怒りの解放の後に
感情を抑えていたつもりは全然なかったのだけど。
多次元キネシを学んでから、いかに自分の「あたりまえ」があたりまえじゃなかったかを、これでもかと知ることになり。
今回は怒りの感情について。
私の場合ずーっと、怒りを感じないように、出さないようにしてたんだなぁと改めて気づき。
周りに怒っている人がいたら怖かったし。
なるべく怒っている人をなだめようとしちゃってたし。
怒りが自分に向けられるともちろん怖かったし、自己嫌悪になったし、自分のどこが悪かったのかと自分を責めてしまってたし。怒りを向けてきた相手に対しても攻撃的な気持ちが湧き上がってきたり。
自分が怒っていて、できるだけ勇気を出してそれを言葉や態度で示そうとすると、なぜか泣いてしまうことがあったり。
すべて怒りを抑圧しているサインなのでした…(他にもあるけど)。
人に対してキツイことを言うことがあったり、自分のことをシニカルに表現することもあったりするけど、それはほんとうの怒りではなく。
真の怒りのパワーって、自分を守るためのものだし、クリエイティビティにつながるんだろうなぁと思います。
悲しみや喜び、恐れと同様に、生きていく上でごくごく基本的な自然な感情だし、原動力でもあるし、それがないと自分自身でいられないんだよなぁとも思ったり。
自分と周りの人との健全な境界線を引くためにも、怒りってあって当然、感じるのが当たり前なんだよなぁと深く納得したここ数日。
その基本的な感情のひとつである怒りを、私はどれだけ感じないようにしてきたことか…
怒っている自分はダメだとか、怒っている人の発するエネルギーが嫌で、怒りそのものを悪いものってラベリングしてたからだと思うのだけど。
そこの認識をまず変えて、自分の中にある怒りをじっと感じてみると、やっぱりインナーチャイルドなんだなぁ、と。
私の場合は、物心ついたときから父親という存在がいなかったのが大きく、周りの子にはお父さんがいるのに、なんで私にはパパがいないの?って、答えの返ってこない問いをずっと持っていました。
そのたびに母や祖父母からどんな答えが返ってきたかは覚えてないのだけど、たぶん、その時の空気感とか母のバツの悪さみたいなのを感じて、ある時から父のことは聞かなくなったなぁ、と。
でも、深いところには父に対して怒りがありました。
どうして母や子どもを裏切るようなことをしたのか?
子どもがかわいくなかったのか?
会いたいとすら思ったことがなかったのか?
父親としての責任を果たさなくても平気なのか?
答えが返ってこないとわかっていても、小さい頃はずっと考えてたんだなぁと。
これまで父親に対してのインチャは何度も見てきたし、奥に潜んでいた怒りも小出しにしてきたつもりだけど、怒りにフォーカスを絞っての父親に対するワーク、ひいてはこれまでの恋愛やパートナーシップで相手に感じていたものとか、いろいろピックしてやってみたら、自分でもちょっと怖くなるほどの怒りのエネルギーが上がってきて💥
生きるか死ぬかの瀬戸際みたいというか、気が狂ってしまいそうな感じというか、精神崩壊の一歩手前…のような感覚で、自分でもこんなのが奥にあったのかぁと、正直驚きました…💦
レプのエネルギーってこれだよなぁ、でも特にダーク系だよなぁ、みたいな。
それをどこか冷静に感じる自分もいてくれて、助かった~とも思いました。
ここまで感情を出し切った感じがしたのは、5-6年前に受けたインナーチャイルド専門のセラピー以来。
あの時と同様、大声を出して叫び、泣き、身体の動きも交えて感情を爆発させる、みたいな。慟哭といっていいくらいで、収まるまでしばらくかかりました。
だからこそ、あの時と同じくらい、ワーク後には放心状態にもなったし、しばらくたってからの爽快感というか、憑き物が落ちた感も半端なく…
これって本当に不思議。
どんなネガティブな感情を持っていても、まるで大切な友だちに接するように、自分に対して「そうなんだね」「大変だったね」などと受け入れ、共感していく。
ただ、そこに尽きるなぁと。
ネガティブな感情を感じてはダメ、人を嫌いと思っちゃダメって、思えば思うほど、苦しくなってたなぁ。それこそが抑圧なんだなと。
怒りを解放するワーク。
新たな気づきもいっぱいで、これ、病みつきになりそう(笑)。
久しぶりに電源を入れたフットバスに浸かりながら、そんなことを感じております。
外はひゅうひゅうと木枯らし🍂
みなさまどうぞ、暖かくしてお過ごしくださいね~♨🛁♨
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