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『知の旅のすゝめ』

 「学び直す」までに、私たちは個人史で様々な事柄をすでに学んでいるので、そこに「学び続け」も合わせてという考え方も添えてみてはどうかとふと思い、ここに「知の旅のすゝめ」を綴らせて頂きます。
 学際的(Interdisciplinary)であるべきだと、noteの別稿で綴ったことがありますが、この「知の旅のすゝめ」はその実践例のようなお話です。つまり、一つの興味からどんどん興味を広げてゆく終わりのない旅のお話です。

 幼児の頃-もちろん自分の幼児の頃のことなどほとんど記憶にはありませんが-私たちはこれから成長する為に必死になってあらゆる感覚を学ぼうとします。そこには、図書館の書架に掲げられた図書分類や小中高大の授業カリキュラムにあるようなカテゴリーなど存在するわけがなく、つまりカテゴライズされた学問に腑分けされているわけがなく、味覚触覚視覚聴覚…あらゆる感覚(器官)を伸ばそうと、実体験しては泣いたり喚いたりする日々を過ごします。とても感情に近いところでの学びなので、そこで得られた感覚はその後根をしっかり張って息づくはずです。
 この実体験を通しての学びを「知性」と呼ぶのを嫌う人もいるでしょうが、私はこの幼児期の学びはとても原初的な「知性」ではないかと思っています。
 こうして私たちはカテゴライズされ腑分けされた学問の枠など知ることもなく幼児期を過ごし成長します。やがて小学校に入学すると学校教育が始まります。そこから私たちは効率的な学びの世界に入ってゆきます。それはそれでとても大切なことで、授業のコマごとに頭を切り替えて算数・国語・理科・社会…等々の上手くまとまった知識を学んでいきます。
 ただ、小中高大と教育を経ていくうちに、私たちはカテゴライズされ腑分けされた学びの枠が、学びの基本的なスタンスだと勘違いを起こしてしまうようです。
 ここから、私の実体験のお話になります。ちょっと長くなりますが、ご辛抱ください。
 これは私のとても個人的な「知の旅」のお話で、実はその旅は現在進行形で続いており、おそらく私が死ぬまで続く旅のようです。その「知の旅」は行きつ戻りつの地図などない果てなき旅なので、ひと筆描きでは到底語り尽くせませんから、ここでは、その触りだけを綴らせて頂きます。
 大学に入学し最初の講義は「文書論」だったかと思います。そこで私はコミュニケーションとは何だろうかと考えました。送り手と受け手、学問でいうと修辞学(何かを伝える学問)と解釈学(どのように理解するかの学問)があるのに気づき、大学の図書館で片っ端からコミュニケーション論や修辞学、解釈学の本を読み始めました。そこで出会ったのが現象学哲学者のエドムント・フッサールと言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールでした。それが、私の知の旅のビッグバンになったと思います。現象学からフランスの哲学や文化人類学や生物学、ソシュールから一旦アリストテレスの「詩学」まで遡り、戻ってきたのがロシア・フォルマリズムという文学運動で、さらに芸術学へと興味が移りました。ここから映画芸術(含、モスクワ座のスタニラフスキー理論など)へとさらに広がりを見せました。1990年代初頭、ポール・ニューマンが会長だったニューヨークのアクターズ・スタジオ(スタニラフスキー理論を元にした演劇論の実践の場)のドキュメンタリー番組に携わるとは思ってもみませんでしたが。
 やがて、心理学にもかなり興味を抱くことになり、フロイトはもちろん、ジャン・ピアジェの発達心理学からエーリヒ・フロムなどの社会心理学まで、心理学の裾野をあちこち歩き回るようになりました。誰かに頼まれたり強制されることのない、荒野をほっつき歩くハイエナのようだったかもしれません。言語学で言えば日本の国語学についてもその流れで学んでみました。ソシュールは日本の国語学にも大きな影響をもたらしたようです。
 フランスの文化人類学を学ぶなかクロード・レヴィ=ストロースの存在は避けて通れず、同時並行して読んでいた柳田國男の著書と読み比べつつ、民俗学へと興味の幅が広がってゆきました。
 また、フランスの生物学関連の本を読みつつ、アメリカの古生物学者スティーヴン・J・グールドの本に出会った私は進化論を含む生物学の世界へと足を踏み入れました。そして、生物学から地球の歴史(含、地球物理学)そして宇宙の歴史(含、宇宙物理学)へと興味がさらに広がりました。講談社のブルーバックスのお世話になり始めのがこの時期で、私の書棚にはブルーバックス・コーナーがあり、日々増殖しているところです。
 生物学から宇宙や地球の物理学に興味を抱くと、その逆に生物についての興味がさらに湧いてきて、逆ベクトルへと知の旅は広がり、生命の起源から進化論、さらにDNAとは何だろうかと、やがて片っ端からDNA関連の本を読み始めました。ここ数年誰もが使うようになったPCR検査についても、その発見者キャリー・マリス博士(ノーベル科学賞受賞)の本をたまたま読んでいて、PCR検査について世の中が騒がしくなっていたころ、私は物静かに彼の自伝を手にとっていました。このマリス博士は本当に破天荒で、面白い人物です。
 そうそう、美学については、父の蔵書にあったフランク・ロイド・ライト(東京の帝国ホテルの建築デザイナー)から広がっていったのだと思います。バルセロナ出張があるたびに、例えばサグラダ・ファミリア等のガウディの建築デザインを見つめては感激したのを覚えています。定宿のホテルと同じ区画にカサ・パトリョがあり、カサ・パトリョを眺めながら朝カフェを楽しんだものです。そして西洋の建築デザインから日本の建築デザインへと興味が広がると禅庭とは何かという興味が湧いてきました。私の実家があった京都・太秦近くには龍安寺や仁和寺など神社仏閣には事欠くことがなく、禅庭や仏閣の建築デザインが日常風景にあったので、イメージし易かったのもあります。その頃ちょうど書籍出版の編集者をしていて、仏教の歴史や煎茶などの編集副担当の仕事を任されており、禅宗と茶道の関係資料もよく読むようになり、さらに原始仏教からの仏教とは何だったかから、日本の原始神道、キリスト教、ユダヤ教やイスラム教へと宗教の歴史を学ぶようになっていました。
 建築デザインから発した美学への興味は、アンドレ・ブルトンたちのシュル・レアリスムへも広がり、マドリードのソフィア王妃芸術センターでピカソの「ゲルニカ」の前でたたずみながら、シュル・レアリスムとは徹底的な現実主義なのだなと腹にスコンと落ちたのを覚えています。  
 その2000年代によく海外出張に出かけたのは欧州サッカー関連で、その頃からスポーツ医学やコーチングなどにも興味が広がり現在に至ります。
 高校時代からバイクに乗るのが好きだったので、知らず識らずに熱力学・流体力学・空体力学…等々を私なりに勉強していたり、大学生の頃には中央卸売市場や喫茶店や中華料理店でアルバイトに精を出していたので、調理したり食文化の本を読んで楽しんだりと、実利的にもあれやこれやと関係する知識を学んでいたようです。そうそう、気象学については、子供の頃から気象図が好きだったのもあり、未だに気象予報士がテレビで明日の天気予報の話をし始めると、スマート・フォンで明日の気象図をチェックし自分なりの予報をして楽しんでいます。理由は、昭和の頃の天気予報は当たらないことが多くて、遠足などが中止になることも多く、父が読んでいた新聞の気象予報図を読み込み、自分なりに明日の天気を考えたのが始まりだったようです。
 国内外の映画・演劇・音楽などのエンタテインメントについては何十年も仕事がら関わってきたので、学びを止めることはなく現在に至っています。

 長々と綴りましたが、これは私の「知の旅」のほんの一部の地図で、各国の政治・経済史や、それに関わる現実的な経済学や政治学。そして生物学から発展して医学などへとその裾野は広大に広がっています。
 何かの職を得るために特定のカテゴライズされたある知識を得ようとする学びは当然あるでしょうし必要だと思います。現に、私がある物語をデジタル発行する際の宣伝用ティーザー作りでは、画像編集、動画編集や音楽編集のソフトを使うのですが、それぞれの編集の仕方を知らないと何もできません。
 ただ、特定の知識を得ようとする以前に自分なりの「知の旅」をして、自分なりの「知の旅」の地図を描いていけばどうかと考えています。

 「その学問を学んではいけません!」とは誰も言っていないのに、私たちの無意識のどこかでそのように言われているような強迫観念が根強くあるようです。ただ、あらゆる学問は連関していますから、一つのカテゴリーを掘り続けていけば自ずとその他の学問領域にも興味が移るはずです。
 日本という国に住む人々が、一人でも多くそうした「知の旅」を楽しむようになれば、この国は教養豊かになり、世界に冠たる素晴らしい国になるのではないかと考えています。いつまでも、試験勉強用の記憶だけの作業に閉じこもらずに、そしてそれが教育だと大いなる錯覚を跳ね除ける時代が来ればとも祈っています。学び続け、学び直しつつ、私なりの「知の旅」を楽しむ気楽さがあれば、一回きりの人生は豊かになるでしょう。
 幼児期に、何も考えず、あらゆる感覚器官を使い貪欲に生きる術を学んでいた頃のことを想像しながら、このお話を収めます。中嶋雷太

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#私の学び直し

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