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加持と天雷无妄

金曜日です。今週もみなさまお疲れ様でした。

今日は、わざわざnoteに残すようなことでもないという、雑記の投稿です。
(おそらく、今後もそんな投稿ばかりでしょう。)

今週は、喜ばしいこともありましたが、なんとも形容しがたい、残念なこともありました。

まず、喜ばしいことは、年内オープン予定の「CURRY STAND EKA」の資金調達について一段落した点です。商売は希望的観測だけではなんともなりません。特にお金に関しては。カレー屋の開業資金や運転資金、お金の部分がようやくはっきりとしてきましたので、あとは計画性を持って使っていくだけ。「使っていくだけ。」なんて言いましたが、この「使っていくだけ。」が非常に難しいのですが。だいたい予定通りになんていかないものです。予定外の出費、予定より全然立たない売り上げ。オープン後はそんな状況がしばらく続くでしょう。それでも、今、とりあえず資金の目処がついたのは嬉しいことです。「CURRY STAND EKA」は、開業へ向けて、自己資金のほか、国の補助金、借り入れなどで、資金を調達しました。この話もいつかじっくりとしたいと思います。

残念なことは、2つほどありました。
そのうち一つは、どうにもこうにも気持ちのやり場に困るような出来事でした。

私は、嬉しいことも、残念なことも、ただの事象にすぎないので、どちらも一瞬味わって、さっと忘れていきたい、と思っています。

仏教には「加持」という概念があります。
その解釈を正しく伝えられるほどの修行はしていませんが、私なりにこう考えています。

「加持」という言葉を調べると「仏の加護」と出てきます。
「神のご加護」は、最近ではSNSでもよく目にする言葉です。好きなアメリカのバンドの人が「god bless you」と言っているので馴染みがあります。
それに対し、「仏の加護」というのはそんなに馴染みがないように思います。これは、自分に与えられた物、のことをさしています。仏としては、すべてその人のため、と思って、ギフトを与えているわけです。しかし、受け取る側の人間が「これは良いこと」「これは悪いこと」と勝手にギフトを分類しているんですね。

今週私に起きたことも、「嬉しいこと」「残念なこと」と私の感情にもとづいて、勝手に分類しているだけです。でも、本当は、どちらも「ただ自分に起きたこと」でしかありませんし、受け取り方次第では、全てギフトです。

私が「残念なこと」として振り分けた今週の出来事も、きっと受け取り方次第では、「良いこと」となんら変わらないはずです。ただ、いまはちょっとその出来事に面食らっていますから、「残念なこと」のほうに分類中なだけです。いつかそのボックスから「よかったこと」のボックスに移したいです。

気持ちが落ち着いたら「良いこと」だった、「加持」だった、「ギフト」だった、とわかるはずです。今週の残念だった件についても、いつかここで客観的に、感情的にならず、うまく書ける日が来るかもしれませんので、その日が来るのを待ちたいと思います。

易経に「天雷无妄」という卦があります。この卦については、「予想外の良いことが起きる」という解釈がよくなされています。予想外の良いこと、というのは、ハッピー系のサプライズのようなことをイメージすると思います。宝くじがあたったとか、臨時収入があったとか、思いもしなかった大きな契約が取れたとか。

でも、実際、そんなわかりやすいことばかりじゃないと思います。「自分にとっては最悪の出来事だけど、実はそれがターニングポイントだった」とか。予想外の良い出来事というのは、それくらいわかりにくかったり、後になってみないとわからなかったりするものだと思います。(中には後になってみてもわからない人もいるかと思います。)自分が予想できたことが、予想どおりにいくなんてことは、小さいことが多いように思います。本当の大きな変化というものは、そんな簡単に手に取るようにはわからないと思います。小さな水滴が川に落ち、やがてじっくりと時間をかけて大海へと広がっていくようなイメージです。

「天雷无妄」の内容、「今は、心を無にして、自然に身を任せてみるのが良いですよ。そうすることで、予想もしなかった良いことが起きますよ。」と、私は解釈しています。

きっと今週起きた一見して残念なことも、心を軽くして、通り過ぎるのが良いのでしょう。

そう考えていたらお腹が空いてきました。いい傾向です。美味しい夕飯を作って、今週がんばった自分に乾杯したいと思います。

みなさんもどうぞよい週末をお過ごしください。







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