沖縄再訪:コザの町はひっそりとしていた
(2月に沖縄を旅行したときの記録です)
沖縄本島中部コザに行きました。コザというのは沖縄市の中心地コザ十字路から胡屋(ごや)地区、中の町地区まで広がる文化圏の愛称とされていますが、かつて駐留米軍が胡屋地区をKOZAと呼んだことからコザと呼ばれるようになったと言われています。1974年にコザ市が近隣の村と合併して沖縄市となりましたが、私には今もコザという地名の方が身近に感じます。
米軍基地があるコザはアメリカ文化を色濃く映し出し、初めて訪れたときは英語の看板が並ぶメインストリートを歩きながら「ここは日本?」と思うほどでした。米兵の姿もたくさん目にしました。でも、今回は違います。英語の看板は目にしましたが米兵の姿はあまり見ませんでした。そもそも人の姿を見ません。どこも寂れた雰囲気で、アーケード街の店は軒並みシャッターが閉まっています。
通りに人の姿はほとんど見ません↓
アーケード街もひっそり↓
かつて賑わった通りも人の姿がほとんどありません。夜になったら少しは賑わうのかと思いましたが、通りに面したホテルに泊まっても外は静かでした。
コザと言えば私の中で「コザ騒動」がまず頭に浮かびます。1970年12月、米兵が起こした交通事故をきっかけに群衆が米軍関係の車両を焼き討ちした事件です。アメリカ統治への不満や怒りが一気に爆発した事件でした。
コザ騒動の中心となったゲート通りには英語の看板が多いです。飲食店のほかタトゥーと仕立物の店が目につきました。
ゲート通りも中心から離れると寂れています↓
歴史の中で町の姿がどんどん変わっていくことを感じます。