抱いたのではないかとも思ってしまいます。
 イルミネーション流行りの昨今、イルミネーションを見て綺麗だとする人が多くなっていますが、あのイルミネーションもまた、煌びやかだなとは思いますが、実は心底美しいと思ったことがなく、この鄙びて偽りの「美」に近いような気がしています。
 臨済宗相国寺派の鹿苑寺金閣の黄金の輝きを、夢窓国師はどのようにとらえていただろうかと、調べてみたいと考えています。中嶋雷太

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