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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(31)「夕暮れの富士山に思うこと」

 湘南の片瀬海岸に引っ越しておよそ一年が経ちました。荒れた天候の日以外には必ず浜沿いを散歩しており、箱根あたりに雲がないときは、富士山の姿がクッキリと見えます。一年を通しいつも異なる風情をまとう富士山の姿に癒されてきたようです。
 東京の国立市に住んでいたころは駅前に富士見通りというまっすぐな道があり、その向こうに富士山の姿がたまに見えていました。世田谷のときは近くの世田谷代田駅の西、環七の上をまたぐ通りからその姿を拝んだものです。こんなにも富士山に縁があるとは思っていなかったのですが、ひよっとすると私の無意識の底に富士山を愛でたいという気持ちがあるのかもしれません。
 実家のあった京都では富士山を実感することなどできませんでしたが、幼いころ、祖母から教わった百人一首で富士山を愛でる心のあり様を見つけたような気がします。山部赤人が詠んだ和歌「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」です。
 この山部赤人は西暦700年ごろに生まれ聖武天皇時代の宮廷の歌人だったといいます。 平城京以前の人物なのにどうやって田子の浦まで足を運び、この和歌を詠んだのかは山部赤人の研究者の本を読めば分かるのでしょうが、富士山についての情報が限られていた平城京初期のころに、田子の浦から見える富士山の美を彼に語り教える人物が何人かいたのだと思われます。
 百人一首に編まれたこの和歌は西暦1200年ごろに編まれた『新古今和歌集』に選ばれたものですが、元々は西暦800年ごろに編まれた『万葉集』に選ばれたもので「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」とあります。
 世の中には富士山ラブな方々がたくさんおられると思われ、それぞれに感慨深い印象を持たれているものと想像しますが、私にとっての富士山は壮大とか綺麗な姿といったありきたりな言葉では表せない存在のようです。
 日々、良いことや悪いこと、そして何もない平々凡々なことがありますが、感情の起伏をなだめてくれる存在ではないかと考えています。特に、湘南の片瀬海岸に住んでいると、その変幻自在な姿が日常にあり、日々変化する一幅の絵巻物のようです。
 自分が住んでいる土地には、それぞれに心を映す山や川があると思います。大都会なら古い建造物や護岸工事で固められた川なのかもしれませんが、それはそれ、富士山のようにたとえ有名ではなくとも、日常生活にある風景をもう一度思い返すと、何でもない風景に癒されているだろうと思います。風景が情景となるわけですね。何十本もの電線を支える高い電柱の上に白い雪が降る情景もまた良いものでしょう。中嶋雷太

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