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テオ もうひとりのゴッホ 〜を読んで

テオドルス・ファン・ゴッホ(Theodorus van Gogh)をご存知だろうか。

オランダ出身の画商であり、かの有名な画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)の弟である。ゴッホに弟いたんだ。私も初めはそう思った。けれども今では彼がいなければ現代におけるゴッホの名声はないと断言できる。この本はそんなテオの一生を描いた伝記だ。

フィンセントを題材にした舞台を観る機会があった。

気弱そうで冴えない弟がテオだった。

そこにはフィンセントの舞台を観に行っていたはずだった。

しかし劇場から出た私はまず、スマホの検索バーに「テオ ファン ゴッホ」と入れていた。知れば知るほど程、テオの存在なしに現代のゴッホの名声はないと思った。兄に尽くして尽くして人生を生き抜き、親愛なる兄の死をきっかけに精神を病み、わずか半年後に亡くなってしまうのだ。あまりにも「人(=兄)のため」に生き抜いた人生に、強い衝撃を受けた。

この本は2007年に発行されたもので、現在は絶版となっている。近くの図書館に在庫を確認し、すぐに借りに行った。読み終えた後、どうしても手元に置いておきたくなり、定価ではみつけることができなかったがネットで注文をした。この1冊に収められている彼の人生は、一読で受け止めきるにはあまりにも重かった。

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33年という彼の人生において、兄フィンセントのことを考えずに過ごした日は"何分"あったのだろうか。そう思える程に彼の人生には常にフィンセントの存在があった。

幼少期にフィンセントと過ごした時間は彼にとって刺激的で、永遠に大切な思い出であったのだろう。時間と共に美化されつつも多くの記憶が鮮明に残っている様子が綴られている。兄弟ではあるものの互いに対照的な性格や育ち方ゆえに、テオからすればフィンセントの思考や生き方に対する憧れは膨らむ一方だった。

ある意味自分の本能の赴くままに人生を歩むフィンセントと、周囲の期待に応えようと自分を押し殺し耐え続けるテオは、どちらも極端でありバランスが悪いように見える。だからこそ二人でひとつ、惹かれ合う部分があったのかもしれない。

一見すると、テオはフィンセントに搾取され続けた人生のように思える。フィンセントが売れない画家として絵を描き続けるために受けたテオからの支援の大きさは、いくら家族とはいえ度を越えているし、フィンセントに対して、君は遠慮を知らないのか!と言いたくなる。

実際に、フィンセントの住む場所も手配し生活や画材道具のための仕送りを続けることでテオの生活は困窮するし、仕事の幅も狭められ、人生の選択肢も消され、苦労しかなかった。兄さんはすごいんだ。時代が追いついていないだけなんだ。それは僕だけが知っている。僕が兄さんを支えないと。終始そんな感情がテオ自身を締め付けていたように思えてならない。

ただし同時にテオにとってフィンセントは希望の塊であり、画家として成功するという才能ある彼の夢を共に追いかけることを通じて、大きな喜びと充実感を得ていることも感じる。

この本は、かわいそう、気の毒、だけではない色とりどりな感情も抱えつつ読み進めていくことになる。

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少し話は変わるが、歴史に名を残す偉人たちは、生きてる間には評価されず死後に評価が高まることが往々にしてある。例外でなくフィンセントもそのうちの1人だ。

その功労者として、テオとは別にもう1人重要な人物がいる。

テオの妻、ヨハンナ・ヘジーナ・ボンゲル(ヨー)である。ヨーはフィンセントとテオがなくなる1年前にテオと結婚した。オランダに生まれきちんとした教育を受けた好奇心旺盛で聡明な女性だった。

世間がフィンセントの絵を「ヘンな絵」と称する中、ヨーはテオと同様に彼の才能を心から信じていた。

テオが亡くなったあと、彼が人生をかけてきた戦いはヨーが引き継いだ。フィンセントと同じ名をつけた自分の息子をフィンセント(ゴッホ)の遺産の相続者とし、彼の絵を大切に譲り受け、彼の夢であった個展を開く。兄弟が生前に親交のあった画家や画商との交流も続け、根気強く彼の才能を信じ、世界に発信し続けた。

そして息子のフィンセントもまたその意思を受け継ぎ、次第に個展の規模は大きくなり、この頃にはやっと時代が彼の才能に追いついてくるのであった。

ヨーはすごい。本当にすごいと思う。

伝記の中で描かれているフィンセントは、必ずしもヨーに好意的な態度ではなかった。テオたちの住む家を訪れた際にも、生まれつきの癇癪を起こしてせっかくの場を台無しにしたり、テオが仕事で独立をしたい考えを示すと、自分への支援が手薄になるのではと家族のことを顧みずに激怒したり。その度にヨーは、フィンセントのことを想い、気遣い、励まし、常に義理の兄のためを考えていた。普通なら疎ましく思っても仕方ないような存在である。夫の稼ぎの半分を持っていき、35歳を越えて夢ばかり追っている義理の兄。しかしヨーはフィンセントの才能を心から信じていた。

不幸に見舞われ続けたテオの人生において、ヨーと出逢えたことは最大の幸福だったのかもしれない。彼はヨーのおかげで短い時間ではあったが家族の温かさに包まれ、なにより彼自身には成し遂げられなかった兄との夢を叶えることができたのだ。

エピローグまで読み、少しだけ心が軽くなった。できることならば本人たちが生きているうちにというのは言うまでもないが、彼らの思いを引き継ぎ、形にしてくれた人たちがいたことに素直に安堵した。この事実がどうか彼らに届いていて欲しいと思った。

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二人は現在、オーヴェールの麦畑のそばの小さな墓地に眠っている。フィンセントが最期を過ごした場所、ピストル自殺をしたとされているあの麦畑だ。テオの死からまだ130年ほどしか経っていないということを思い出すたび、不思議な感覚に駆られる。テオもフィンセントも、確実にそこにいたのだ。寝て、起きて、食べて、笑い、怒り、描き、そこで生きていたのだ。

彼らは本当に幸せだったのか。ひとの人生にそんな思いを馳せる権利はないけれど、この本を読んだら考えずにはいられない。絵を描くことに取り憑かれた兄と、その兄の才能を信じ翻弄され続けた弟。今の私には彼らの思いを図ることなど到底できないが、天国で二人一緒に並んで思う存分好きな絵を描き、穏やかに笑って過ごしていてくれることを願うばかりである。



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  R.I.P


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