眼差しのその先に
2021,02,01に別アカウントで投稿した内容を転記。
2021,2,1...今年も中学入試がはじまった。
日本全国、どの子にとっても日頃の成果と実力が十分に発揮できますようにと、祈らずにはいられない。
少し前までは、高みの見物であった中学受験。
息子が新5年生になる今年、急に胸がざわつくようになり、些細な記事やニュースに思わず目頭が熱くなることもしばしば。
とくに中学入試スタートの今日は、朝から受験会場に向かう親子に想いを馳せるだけで涙が溢れてくる。
なにが正解で、なにが失敗かなどなくて、どんな子も、その子なりに懸命に勉強し、小さな身体で事実を受け止め、立ち向かっている。
それだけでもう本当に素晴らしいし、誇りに思っていい。
(当然、受験するしないに関わらず、どの子も等しく素晴らしいし、愛すべき存在であることは自明だ)
現在、小4男子と高2女子のいる我が家では、2023年にW受験を迎える。
受験やそれに伴う合否は、決してゴールではない。
叶えたい夢や実現させたい未来のための通過点、たったひとつの結果にすぎない。
もっと言うと、受験の結果はそれほど重要ではなく、そこへ向かう想いとか、努力とか、葛藤、試行錯誤がこの上ない糧となる(と思っている)。
私たち夫婦にとっても、子供たちの受験を通して、親としてだけなく、
ひとりの「人」として、子供たちと共に努力し、成長したい、と。
そしてできれば、いや必ず、この経験が私たち家族にとって素晴らしいものだったと振り返りたいし、かけがえのない思い出になると信じている。
もちろん綺麗ごとばかりではないし、想像しがたい困難もあるだろう。
けれども「受験」に翻弄されるのではなく、創りたい、実現させたい「未来」のためのプロセスの一部だと捉え、主体的に関わっていきたいと思う。
2年後の今日、我が子たちはどんな顔で「その日」を迎えるのだろうか。
そして私たち夫婦は、どんな顔でその背中を見つめるのだろうか。
結果ではなく、2年後までのすべての時間を丸ごと楽しもう。
つねづね私は、親は子どもに育てられていると思っていて、子育て第二(第三?)フェーズとなる今回のW受験も、とても貴重な経験をさせてもらえるなあと、感謝している。
偶然なのか、必然と言うべきか、私たち夫婦は「思考」と「対話」を生業としている。そして夫は「思考」と「対話」のプロでもある。
だからこそというか、そのためにも「その日」を迎えるための記録を綴ろうと決めた。この記録では、思考と対話の可能性を実践を通して顕在化させたい、という思いもある。
きっと親子間や夫婦間での衝突や葛藤...いくつものトライ&エラーを繰り返すだろう。それでも家族みんなが同じゴールを目指し、歩み続けるプロセスを残すことで、いつか子供たちがこの記録を読み、何かを感じてくれたらそれだけで嬉しい。