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【 表現の本質は「キレイ」である 】


 よく話をきいてくださるBさんからこんな救いの言葉をいただく。

「 ○○さんの書く文章って キレイですね 」


 絵だけならまだしも文章までそんなふうに言われたのは生まれてはじめてだし この何気ない一言は 深くぼくの心に刺さった。

 キレイという褒め言葉は女性限定のように考えがちだったから より新鮮に響いたのだと思う。男性も言われて嬉しいものなんだ と。

 でもたしかに 言われてみると それはきっと ほんとうにそうで 本質をよく見抜いていただいてると思う。

 なぜならぼくは 生まれてこのかた 自分主導の文章は 自分の心を汚して書いたことがないからだ。

 これにはたくさん釘を刺されそうだけども とても混み入った心境のなかで 〝本質は〟という限定つきではあるが 誓って嘘ではない。 

たしかに ぼくは素直じゃない。


 だから決して思ったまま素直な表現はしていないのだけどれども、本質はキレイで、その時々の怒りや悲しみ、自嘲、諦観でもって批評性を持たせながら示しているところがある。

 世の中がこんなに汚れていなければ、ぼくだってこんなこと書かないでいられただろうけど、でも現実問題たくさん目や耳に飛び込んでくる以上、放っておくわけにもいかず、書かずにはいられなくなるのだ。もちろん無力は身に沁みて感じているし、自己満足だろうなとも思う。けれどもこの衝動は自分自身でどうすることもできない。

 病気や依存、癖に近いものがあるとは前述の通りで、これは治りようのない病気(障害)である。仕事や家事などに忙殺されて 時間的に削られることは あるだろうが、まったく失われることは皆無だろう。 
 

それぐらい人生に根付いた【 個性 】なのである。


 総じて 表現の世界というのはそういうものだ。

 社会から隔絶されて 嫌な思いを何一つすることなく箱入りで甘く育ててこられたような特異な環境にいられる人は「素直」でいられるかもしれない。けれどもそれは何か守り手になってくれる安心材料なしには成し遂げれない功績である。これは福祉における「障害アート」にも言えることだ。

 とくに男性社会はいまだ旧態依然としていて 護られるじゃなく護る側がほとんどだし 素直に生きられない人が多くいる。だから多くのひとが鎧を着て自衛しているし、その結果がたまたま「アングラ」に色づいたりしてるだけなんじゃないか?

本質はみんな「キレイ」なはず。

ただ素直になれず、卑屈が顔を出すから 売れるためであったり 求められる没個性に擦り寄ったりして 自分に嘘をつくような 虚飾にまみれた表現になってしまうだけ。踊ったり 踊っているうちに 踊らされてしまったりしているだけ。

 本質を見失わないでほしいと思う。

ぼくたちはキレイなんだ

ほんとうの心はずっとずっと
キレイなままなんだよ

 最後に一句

かくれんぼ 探しに来るは 鬼ばかり


みなさまのサバイバル人生 ご武運を お祈り申し上げます


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