南仏ホームステイとポルトガル一人旅~パリ編③~
静かな時間が流れるピカソ美術館
ピカソの絵画を初めて目にしたのはいつだろう。おそらく小学生のころ、美術の教科書で目にしたのが最初だと思う。
ルノワールやモネなど美しい印象派の絵画が好きだった私にとってピカソの絵画は奇をてらった落書きのように見えた。
しかし20歳の時、初めて訪れたパリでピカソの絵画を目にした時の衝撃は忘れられない。
落書きのように見えたキュビズムの作品が私の心を大きく揺さぶった。
まるで右の脳と左の脳を合わせてミキサーにかけられたような混乱した感覚。言語化できない不可思議な感情が次々と私を襲った。
それまで絵画とは美しさを鑑賞するものだと思っていた。ピカソの絵を鑑賞してはじめて絵画が心に訴えかけてくる強い力を知った。そこに込められたピカソの強い思いを感じた。
例えば「浜辺を走る二人の女」は見ているだけで世界のどこにでも行ける、空だってとべるような万能感を味わうことができる。ピカソの絵画は私にさまざまな感情を与えてくれる。今肉体がどこにいようと心はそこから抜け出しどこにでも飛び出せると教えてくれる。
私がこの美術館を愛す理由はその素晴らしい絵画だけではない。美しい装飾が施されたパリらしい歴史ある建物やかわいらしい小さな中庭。そしてそこに流れる静かな時間。それら全てがここを特別な場所にしていた。いつも観光客でにぎわうルーブル美術館も素晴らしいけれど、私はやはりこのピカソ美術館のひっそりとした雰囲気が好きだ。美術館の全てをゆっくり堪能し、やはり一人で来てよかったと改めて思った。
ハンプティダンプティのようなおじさん
ピカソ美術館の余韻に浸りながら私はノートルダム寺院へ向かった。やはりパリの街は美しい。景色を眺めながら歩いてノートルダムまで行くことにした。おそらく30分ほどで行けるはず。
一度角を曲がると今いる場所が分からなくなってしまう私は、地図を回しながら一生懸命向かう方角を定めていた。それほど複雑なルートじゃない、方角さえわかればすぐに歩き出せるはず。一生懸命地図をにらむ私に小太りの中年男性が話しかけてきた。「Ou allez vous?」(どこに行きたいの?)いつもなら「Ca va.」(大丈夫です)と言って相手から離れるのだが(道をおしえてもらってお金をせびられたら面倒なので…)そのおじさんのハンプティダンプティのようなかわいらしい体型とユーモアのある笑顔に安心してつい「ノートルダム寺院」と答えてしまった。「僕も同じ方に行くからついて来て!」というおじさんについて行くことにした。
歩きながら3年前1年間パリに滞在していたこと、今回パリに4日間滞在しもうすぐ二ースでホームステイすることを話した。ホームステイ先で言葉がきちんと通じるか不安だと伝える私に、おじさんは満面の笑みで「大丈夫だよ!今ちゃんと話せてるでしょ」と言った。その笑顔に旅の緊張がほぐれたのを感じた。
「ぼくは一年間東京のフランス人学校でフランス語を教えてたんだ。日本はとても興味深くて大好きな国だ。でも今はちょうど鬱陶しい季節だよね。なんていったっけ雨ばっかりで…そうTuyu!」Tuyu=梅雨だと理解するまでに数秒かかった。フランス人らしく唇を前に突き出しTuyuと発音するおじさんはかわいらしくますます親しみを感じた。
いつも以上にフランス語での会話がスムーズに続くことを不思議に思ったがやがてその理由に思い当たった。彼はフランス語教師なのでどうすればボキャブラリーのない相手と話せるかを心得ていたのだ。難しい単語は一切使わず、短文で分かりやすく!さすがプロである。私はあったばかりのおじさんの思いやりに感動していた。
おじさんは「ほらノートルダムが見えてきた!もうわかるよね、じゃあ僕はこっちだから。Bon voyage!」と言い残しあっけなく去っていった。それにしてもさすがパリジャン!めちゃくちゃ歩くのが早い!ノートルダムまで30分かかる予定が20分ちょっとでついてしまった。私はおじさんとの出会いと親切さに感謝して後姿を見送った。
ノートルダム寺院の美しさに酔いしれて
ノートルダム寺院もパリで私が好きな場所の一つだ。ゴシック建築の最高峰といわれる壮麗な外観、近寄ると繊細な彫刻が施されているのがわかる。正面には数えきれないほどたくさんの聖人の彫刻があり、塔の上には見たこともない架空の動物シメールがこれまたたくさんいる。しかも一体一体表情や姿勢が違うので何時間でもみていられる。さらに中に入ると「バラ窓」と呼ばれる美しいステンドグラスが!そこから漏れる光りの美しさといったら…この世のものと思えない神聖さだ。こんな素晴らしいものを創造した人に心から感謝した。彼らは時代を超えて自分が創造したものが知らない誰かを感動させていることを知っているだろうか。またもやこの街にあるものの素晴らしさに圧倒されながらノートルダム寺院を後にした。
私はお気に入りのアイスを食べながら周辺を散歩しようと思い立った。サンルイ島にある有名なアイス屋さんベルティヨン。ここのキャラメル味のアイスは私のお気に入りだ。ほろ苦いキャラメルの香ばしさと上品な甘み。これを食べるとパリに来たな~と実感する。フルーツのフレバーもおすすめだ。週末は行列になることもあるが運よく並ばずに買うことができた。セーヌ河沿いを散策しながら食べるベルティヨンのアイスはさらにおいしい。セーヌ河から吹く風が心地よく、パリらしいサンルイ島の景色を楽しんだ。
ディナーはベトナム料理店
私はヒロシと夕飯を一緒に取る約束をしていたので、ユースホステルに戻った。フランス料理といえば世界三大料理の一つだが、パリではある程度の金額を払わないと美味しいディナーにありつけない。日本のように「安くておいしい」がありふれていないのだ。パリ滞在中もほとんど夜は外食しなかった。しかしパリにあるベトナム料理店はかなりリーズナブルで美味しかったことを思い出した。ホステルのそばにきれいなベトナム料理店があったのでヒロシとそこに行ってみることにした。
今ほどエスニック料理が日本になかったせいもあり、私が初めてベトナム料理を食べたのはパリだった。揚げ春巻きや生春巻き、香草を入れて食べるフォーに新鮮さを感じたのを覚えている。案の定ホステルのそばのベトナム料理店も想像を裏切らないおいしさだった。
ヒロシに今日訪れたピカソ美術館について語っていると、ピカソが舞台装飾を手掛けていたことを知っているかと聞かれた。ジャン・コクトーが台本を書き、エリック・サティーが音楽を手掛け、ピカソが舞台装飾をした「パラード」というバレエがパリで再演しているというのだ。明日のチケットが一枚余っているといわれ、譲ってもらうことにした。
恋愛相談に疲労困憊
ピカソの話題が落ち着くと待ち構えていたようにヒロシがこう切り出した。「おれがパリに来た本当の理由聞きたい?」
話したくてたまらないという様子の彼に聞きたくないとは言えず頷くと、「ある女性をかっさらいに来たんだ」と彼は得意顔で言った。
私は彼の話に戸惑いを感じた。昨日日本に残してきた彼女がいて毎日のように電話やメールをしていると聞いたばかりだからである。
彼の話によると「かっさらいに来た女性」は日本人でパティシエになるためパリで修行中。彼女がバカンスで訪れたスペインで二人は出会ったそうだ。迷子になっていた彼女をヒロシが助けたことがきっかけで滞在中ほぼ毎日一緒に観光しお互い好意を持つようになったらしい。しかし彼女はパリにフランス人のボーイフレンドがいて、ヒロシも日本にガールフレンドがいた…。彼女がフランスに帰国してからも忘れらなかったヒロシは、ボーイフレンドから彼女を「かっさらう」ためにパリに来たのだそうだ。安っぽいドラマさながらの話に鼻白みながら延々と続く彼の話に耳を傾けた。若い男子なんてこんなものかと半ば呆れながら。
彼女との出会いがどんなにロマンチックで、彼女がいかにかわいらしく特別で、どうしたら彼女をかっさらうことに成功するのか、話続けるヒロシ。彼とは趣味も感性もぴったりのいい友達になれそうだと思っていたのに…。今やただの色ボケしたナルシストにしか思えなくなっていた。時差ボケで疲れた頭にシャワーのように降り注ぎ続けるヒロシの話。こうしてパリの素敵な夜は更けていったのである。