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6 ちょっとした心くばりで幸せな気分になれる 

授業で教室に行ったとき黒板がびっくりするほどきれいなクラスがあります。字を書くのがもったいないほどきれいになっていて、チョークを持つ手も喜んでいるように感じたりします。丁寧に書こうという気にもなります。1時間目ばかりではありません。前の時間に授業があっても、午後の授業であってもきれいになっているから感心します。係なのか日直なのかわからないが誰かがきれいにしてくれているのです。

最近はホワイトボードが使われることが多く、電子黒板も普及しています。でも私が教師だった頃は黒板(色は緑が多い)が主流でした。授業で活用できる機器も少なく、黒板は教師が授業をする際になくてはならないものでした。朝はたいていきれいなのですが、授業が進むにつれてチョークの粉がたまり、最後の授業のときは黒板下の床までが真っ白になっていました。だから黒板がきれいだとすごく嬉しかったです。

黒板のきれいさはクラスによって差がりました。いつもきれでチョークもきちんと整理されているクラス、消し方にムラがあったり前の授業で書かれたものが残っているクラス、黒板も黒板消しもチョークの粉にまみれたクラスなど様々でした。担任の指導にもよるのでしょうが黒板の様子からクラスの様子が何となく見えました。黒板はクラスのバロメーターのようでもありました。

嬉しい気持ちにさせてくれるのは黒板だけではありません。係などにノートを集めてもらったとき、出席番号順にきちんと揃えて持ってきてくれることがあります。大きな荷物を運んでいるときにさっと手を出して手伝ってくれる生徒がいます。忙しそうにしていると「何か手伝いましょうか?」と言ってくれる生徒もいます。その心遣いがすごく嬉しくて幸せな気分になりました。

学校以外の場所でも似たような経験は多くあります。前の人に続いて部屋を出ようとしたとき目の前でドアがピシャッと閉まってしまうことがよくあります。道路わきに置かれた自転車が通行の妨げになっていることも多いです。お茶を出されたとき「熱いので気をつけて」と一言添えられるのも嬉しいです。お茶が何となく美味しく感じられたりして… 日常生活のちょっとした心くばりで私たちは嬉しくなったり悲しくなったりします。生徒たちにもそんな心くばりのできる人になってほしいなと思います。

余談ですが、生徒たちは黒板を使ってよくいたずらをしました。黒板消しをドアの上に挟むのは「古典的な」いたずらです。つい油断して引っかかった時は「やられた!」という気持ちになりました。白チョークが赤く塗ってあったり、紙を丸めた「フェイクチョーク」がチョーク入れに紛れ込ませてあることもありました。黒板に字を書こうとして初めて気がつくのですがその精巧さに感心し文句も出ませんでした。生徒は教師が戸惑うのを楽しんでいたようです。教卓の前にチョークが塗りつけてあることもありました。授業に熱が入りすぎて前のめりで語りかけたとき洋服が汚れるということもありました。洗濯の手間がかかりましたが、不思議なことに大切な洋服を着ているときには生徒たちもそんないたずらはしなかったように思います。そのあたりは生徒もわきまえていたようです。いずれにしても懐かしい思い出です。黒板とチョークは学校の代名詞だったような気がします。

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