本に愛される人になりたい(86) 横尾忠則「インドへ」
先日、宮脇俊三さんの『インド鉄道紀行』を久しぶりに再読し書棚に戻そうとしたときです。横尾忠則さんの『インドへ』が「読んで見ない?」と私を誘ってきたので、その誘いに乗って手に取り読み始めました。
横尾忠則さんは、とてもサイケデリックなグラフィックなどを描かれると思っている方が多いと思いますが、本書を読んでいると、彼は自身の捉え方がとても紳士的で生真面目な方だなぁと驚きます。
たとえば、次の一節…「不思議なもので、こうして旅から帰って旅行記を書き始めると、実際の旅では感じられなかった、あるいは考えられなかった様々な事柄がよりはっきり見えてくるような気がする。旅の途上ではただぼやっとしているだけで、見ているようでなにも見ていない。非常に冷めた状態に近いのである。」
私は彼のこの考え方がとっても素直だと思い、スッと私の心に入ってきました。私の場合、二十代後半からの数十年、ロサンゼルスでの海外駐在を含て欧米各国を公私ともども頻繁に訪れ、ミリオン・マイラー、つまり飛行距離が100万マイルを超える生活でしたが、彼の言葉どおり、「旅の途上ではただぼやっとしているだけで、見ているようでなにも見ていない」と考えていました。
日本での日常とはまったく異なる事柄を目の前で実体験しているのにも関わらず、その時々はぼやっとしているだけで、深い意味づけなどしてはいないわけです。「他人は知らないがぼくの場合は、旅行中は本当にぼやっとしていて時間と空間の中を流れるがままに身を任せて、いちいち、ああだこうだと、物事を理屈づけて考えるというようなことは全くない」のです。
ただ、全感覚的に開放していると、その後に紀行文を書き始めると、「忘れものをした場所に次第に近づいてくると全身の感覚がぴりぴりと感じ出すのである。」
1965年。「ビートルズがインドに旅をし、リシケシのマハリシ・マヘシユ・ヨーギの道場で超越瞑想をしているというニュースが世界中に報道された。…まるで脳天をハンマーで一発食わされたほどの衝撃を受けた」彼は長年インドの旅を模索し、やがて旅に出ます。ちなみの、ビートルズはインド体験の後、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」や「マジカル・ミステリー・ツアー」というアルバムを発表しました。
そして、横尾忠則という一個の人間はインドで様々な深みを体感するわけです。(詳細はお読みください)
本書を読み進めると、彼の感性を通して感得された、ヒリヒリとしたインドの断片が生々しく私の鈍った感性に突き刺さってきますが、それこそ本書の面白さです。中嶋雷太