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私の「美」(1)

 ある物語を書くのもあり、私にとっての「美」とは何かを考えつつ、noteにてだらだらと綴り、これから考えをまとめようと思います。
 何年か前、東京の公立小学校で有名ブランドの制服が採用されニュースにもなりました。あの時、あれこれ議論を耳目にし、どこか浅い議論だなぁと思っていました。採用側の主張は食育ならぬ服育だったと思いますが、その服育に、ロラン・バルト著「モードの体系」などの深い知見はなかったように見えました。
 ここ何年も、Yahoo NEWSなどで、「美脚が綺麗!素敵!」な表現が多いのですが、私には細いだけとしか映りません。世の中は「細い脚=美脚」を良しとしているようです。「痩身=綺麗なスタイル」という価値観に近いのでしょう。
 テレビ番組などで「古いものは美しい」という価値観で語られることがよくあります。確かに、何百年ものあいだ親しまれてきた工芸品や美術品などは、有無を言わせぬ美しさがあるのだと思いますが、一方で「限界芸術」的な美もあります。つまり日常生活のなかにある「美」とでも呼べば良いかもしれません。(詳しくは、鶴見俊輔著「限界芸術論」をお読みください)
 ここまで、いくつかの例をあげつつ、ならば私にとっての「美」とは何だろうかと、考えたいと思います。
 数十年間、成長し社会に揉まれるなかで刷り込まれたり、自ら受容した「美」(「社会的美」とでも言えばよいかもしれません)を探りたいと願っています。一度立ち止まり、「社会は」という漠然とした対象ではなく、私の「美」という、より具体的なものを掘り起こす作業から、歪な「美」や忘れ去った「美」が見えてくれば幸いです。中嶋雷太

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