ゆうちゃんのこと2 さらばゆうちゃん。ありがとうゆうちゃん。ファイターズの斎藤佑樹にお別れの時がきた。
ゆうちゃんこと斎藤佑樹投手が、引退を発表した。11年間のプロ野球生活だった。「ハンカチ王子」の名を馳せた甲子園夏の全国大会2006年の田中将大との投げ合い。マー君の話は、上記noteで書いたが、ゆうちゃんのことにはあんまり触れていない。高校時代のゆうちゃんは、北海道のわたしらにとっては悔しい負けを喫したライバルである。
ハンカチ王子は全国で旋風を巻き起こし、早稲田大学へ入学してからもずっと野球界のスターで、いちいち追いかけ回されるマスコミの寵児であり続け、そして2010年10月、プロ野球のドラフト会議、4球団競合の1位指名。
セ・リーグはヤクルトスワローズだけ。パ・リーグ3つで、ファイターズが引き当てた。検索して見つけた当時の記事を見て思い出した。ゆうちゃんと周りのチームメイトたちは、確かに微妙な表情をしていた。北海道は想定外だったらしい(ファイターズは例によって「挨拶」をしてなかったのか、どうだったのかわからないが)本人と周囲もできれば高校時代から馴染んだ東京、関東圏内、なんならヤクルトの神宮球場で野球をする姿を見たかったらしい。
しかも、北海道はだから駒大苫小牧田中将大との因縁の地である。ゆうちゃんは内心心配していたらしい。あちらでは自分は嫌われ者ではないのかと。ゆうちゃんは知る由もない。北海道民は、基本原則ミーハー魂逞しく、全国区のスターが大好きだって。
誰もが知る大スター斎藤佑樹は、ファイターズに入団。大歓迎でもって北海道民に迎えられた。
わたしが、初めて札幌ドームでゆうちゃんを見たのは、いつのことだったのか。2011年もブログで毎日試合について書いてたが、サイトが消えてしまっててもう読めない…。
だけど、わたしは覚えている。斎藤佑樹がマウンドにあがる。リンゴーンリンゴーンと鳴り響く「100%勇気!」のタイトルソングとともに、キラキラしいその輝きを。ゆうちゃんの登板には、とにかく夢があり華がある。わたしは、その瞬間に立ち会うのが大好きだった。ワクワクして楽しい!
だけど、その楽しさのマックスは、2012年の開幕戦に始まり、同年の日本シリーズで終わってしまう。開幕投手に選ばれ完投勝利を得た試合をわたしもしっかりと札幌ドームで見た。ゆうちゃんの本当のプロ野球人生が始まったんだと誰もが信じただろう。しかし、後半戦で故障し、日本シリーズで復帰したその試合も、わたしはスタンドで見ていたが、このまま潰れてしまうのではと心配するほど、投球フォームは、おかしかった。優勝チームに乗り遅れたくない焦りがあったのだと思う…。
以降、ゆうちゃんの成績は芳しくなることはなかった。
(ファイターズHP 選手名鑑より抜粋)
13年からは成績が出る出ない以前の状態で、もしも彼が斎藤佑樹でなければ、もうとっくに契約更新なしになっていただろう。でも、それでもファイターズは、更新し続けた。理由はさまざまにあるだろう。かつてはこれも2002年ドラ1の尾崎匡哉選手が、通算25試合出場ながら2014年まで13年間いたことだってあるファイターズである。
尾崎くんはゆうちゃんほど目立たなかったから、ゆうちゃんのように叩かれることもなかったが、ファンの間では、もうずっといるもんだ的な存在になっていたものである…。
ゆうちゃんと尾崎くんの事情は違う。斎藤佑樹は、とにかく「斎藤佑樹」だからこそ成績も上がらず、体もボロボロになってもなお、プロ野球選手であり続けた。何を言われても何も書かれても文句も言わず、提訴もせず、にっこり笑顔で答え続けた「斎藤佑樹」に散々食わせてもらったスポーツ新聞、ゴシップメディアは、もう帰らないYahoo !トップの人に、足を向けて寝ることなかれと念ずる。
「どうなんでしょうね。もし今の僕が甲子園で勝った直後に戻ったら、もっともっと演じているかもしれませんよ(笑)。だって、高校生や大学生だった時の僕はノリにノってたし、ホントに何でもできると思っていましたから......。そう思うと、よくあの程度で収まっていたなって。もっともっと調子に乗っていてもおかしくなかったし、周りのことなんか何も考えずに突っ走っているんじゃないかな」(上記リンク、スポルティーバ インタビュより抜粋)
ノリにノってた頃のゆうちゃん。日ハムスカウトの山田さんが「ぽーっとしてしまった」流しのキャッチャー安部昌彦氏が「かぐや姫みたい!」とはしゃいでしまった、あの時のゆうちゃんの白く発光するオーラのような何かは、今も衰えてはいない。
どんなに打たれても、どんなに成績が上がらなくても、どんなに世間に叩かれても「斎藤佑樹ってまだ投げてるの(笑)」と野球好きでもない人たちのどうでもいい揶揄と世間話のネタとして扱われても。(あたしは、そういう態度が最も最大にマックスに大嫌いだけどね)
ゆうちゃんは、ゆうちゃん。斎藤佑樹は斎藤佑樹、斎藤くんは斎藤くんのままであり続ける。それがどんなに凄いことなのか。どんなにとてつもない忍耐と精神力が必要なことなのか。わたしには想像もできない。
中田翔を見よ。清原を見よ。数えきれないほどの甲子園の星としてプロ野球に入ってきた選手たちの中で、かますびしいメディアと勝手なファンの期待と失望、欲望の対象としてさらされ続けながら、それに応え続け、耐えられる人間は、どれほどいたのか?
斎藤佑樹は、最後まで斎藤佑樹であり続ける。札幌ドームよりずっと多く立ってきた鎌ヶ谷の最後のマウンドに、清宮幸太郎が歩み寄ったとき、ゆうちゃんは、思わず涙を零した。
もう野球選手であることは、投手であることは、なくなる。
おそらくは何もかも思い描くとおりにはならなかった11年間のプロ野球生活は、終わってしまう。それでも彼に涙を流させるんだ。野球という、彼にとっての人生が。
わたしが、初めてゆうちゃんを見た時のことを思い出した。あれは九州、福岡へファイターズ応援に遠征した時のことだった。宿泊したホテルが、ファイターズ御用達のホテルに近く、朝、散歩がてらに歩いていってみると、ホテルの出入り口に花道がひかれ、バスが止まっている。
バスの横にOL風の女子たちが数人何やら集まっている。バスの中にはまだ誰も座っていない…と思ったら、一人後ろの方に、その女の子たちの前方にいた。自慢だが、ファイターズの選手なら遠くからでも秒で誰かはわかる自信があるわたしである。その時もどれどれ誰かなあ?と後ろから覗いてみた。
…誰だっけ?
ただただものすごく綺麗な横顔の選手だ…こんな綺麗な子を知らないはずはない? と思ってたらさらに横から勝さんが出てきちゃって、それどころでなくなったのだったが。
つまり、それが黄金ルーキー。斎藤佑樹だったのである。
これからの新しい人生に、幸あれと祈ります。本当にありがとう。ゆうちゃん。
(文中敬称略)