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身近なところにも戦争はある
近隣の町に外国人抑留施設跡地があることを知り訪れてみました。太平洋戦争中に英米人などの外国人市民が「敵国外国人」として収容されたところです。
抑留施設はほかにも日本全国にあったといいます。アメリカで日系人が強制収容所に送られたことはよく知っていました。でも日本でも同じようなことが行われていたことは知りませんでした。自分の住むすぐ近くに抑留施設があったことも知りませんでした。
戦争が始まるまでは日本人といっしょに穏やかな生活をしていた外国人が、ある日突然「敵国外国人」とされて抑留所に送られる。何という不条理でしょう。中には日本人と外国人を親に持ち、日本で生まれ育った人も含まれていたそうです。
私が訪れた抑留施設は廃校となった学校の敷地内にありました。収容所の環境は劣悪で、食糧事情や医療環境も最悪であったといいます。収容中に亡くなった人もたくさんいたそうです。
校舎の裏手に小さな墓標があり、花が添えられていました。身寄りのない2名の人が土葬された場所だと聞きました。
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収容所の生活がどれほど厳しいものであったかは体験者の書き残した日記からわかります。日記は2021年に遺族により出版されました。(『英国人青年の抑留日記:戦時下日本の敵国人抑留所』シディングハム・イーンド・デュア著/出羽仁編、論創社)
日記を書いたのは英国人の父と日本人の母を持つ青年。日本で生まれ育ち、大学で医学を学んでいた彼はある日突然父親とともに特高に連行され、そのまま山あいの施設に4年近く抑留されました。
出版社の書籍案内には以下のように記されています。
敵国人抑留の日々の生活誌 日本で生まれ育ったイギリス国籍を持つ青年・Sydは、1941年12月8日、戸塚警察特高課により拘束・抑留される。抑留期間中の1944〜45年の彼の日記には、内山抑留所(神奈川)の実態が生々しく綴られている。 父の死後しばらく経ち、2000年頃から、在米の妹ケイと、父の弟エドワード・デュア(叔父)の努力でデジタル化と翻訳が進み、そこで、私もやっと本格的に「日記」を読みました。その抑留生活は、「ラッキーだったのでは?」という楽観的なものとは全く違っていました。物静かで、控えめな性格の自分自身との葛藤。年齢や、境遇の異なる抑留者たちの間で、思い悩み、怒る父。にもかかわらず、父は物事を客観的に冷静にとらえ、20代なかばとは思えない考えや行動をしています。そんな父を「すごい!偉かったんだ」と感じた次第です。(出羽仁「おわりに」より)
私はさっそくこの本を読んでみました。日記には過酷な抑留生活の様子が克明に記されています。収容された人たちの実態がよくわかり、読んでいて胸が痛くなりました。日記は英語と日本語の両方で書かれていますが、いずれも原文と翻訳の両方を載せています。多くの人に読んでもらいたい本です。
ウクライナでの戦火が続く最中にこの場所を訪れ、戦争が遠い過去のことでもなければ、遠い場所のことでもないということを実感しました。