私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 6
7月28日(木)
パリ生活スタート
朝、目覚めると弱々しい陽の光が窓から差し込み、昨夜降っていた雨はどうやら上がったようだ。7月とは言いながら日本と違って寒い。長袖を着てもまだ寒い。厚手のセーターを着ている人もいる。こんなに寒くなるとは予想もしていなかった。長袖を重ね着して寒さを凌いだ。
今日は初日なのでパリ市内の半日観光。ツアーの仲間とバスで名所を巡る。日本人の好きな団体観光と笑われそうで何となく気が引けるが、地理的情報を得るためにも参加することにした。
7月29日(金)
クラス編成テスト
朝からどんよりとしていて今日も肌寒い。小雨がぱらついている。今日はソルボンヌのクラス編成の日だ。クラス分けテストが行われたが予想通りの惨敗。発表は8月1日だがきっと初級クラスになると思う。「こんなに難しいテストができるくらいならわざわざフランスにまで講習を受けになんか来ない」と思ったりした。
7月30日(土)
モンパルナスを散策
9時起床。昨日と同じようにバゲットとカフェオレの朝食。パリに来てからは毎朝同じメニューだ。日本では毎日たっぷりの朝食を食べている私にはいささか物足りない。でも焼きたてのバゲットはすごくおいしい。味は文句なしの朝食だ。やはりフランスはパンの本場だと実感した。
食事の後、何人かで連れ立って街に出た。寮からメトロのモンパルナス駅まで歩いて行った。途中に市が出ていたのでひとつひとつ覗いてみた。野菜、果物、肉、チーズなどの食料品のほか、衣類や雑貨など何でも揃いそうだ。皮をはいだばかりのウサギや豚の頭もぶら下がっている。ぞっとした。捕鯨をする日本人は残酷だと外国から非難されるが、何が違うのだろうと思った。人間が生きていくには「残酷」と思われることも避けられない。何が残酷で、何が残酷でないかを判断するのも難しい。
そんなことを思いながら歩いていると、いつの間にかモンパルナスに来ていた。モンパルナスには近代的な高僧ビルが建ち並び、東京の西新宿のような雰囲気だ。モジリアニの絵に描かれた古き良きパリの街並みを想像していた私には予想外だった。同時にちょっと残念な気もした。
モンパルナスから地下鉄に乗ってパレ・ロワイヤルまで行った。乗り換えが2回ある。パリの地下鉄は非常に便利だが、乗り換えに驚くほど時間がかかることもある。モンパルナス・ビエンブニュもそのひとつだ。動く歩道に5分ほど乗り、さらに5分ほど歩く。次の駅に着いてしまうと思えるほどだ。でも、みんな背筋を伸ばして黙々と歩いている。
パリの日本人
パレ・ロワイヤルで地下鉄を降りた私たちは、日本人が経営するというラーメン屋「大阪」を探した。ラーメンを食べるためではない。日本人がやっている店を覗いてみたかっただけだ。店は日本人客であふれていた。若い女の子のグループもいれば、中年男性もいる。パリに来てもやはり日本人の作るラーメンが食べたいのだろうか。日本人は外国人に比べると同族意識の強い国民のように思える。日本の中でも県人会とか同窓会といった同族集団がさまざま存在する。近年は海外に出かける日本人が増えているが、外国にいても、いや、外国にいるから余計に日本人としての意識が強くなり、無意識のうちに日本人どうしで集まりがちになるのかもしれない。パリでも日本人が集まる場所が少なくない。安心するのだろうか。一人で旅行する日本人も、日本人のいる場所に足を運ぶ人が多い。日本人経営の、あるいは日本人店員がいる店がガイドブックに取り上げられている。日本人で集まるのは日本人の特性のひとつかもしれない。
その一方で日本人どうしが道ですれ違うと目をそらすこともある。あえて日本人を寄せ付けないというか、日本人を避けるのだ。町で出会う人が日本人とわかったら「こんにちは」と声をかけ合ってもよいと思うのだがあえて無視する。そこにはある種の「見栄」のようなもを感じる。パリをひとり占めしたいという気持ちと言ってもよいかもしれない。女性に多い気がする。「パリは私だけのもの」という気持ちを感じる。自分は大金をはたいてパリに来たのに、あの人もパリにいる。日本人が他にもパリにいることが面白くないのだ。家計を切り詰めて子どもにピアノを買ったら、隣の家でもピアノを買った。息子が有名大学に合格したら知人の息子も同じ大学に合格した。自分だけが特別でありたいのに、なんとなく面白くない。パリで出会った日本人の冷ややかなまなざしを見て私はそんなことを考えた。
夜の地下鉄での恐怖体験
その晩はオペラ座でバレーを見た。女性3人で出かけたが、劇場の豪華さもあって3人ともステージにすっかり酔いしれた。夢見心地でオペラ座を後にしたのは夜11時。かなり遅い時間だ。3人で地下鉄に乗ったが、夜も遅いせいか乗客の数はまばらだ。疲れた私たちは座席に腰を下ろすとついうとうとしそうになった。
そのとき車両の向こうの方から私たちに向けられる視線のようなものを感じた。入り口近くに立っている男性の視線だ。顔つきからアラブ系の男性のように見える。彼は横目で私たちの方をちらちら見ながら少しずつ近づいてくる。下心がありそうな雰囲気だ。あちらは男性1人でこちらは女性3人。数の上では負けないが、相手は大柄でがっしりした体格の男性だ。外見で判断するのはいけないと思いながらも肌が浅黒く体格のよいアラブ系の男性に私は警戒した。慣れないパリの町。乗客もまばらな夜の地下鉄の中である。私たちは無言だったが3人とも同じような気持ちであることは何となく察しがついた。
差別あるいは偏見と言われることを覚悟で記すと、実はその前日にパリに住む世話役のAさんから「アラブ人には気をつけるように」と言われたばかりだったのだ。当時パリの日本人の間にはアラブの人たちに関する都市伝説のようなものが広がっていた。オイルマネーで潤ったアラブの富豪がハーレムようなものを作り、女性を誘拐して売り飛ばすという話だ。にわかには信じられない話だが、こうした話がまことしやかに語られていたのだ。デパートの試着室に入った女性が出てこないので調べたところ床が抜け落ちていたなどという話がまことしやかに語られていた。
このことについては『北方圏生活福祉研究所年報』第11巻(2005)の以下の講演録に詳しく書かれている↓
今であればこの話が「都市伝説」であることは理解できる。だが当時の私は20代半ば。半信半疑ではあっても注意を受ければ「気をつけなければいけない」と思ってしまう。電車の中で私は背中から冷たい刃物を突き立てられているような恐怖を感じた。地下鉄が寮の最寄り駅であるポール・ロワイヤル駅に着き、ドアが開くや否や私たちは電車から飛び降り、一目散に駆け出した。改札を出て恐る恐る振り返ったときには男の姿はどこにもなく、地下鉄の走り去る音が夜の駅に響き渡っていた。恐怖で頭がおかしくなりそうだった。カルチェラタン線に乗り換え、寮にたどり着いたときは全身の力が抜けていくのを感じた。
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