2024年9月13日 8年ぶりの精神科はどんなもんか①
総合病院の精神科へ。
心のことで医者にかかるのは、実に8年ぶりだった。
28歳で双極性障害II型と診断されたとき、「これは気分の障害だ。だから一生付き合っていかないといけない。」と当時の担当医は私にそう言った。
確かに、私は気分の浮き沈みが激しい。
ある時は自分って最強だ、と疑いなくそう信じ、ある時は自分なんていなくなった方が良い、と何の根拠もないのに勝手にそう信じ込んで、布団に籠城したりする。
当時の担当医曰く、
「人が普通落ち込む時は、何かしらのきっかけがあるもの。これといった理由がないのに気分が沈むのは、気分障害だからだ。」
とのことだった。
そして、
「薬を飲んで気分の波を平らにしたら、生きやすくなる。」
ともおっしゃった。
そこで私は、
「じゃあ、これからは気分を平らにするために、死ぬまで薬を飲む必要があるんですか?」
と尋ねると、
「そうだ。」
とはっきり答えたので、私は憤慨して「結構です。」と言い放ち帰ってしまったのだった。
::::::
定期的に、心が鉛のように冷たくなって、身体中が重たくなり、この世から消えてしまいたくなるような、どうしようもないゆううつの波がやってくる。
自分は、何事も成し得ないのではないかという果てしない不安感に囚われる。
これは本当にしんどいことで、このゆううつの波が訪れるたびに、日々連綿と続けてきたあらゆる努力が一切中断させられてしまう。
心の中で荒れ狂う大嵐が過ぎ去るのをじっと待って、晴れ間が見えた時、またようやく自分という存在に一筋の光を見出して歩けるようになる。
1年のうちに何度か訪れる、心の中の四季の巡りのようなもの。
大吹雪の時もあれば、優しいそよ風が吹く時もある。
その心の移ろいも全部ひっくるめて自分自身で、どの自分も大切だった。
一生、服薬して気分の波を平らにするということは、そんな自分自身の何かを殺してしまうことを意味している。
と、当時はそう捉えていた。
それで、担当医から「死ぬまで薬を飲んで気分の波を平らに」と言われた時に、ひどくショックを受けてしまったのだった。
そして私は、薬を飲まずしてこの世をサバイブできるよう、とにかく自分に優しくなろうと決めたのだった。
自分の中にある大波を乗りこなすために、心に負担の大きかった接客業から在宅でできるライター業に転職し、会うたびに心がぐったり疲れる人たちとはもう会わないようにした。
気分が塞ぐ時があっても、それはそういう自分の個性なのだと受け止め、「必要最低限のことをこなせばそれで満点である」と生活のハードルを下げた。
そんな風にして、今までは実にうまくやれていた。
::::::
と、ここで時間がなくなったので、つづく
:::::今日のこと:::::
寝室の引き戸のすりガラスに、遮光シートを取り付ける。
夫が、「リビングから漏れてくる明かりが気になる」と、私に打ち明けたため。
これまでは、何度聞いても、
「全然大丈夫」
と言っていたのに、どういうことだ。
でも、明かりが気になると言われた以上は、もう夜半に隣室で作業はできない。
かといって、2階に上がってしまうと、私が近くにいないことを感じ取った息子が激しく夜泣きをする。
夫が対応しても、なぜか息子は泣き止まない。
夜に隣室でも2階でも作業ができないのなら、もう息子の寝かしつけの時に一緒に眠ってしまおうと、半ば不貞腐れていたのだった。
けど、そう、この世には遮光シートなるものがあったのだ。
そう気がついた私は意気揚々と遮光シートをAmazonで注文し、届いた瞬間、サイズ通りにカットして、テープですりガラスに取り付けた。
効果はバッチリ。
一切の明かりを通さなくなった。
こんな簡単な解決策も思い浮かばないほど、近頃の私は心が沈みきっていた。
物事を解決するために具体的な行動に移せた、そんな自分の小さな変化に、心が上向いているのを感じる。