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職場に苦手な人がいる方へ。「クラウン・ゲーム」
職場に合わない人がいる。
今の仕事は好きだしやりがいもあるけど、
どうしても苦手な人が職場にいる。
そんな方は結構多いのではないでしょうか?
今回は、
私が転職先で遭遇した「未知の生命体」のようなその人と仕事をする事でもたらされた人生変わるような大きな気づき、
そしてその気づきによって、
現在日常生活に支障ない程度にその人の事が気にならなくなっていったその経緯について振り返ってみたいと思います。
未知との遭遇
今年4月、
ある広告代理店の面接に受かり、
在住の地方の自治体の行政広報に配属されました。
私より5歳くらい年上?と思われる地元の女性との2名体制、
シフト制で田舎の町役場の広報として働く事となりました。
私はいわゆるJターンで、
コロナ前まではずっと東京住まいで、
個人事業主として委託で仕事を請け負っていましたが、
それを全て手放し、
身体を壊したこともあり、
高校卒業以来の数十年ぶりに生まれ育った町へと戻ってきました。
身体も落ち着いてきたので、
何十年か振りかでパートとはいえ会社勤めをすることになったのです。
配属されて最初の2日間は、
研修もあってその地元女性(仮にAさんとする)と2人での勤務でしたが、
3日目からは交代で1人勤務となりました。
不慣れな1人きりでの勤務は不安もあるけど、
元々人付き合いが得意な方ではないし、
自分のペースで仕事が出来る事はとてもありがたく、
久しぶりの会社勤めとしては良い仕事にありつけた!
と喜んでいました。
私は今、ある国家資格取得の勉強中で、
このパート勤務はあくまで最低限の生活費を得る為の糧、
なので余計な希望や向上心などを持ち込む必要もなく、
与えられた仕事を淡々とこなして必要最低限の生活費を稼ぐ、
それがこのパートでの最優先事項でした。
前職では大勢の人の前に立つ事も多く、
常にプレッシャーを感じながら人と比べられたりして悩んだり..が常だったので、
役場での仕事は余計な心配事やプレッシャーもなく、
また広報という仕事は今までの経験も活かす事が出来て比較的早く仕事にも慣れ、
これからも何もかもが順調に進んで行く......
と思ってました。
平穏な日々に感謝しつつ、
務め始めてから1か月程経った頃、
ある来場者対応から必要を感じて出向先の課長に、
「インバウンド向けに英語の案内版があるとよいのでは?」
と提案したところ、その制作を頼まれました。
以前アメリカ留学していた事もあったので、
簡単な英語には少し自信があり、
案内板をパパーッと一部作り、
「このような感じでいかがでしょうか?
ご確認下さい。」
と掲示した写真を撮り、
出向先の課長に確認メールを送りました。
それに対してOKの返事を貰った為、
その案件は終了、
引き継ぐ必要性もないと思った為、翌日シフトに入っているAさんには引き継ぎしませんでした。
ところが、
この事がAさんの中の何かに触れたらしく、
これ以降、あからさまな私に対する敵対心が見えるようになって行ったのです。
2日後、出勤し職場のPCで
「例の英語の案内板ですが、英文がおかしかったので私の方で直して作り替え、貼り直しました。いかがでしょうか?」
というAさんと課長のやり取りを見つけ、はて?と思い
掲示を見に行ってみるとそこには、私が作った案内板ではなく、
Aさんが作り直したと言う、
意味不明の長い英文が書かれた案内版が貼られていました。
おそらく日本語の言い回しをそのまま翻訳アプリにかけ、
出て来た文をそのままコピペしたのであろう直訳英語みたいなヘンテコな文章….
この英文を見ればなんとなく、どれくらいの英語のスキルなのかはわかります。
なのにそれでも作り直して貼り替える、と言う、
「なりふり構わない必死さ」みたいなものを感じて、
直感的に「これはなんだかヤバいぞ...」
と鳥肌が立ちました。
その時湧いてきた感情は今まで体験したことのないもので
怒りのような恐怖のような驚きのような、
哀れみのような、
いや、
そういうのを通り越して呆れるような、
そして同時に血の気の引くような....
色々入り混じって、
「言葉を無くす」と言う経験を初めて経験しました。
未知との遭遇2
それから数日後、
今度は別件で「音声での案内」が必要な案件が生じたらしく、
Aさんが
「この件は私が最後までやるから」
と言い張るので
(手を出さないで!私がやるの!!みたいな小学生の駄々に近い感じ)
「そこまでやりたいなら」、
と思い任せる事にしました。
実は私はこれまで20年ほど音楽畑におり、
人前で歌ったり喋ったり講師もしていたので、
そのような経験を活かして自宅で作品を制作しつつ、簡単なナレーション録りや仮歌録りも行ったりしている事、
その為、自宅に録音の設備を整えており、
休みの日は音楽制作に勤しんでいる事、
音楽で生計を立てるのは手放したので、外で働き出したのはその様な事も理由の一つだ、
と、
最初の2日間の研修で一緒になった時、世間話程度にAさんにそのような話をしたことがありました。
なので、一般な流れで行くと、今回の音声録音案件は
ナレーションや録音に慣れている私がやった方が早いし適任なのでは?と思いましたが、
私にはなんの相談もなく既に勝手に1人で「自分が最後までやる」と決めていた様なので、
争うのも面倒だと思ったし「もう原稿を練習してる」と言うので、
それ以上は何も言えず…
出向先の課長には
「2人で相談して私がやることに決まりました」とAさんが報告していたのをメールで見ましたが、
もう何も言う気になれず、
その件についてはAさんのご希望通り、
それきり私が触れることはありませんでした。
しかし半月が過ぎた頃、
尋常じゃない様子で、上司がかなり慌ててフォローを入れている様子の受信メールがCCで届き、
やりとりを辿って見ると、
Aさんがまるで自分の夫に対して送る様なキレ気味口調でクライアントにメールを送信しており、
私の知らないうちに大分困った状況に陥っていた様でした。
Aさんが提出した音源にいつまでもOKがでず、やり直しに次ぐやり直しで納期もとっくに過ぎており、
困った出向先の課長がついに
「もう1人の方(つまり私)と半々で2パターンずつ録音してみて貰えないか?」と言い出した様です。
その言葉にヒステリックになったAさん、
「こんなのプロじゃなきゃ絶対無理!素人に出来る仕事じゃない!
なんで私がこんな思いをしなきゃいけないんですか?!
これはプロのナレーターに頼むレベルの案件です!!!」
……..どうやら絶対に私にはやらせたくない様子。
そこまでして私にやらせたくない理由はおそらく私に「花を持たせたくないから」
です。
その後も度々この様なヒステリーを起こしてはクライアントにも迷惑をかける様になり、
「危険人物」とわかっていながらも、この多様性を重視するご時世では、
上司もクライアントも滅多なことは言えない様子。
故に私も仕事円滑化の為、
Aさんを刺激しない様に、Aさんが大人しくご満悦でいられる様に立てながらなりふり構わない負けず嫌いのスイッチがオンにならない様に、
気を使いながら、湧き上がってくるなんとも言えない感情に蓋をして
ストレスフルな日々に突入することになりました。
そもそも私は、
この仕事に最初から何も期待していない。
優先事項は生活費を稼ぐ事...
そう言い聞かせて。
そんなストレスをやりくりしながら過ごしていたある日、
ふと、スマホから流れて来たある言葉に私の身体が反応しました。
意味のある偶然
私は「カード・リーディング」が趣味で、
幾つかカード・リーダーのYouTubeチャンネルを登録しています。
「カード・リーディング」とは、
美しい絵とメッセージが描かれた
「オラクル・カード」というカードを用いて、偶然引いたカードに描かれた(書かれた)事から今必要なメッセージを受け取れるというもの。
ゲームや遊びの類とも言えると思いますが、
一方でそれは、
「シンクロニシティー」(意味のある偶然の一致)とも言え、
例えば外を歩いていて偶然目に止まった景色や看板、本のタイトルなどから
悩みを脱するヒントやアイデアを得られたりする様な事は一度くらいは誰もが経験しているかと思うのですが、
それが単なる偶然ではなく、
本人が必要だと感じとったからこそ「引っかかった」、
「意味のある偶然」であると考えられていて
私はその様なことをとても大切に捉えています。
まるで、
「メンターからの言葉」のように。
メンター:優れた指導者、恩師、顧問、信頼のおける相談相手。
そんなワケで家事の最中や車の運転中など、
普段からそのカード・リーディングのチャンネルを聞き流しているのですが、
その日、そのカードリーダーが発した言葉の中に、
身体中に電流が走るような言葉がありました。
その言葉は
「クラウン・ゲーム」という言葉でした。
「クラウン・ゲーム」
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「クラウン・ゲーム」
聞いた直後は意味がわかる様なわからない様な..
でも「大事な言葉だ」と言う感覚が拭えません。
カード・リーダーの言葉に耳を傾けると、次の様な言葉が続きました。
「クラウンゲームは、1番を競う事。
1番を競うレースや勝負事の事。
貴方の闘いの舞台はそこじゃない。
自分の納得のいく闘い方、
自分と闘っていく別の舞台があって、
1番を競うよりそっちの闘いのほうが意味深いと言う事を、
貴方はもう気づいている。
だからもうクラウン・ゲームからは降りなさい」
この言葉は数日間私の中を駆け巡って、何か大切なことを気づかせようとしている様でした。
そしてついにある考えに至りました。
そうか、
そうだったんだ。
「1番になりたい」
「私の方が上だと知らしめたい」
「私の方がデキると思われたい」
そう思っていたのは、
優劣にこだわっていたのは、私の方だったのだと気付かされたのです。
私自身の中に、優劣に敏感に反応する部分があり、
Aさんの行動や態度の中に「見たくない自分」と同じものを見て、
それで不快感を感じていたのです。
私はAさんと同類だった。
ただ、それを「表に出さなかっただけ」。
あんなに嫌いなAさんと、同じものが自分の中にもある….
それは、私にとってかなりの衝撃であり、
簡単には認めたくない事でした。
でも、
それに気づいたのには伏線がありました。
実は過去にも同じ事があったのです。
一番に拘って必死だった過去
小さい頃から歌うのが好きで、
やっと音楽を仕事にできる様になったのに、
いつしか楽しいと思えなくなり、
気づけば、
「どっが上手いか?」
「どっちが人気があるか?」
「どっちがテクニックが上か?」
「どうやったら一目置かれるか?」
そんなことばかり考える様になりました。
頑張って他人の評価の中の一番、
一目置かれようと努力する日々の中、
移り気な他人の評価に一喜一憂し、
いつまで経っても満たされる事がないまま、
いつしか音楽は私にとって
「逃げ出したい様な」辛いものになっていきました。
頭痛に悩まされながら歯を食いしばって海外留学までしてハリボテを立派にしてその拘りを貫こうとしていた10年。
5年ほど前、あるきっかけを通して苦しみ抜いてそれに気づき、
今度こそ自分の「本当」とつながって自分の足で舞台を踏みしめて行きたい。
この先は心からやりたいと思えることと繋がって行きたい。
丸3年かかってようやく心の底からそう思えて音楽で生計を立てる事を手放し、今の仕事を始めたのに。
場所を変えても、
またクラウン・ゲームにはまってしまっていました。
それに気づくと
心の奥底で声がしました。
「あの音声録音の仕事やりたいよ!」
「今まで自宅環境整えて来たんだから実践で試すチャンスだよ!」
「自信にも繋がるよ!」
「実績としても残せるし、きっと次への一歩になる!
出来る事を臆せずアピールして行こう!」
「出来ないフリしなくていい!」
「気をつかって我慢しなくていい!」
「競わなくていい!」
「大人しくしなくていい!」
「自分のやりたいこと、自分の為に、やりたいって言っちゃいなよ!」
私は、
Aさんが「プロのナレーターでなければ無理!外注に出すべき!」と言っていた音声録音の仕事の件を、
「自宅に録音設備は整っている、私にやらせて欲しい」
と、上司に電話し伝えました。
少し前までの自分なら、なんだかんだ自分に言い訳をして
無関心を装っていたと思います。
ですが今回私は自らの意思で、自分から手を伸ばしました。
トラブルを防ぐ為に私の名前は伏せてもらって構わない、と伝え、
以前からこんなこともあろうかと用意していたデモを送りました。
結果的に私が引き受けることになり、
提出した録音がクライアントから
「プロのようなクオリティーで申し分ない、大変ありがたい」と好評を頂き無事納品されました。
私は自ら意図して行動して「自信」「達成感」「充実感」「実績」を掴んだのです。
今回、自分の心に従って動けた事、
自分の舞台で自分の思うまま「踊れた」事、それは
この上なく清々しい気持ちをもたらしてくれました。
Aさんより上か下か、出来るとか出来ないとか、
本当にどうでも良くなっていました。
得意を活かして最善を尽くし、
その結果として喜んで貰えて、達成感や充実感を得ること。
私が踊りたかったのはそう言う舞台であり、
1番を競う舞台とは別の舞台です。
私はクラウン・ゲームから降りて、
自分の踊りたい舞台を自分で選んだのです。
それを機に、
きっと私の言動から
「Aさんより上に立ちたい」という様なトゲが無くなったのでしょう。
以前の様に私の行動に対しいちいち敏感に反応しなくなった様に思います。
あんなに目障りだったAさんは、もう私の舞台には居ないので姿が見えなくなったのです。
最後に
嫌いな人の、特に目につく「嫌いな部分」は、
実は自分の中にある「見たくない自分」を映し出している。
これは世に言う「鏡の法則」の一面なのだそうです。
そしてそこには、「譲れないもの」が隠されている事が多いのだとか。
その譲れないものを相手が奪おうとしてくるから、
「許せない」
「嫌い」だと強く感じるのだと言う事です。
自分が普段意識しないようにしている自分の見たくない部分。
それを見せつけられるのは、
気分の良いものじゃありません。
でも、
自分の中にある手放したいものと向き合えたなら、
あとは、強く握り締めていた力を緩めていくだけです。
今人間関係で苦しみの中にいる方は、
無意識に自分で発動してしまっている、
自分を苦しめる枠にハマってしまっているのかもしれません。
その枠は「鎧」の様なもので、
「見たくない自分」から自分を守っていてくれたのです。
その無意識の枠から出る、
つまり鎧を脱ぐことはなかなか一人では難しいこともあり、
時に痛みを伴うこともあると思います。
でもそこに向き合えた時、
少し怪しく聞こえるかもしれないけれど、
「ほんのワンステップで軽やかな自分でいられる世界へと
ワープが可能」
です。
自分をそこに連れて行ってやれるのは、
自分だけです。
どうかその勇気を持っていただけたらと思い、
今回の私の体験をお伝えしたいと思いました。
ここ半年での私の実体験を交えてお届けいたしましたが、いかがだったでしょうか?
私の気づきがどなたかの参考になりましたら幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました!
今日も愛しき奉りを♪
Reaching Out♡理詠でした☺︎
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「オラクル」とは「神託」という意味。
日本語の解説書もついているので、迷った時に自分で一枚引いて、
カードからメッセージを受け取ることができます。
<この記事を読んでくださった方へ、オススメの物語>
アニメ『風が強く吹いている』
原作:三浦しをん
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一見よくあるスポ根モノかと思いきや、
10人それぞれが走ることを通して、それぞれの自分の弱さと向き合って答えを出していく姿が描かれていく。
「勝つ為に走る」という競技の世界。
「勝つ」とは?
「走る」とは?「強さ」とは?
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「勝つ」という事の概念をひっくり返してくれた近年最も感動した作品です。
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是非ご覧になってみてください。