【期間限定公開SS】魔法使いじゃ終われない【文学フリマ38東京】

 私、私ね、あなたにプロポーズされる夢を見たの。
 真っ白な窓枠にたなびくレースのカーテン。夏になりかけの皐月の日が差し込む中、伏された長いまつ毛があなたの下瞼に影を作るのを見ていた。跪いて見るあなたのかんばせは聖母様のどんな石膏像よりも麗しくて、私、やっぱり看取られるならあなたがいいな、とか考えていたのだっけ。細い白魚の手に握られている立方体は、なんだかあなたが選びそうにない深いブルーのビロウドだったものだから、変だなあと思ったの。だからずっとその細い指の間(あわい)から見える濃紺から目が離せなくって、ぼんやりと眺めているうちに、あなたがそのケースを私に向けて開くものだから心底驚いたわ。まさか、あなたがそんな動作をするなんて露程も思わなかったんだもの。小さなビロウドの箱をパカリと開ければ予想通り、銀色の円がそこに鎮座していて、私は呆気にとられた。そして白のシルクのクッションと、彼女の顔を何度も往復して、ようやく、彼女のゆるく細められた目にたどり着く。
「ね、みーちゃん。私と結婚してよ」
 柘榴石が滲んだような唇で彼女はそう言った。私はもう、何度も夢見たその言葉が彼女の声を纏って私の鼓膜を揺らすのが嬉しくて嬉しくて、迷うことなく、彼女の目を見たまま首を縦に振った。多分、あの時、脳内のありとあらゆる幸福物質が噴水のように湧き出ていたのだと思う。よく考えれば色々とおかしいことだらけなのよ。だって、私、彼女とお付き合いした覚えもないし、あんな場所知らないし。そもそも、彼女に傅きたいだなんて願望、表に出したこともない。だって気持ち悪いでしょ。唯一の親友だと公言して大事にしていた友達が、まさか自分に好意があって、あまつさえ、足元に傅いて、太ももに顎を乗せてみたいと思っていただなんて、そんなこと知ったら人間不信になるわよね。
 でも、確かに私はあの一瞬、死んでもいいと思うぐらいには幸せだったわ。
 まあ、目の前はその天国とは比べ物にならないくらいクソみたいな状況だけどね。

日曜の日の光がステンドグラスの色を薄暗いチャペルの床に焼き付ける。
パイプオルガンの音が荘厳な空気を纏い、この石造りの箱を揺らしていた。
前奏八小節。
最初のシフラットを吐き出す。
いつくしみふかき 友なるイエスは罪 咎 憂いを取り去たもう
金色の紐で挟まれた式次第を薄目で見て、声を発さず口だけを動かす。
結婚ラッシュでいい加減聞き飽きてきた讃美歌だ。
最後に奏でられる主への祈りの言葉の2音。
それまでが永遠のように感じられた。
 会場内の反響が消えた頃、日雇い牧師が満足そうに二人を見つめ、問いかける。
「汝はこの女を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで……」
 二人に愛の誓いを確かめる牧師に背後のステンドグラスから後光が差す。
「誓います。」
「……誓います。」
 神父が台の上に用意した結婚証明書に二人を導く。まずは新郎がペンを手に取り、その次は新婦たる彼女がペンを走らせる。目を伏せ自身の名を連ねる彼女の表情はどこか儚げで、神聖な式に似つかわしい優美さを持っていた。対照に白いグローブを手にソワソワと、少しもしゃんと立っていられない新婦の滑稽な姿といったら。いたたまれなくない。思わず会場を飛び出しそうになり、グッとパンプスのヒールを床に埋めた。
 彼女はこの上なく綺麗なのに、それ以外の目に映るもの全てが余計で、不愉快で、無作法だった。自分の視界に入る彼女以外の全てが気持ち悪くて仕方がなかった。

 今日は私の愛する彼女と、どこのどいつかも知らない馬の骨の結婚式である。

 私が彼女の結婚を知ったのは半年ほど前だった。
「私、結婚する。」
 片手に缶チューハイを持って、あっけらかんと彼女は言い放った。土曜の夜十時、私の家でつまらないお笑いを見ていた時のことだった。あまりにも脈絡がなく、さらにその言い方が「私、芸人になってM-1目指す」とでも言いたげな姿だったものだから、私は手にコアラのマーチを持ったまま、彼女の横顔を見て固まってしまった。
「いま、なんて?」
「だから、私結婚するの」
「……はあ」
 青天霹靂とはまさにこのことである。いっそのこと、今から芸人になるからコンビ組んでくれと言われた方がまだマシなくらいだった。そもそも私は彼女に彼氏がいたことすら聞いていない。それなのに突然結婚と言われ、はいそうですか、おめでとうございますとは言えなかった。摘んだままのお菓子を口の中に放り込み、咀嚼する。やっぱりコアラのマーチはいちごに限る。ハイボールとの相性は最悪だけれど、今日コンビニで目に入ったが運の尽きだ。口の中に残ったビスケットをサントリーの角ハイボールで一気に流し込む。
「それでさ、結婚式のヘアセット、お願いしてもいい?」
「…………は?」
 喉の中間で引っかかったビスケットと炭酸の塊を喉を鳴らして胃に押し込む。突然何を言い出すんだこいつは。信じられないという目線で彼女を見上げれば、至極真剣な目線で私を貫いた。
「私、みーちゃんに全部やってもらいたいの。あと、ドレスも一緒に選んでよ。お客さん取れないとかで支障出るなら依頼料出すから。」
「え〜……え〜〜〜〜〜〜〜本当にそれ言ってんの?」
 ここで「式はいつなの、準備日は?打ち合わせは?あんた、まさかとは思うけど式場にヘアメイク持ち込みって言ってあるわよね」とスケジュールを確認してしまうのが私の悪い癖なのだと思う。
 ここで、断っておけばよかったんだ。できるできないで言えばできる仕事である。唯一の親友の晴れ舞台にご指名いただけるなんてこれ以上に名誉なことはないだろう。彼女は私の仕事の腕を見込んだ上で、依頼してくれるのだから。しかし、気乗りはしなかった。
 だって、好きな女を知らない男のために飾りつける役なんて、どんな気持ちで受けたらいいかわからないもの。

 披露宴の席に移り、一息ついた頃にアミューズが運ばれてくる。それに合わせて、各々のシャンパングラスに一杯目が注がれる。同席についた同級生と一緒に乾杯をし、軽やかな香りの発泡酒に口をつけた。食事に手をつけ始めた周りの友人らが近況報告に花を咲かせ始める。そんな中、私は中央のメイン席右に座る彼女から目を離せなかった。
 食事が前菜、スープ、お魚料理、と進むのと同時に二人の馴れ初めや友人らによる出し物などの余興も進む。会場に用意されたスクリーンには新郎の友人が出身校に集まり、芸人の真似事をする映像が映し出されていた。似ても似つかない下手な声真似に眉間を顰める。急に酸味が鼻をつくようになって、手にしていた白ワインを飲み干し、後で出してくれるようにウェイターへビールを頼んだ。
「ごめん、結衣。私、そろそろお直し行ってくる。席、お願いね。」
「了解。お料理下げられないようにお願いしておくね」
「結衣が食べれそうなら食べちゃってもいいよ」
「お腹が空いてたらそうするわ」
 隣でふわりと微笑む結衣に笑みが溢れる。結衣は常にゆったりとした雰囲気を纏って、心を落ち着かせてくれる。学生時代からの付き合いで、私が気負わずに話せる数少ない人だ。
「ここで新婦様はお色直しのため、ご中座をさせていただきます。ご一緒にエスコートをしてくださる方をお呼びしたいと思います!ご友人の山本美琴様です。美琴様は新婦様の学生時代からの友人で、本日の新婦様のヘアメイク担当でもあります。それでは皆様、拍手でお導きください。」
 席から立ち上がる。隣の結衣が薄緑色のドレスを揺らしながら「いってらっしゃい」と小さく手を振ってくれる。肩が少し軽くなった気がした。気付かぬうちに力が入っていたらしい。同じく、小さく手を振って、高砂へと向かう。向かい合った彼女はやはり綺麗だった。
「みーちゃん。」
 彼女の半歩前で肘を曲げ、脇に腕を乗せるためのスペースを開けておく。腕を組み、会場出口へと一歩一歩と踏み出す私たちを参列者たちが見送る。私は拍手を聞きながら、私より5センチ小さい彼女の頭を横目で眺めていた。

 それこそ結婚を知らされた最初は身を引こうと思っていた。私は女である以上、彼女を幸せにすることはできない。私情で愛しい彼女を蛇の道には引き摺り込みたくなかった。彼女から与えられた仕事を完璧にこなすこと。それが私にとって唯一彼女に出来ることであり、自分の感情への餞だと思っていた。
 シンデレラのおはなしでハッピーエンドを迎えるためには魔法使いが必要条件だ。灰かぶりの少女を助けてくれるのはネズミでも、小鳥でもない。魔法使いなのだ。私は、魔法使いになりたかった。魔法使いに憧れていた。自分の手で最上級に仕立て上げた愛しき彼女を、王子様の下に送り出す。私ではあなたの王子様になれないから。せめて、あなたを幸せにしてくれる誰かの下へ。そう願い続けていた。だからこそ、今回の依頼は、煮詰まりに煮詰まって煮凝りになった自分の感情の葬式には良いと思ったのだ。

「皆様、大変長らくお待たせしました。新郎新婦様のお色直しが終わったようですので、会場にお迎えしたいと思います。皆様、拍手でお迎えください。」
入場の音楽が鳴り響く。一昔前に流行った国民的アイドルのウェディングソング。前奏が終わるとともに、会場の重い扉が開かれ、新郎と腕を組んだあの子が会場内に足を踏み入れる。来賓の拍手と歓声。そこかしこからため息の漏れる音が聞こえる。結衣が横から肘で私のことをつついてきたのに気がついて、そっと右に傾いた。
「美琴、綺麗だね。あの色で正解だわ、あの子にはやっぱり赤が似合うもの」
「でしょ。色々悩んだみたいだけど、やっぱり赤がいいよね」
「うん。そして、美琴はやっぱ天才!メイクもヘアアレンジも最高。あの子、やっぱりフェミニンよりも……」
「『クールとか、エキゾチックな雰囲気の方が似合う。』でしょ?ウェディングドレスの時のメイクはやっぱりあの子らしくないと思って、いつものようにしてみたの。」
「そう、それで正解だわ。かわいらしいメイクも似合うけど、やっぱりこっちよね。」
 結衣があまりにも褒めるから私は気が良くなって、戒めのために結衣の脇腹を軽く肘でつつき返した。わかる、わかるわよ。でも、そう言われると少し調子に乗りすぎるから黙ってちょうだい。

 ドレス選びの日に新郎の彼は淡いブルーを勧めた。それこそ、お姫様が着るようなラメ入りオーガンジーの上品なシンデレラブルー。そして、メイクにサーモンピンクのチークとコーラルピンクのリップを私の仕事道具の中から選び取った。その時に私にはこんな人間に彼女をやるものかという怒りが沸いた。ドレスのチョイスは百歩譲ったとしても彼女にピンクは似合わない。こんなに黒髪の美しい彼女に、イエベ春の真骨頂みたいなピンクを合わせろだなんて正気の沙汰ではない。
 顔には出さなかったが、そもそも、初顔合わせの時から気に食わなかったのだ。食事の席での粗雑な振る舞い。カトラリーの擦れる音。どこに行くにしても事前準備の悪さからエスコートができない。人に魅せるための動作を知らない。極め付けには彼女の髪を撫でながら「お前のことをわかっているのはこの俺」とでも言いたげな物言いをする。本当に彼女をわかっていて彼女の美しさを見つめていれば絶対にサーモンピンクだのコーラルピンクだのといったふざけたチョイスは出てこない。本当にこんな人でいいのと彼女に問いたくなってしまう。
 私ならあなたのこと、誰よりも美しく出来る。だからさ、やめちゃいなよあんな男。どうせ碌でもないぞ。きっと数年後にはこう言い出すんだ。「思っていたのと違った。」「君がそんな女の子だと思わなかった。」って自分の目が足りていないことをあなたのせいにするんだ。
 私にしておきなよ。今なら間に合うよ。私、これでも美容師の中では稼いでる方だから、あなたぐらいなら養えるよ。死ぬまで私のそばで輝いていてよ。そう言いたくなるのをグッと飲み込む。
 今、この場では私はあくまでも魔法使い。だからせめてもの反抗に、自分のかける魔法は思い通りにさせてもらう。私が惚れた彼女の、いつもの美しさを最大限に引き出す。

 二人がキャンドルサービスをしつつ、順繰りにテーブルを回り始める。薄暗い会場に小さな火が一つ、また一つ灯っていく。
 少し艶のあるシルクのボルドー。彼女の線の細さを魅せるため、プリンセスラインは却下した。目元のアイラインは強気な黒の跳ね上げライン。ラズベリーのようなバーガンディのアイシャドウを際にぼかし入れ、ゴールドの繊細なラメを重ねる。唇は少しスモーキーに黒を上から重ねた。彼女のメイクは引き算が映える。乗せる色は控えめに、その分、線はきっちりと書き込むことで、メリハリをつける。何年も彼女のメイクを見つめた私が出した最適解。満足感に閉じた口の口角がキュッと上を向く。
 私たちのテーブルにも順番がやってくる。二人の手でつけられていく蝋燭の燈に皆が釘付けになる中、私は彼女の顔を見上げる。私が見るのをわかっていたかのように、こちらをみていた彼女と目が合った。控えめに差し出された彼女の左手を取り、甲にそっと口付けるふりをする。
 私、やっぱり魔法使いだけじゃ満足できないみたい。でも、王子様の席を掻っ攫うほどの度胸もないの。だからここで誓わせてちょうだい。私のあなたへの執念を。
 どこまでもお仕えします。私のシンデレラ。
 



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