ブルースだってただの唄 感想2
ブルースだってただの唄1 の続き。なかなかまとめて書けず、2日に渡って書くことに。
黒人たちが最初にアメリカ大陸に渡ってきた20人の黒人は奴隷ではなかった。けれど白人たちは「けったいな人たちだな。自分たちとだいぶ違うんだな」と思っただけでは済まず、その違いを蔑んで、彼らを奴隷にした。彼らの世界ではなく、アメリカ社会に同化すること、同化する=成功することだと教育した。
「この社会で、この社会のルールによって成功することが、歴史の迷い子になることを意味するなら、そんな成功に価値があるかどうか。」
「大学を卒業して、就職して、わあ、これでわたしも成功者だと考えたりしたけれど、ちっともいい気持ちになれなかった。この数年、生活の質ということを考えている。質は同化の中にはないと思う。主流社会のよろこびそうなことが大切なのか、自分が全面的に自分であることが大切なのか?同化の中に答えはないと思うのよ。」
これは、日本に暮らすアイヌや沖縄、在日コリアンの人たちに重なる部分があるようにも思う。
そして女性たちにも。男たちのルールによって成功しても、そこで生きても、彼女たちは言葉を持てない。「わたしの中の牢獄を追い出す」ことができない。
どうすればいいのか。「ブルースだってただの唄」嘆いても仕方ない。自分の歴史を自分の言葉で、そのまま語ればよい。「わたしたちはわたしたち自身のもので違う唄だってうたえる。ちがう唄うたってよみがえる」
100歳以上も生きた女性の聞き書きに「父は強い人でなかったので死んでしまいました」とある。あまりにもあっさりと書いてあって、その分とても印象に残ったのだけど、父は生き延びることができず、そしてその女性を含めた子どもたちは祖母が引き取って育てられた。
「フードストリート」を見ている時もつくづく思ったが、屋台を切り盛りしながら子どもを育てているのは、ほとんど女性たちだった。
その強さの源を語る言葉を持たないが、生き延びて、いのちをつなげていく中で培われているものが、彼女たちにはある。きっとわたしにもあるはず。
そう思って、少し心強くなった本だった。斎藤真理子さんの解説がまたすばらしかった。
この記事も良かった。
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