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妊娠期間の振り返り。前編
妊娠出産を経験した事で、
自分でも気付かぬうちに
母親像への固定概念が凝り固まっていた
事に気がつきました。
※個人的な振り返りです。
反省文です。
気が付いたというか、母に対してこんな考えを
持って接していたのかと猛省。
まず、1人産むだけでもこんなに大変!
妊娠中のホルモンバランスの変化は凄まじく
悪阻含め様々な体調不良、
10kg以上増えた重い身体と共に生活
お腹の中の子の分まで栄養を運ぶため
体内のあらゆる臓器がフル稼働。はあはあ
産休までの長い期間
(誰だよこれ決めたの!ギリギリ過ぎるだろ!生まれるわ!)大きなお腹で通勤し、働く。
いざ出産。本当に地獄の痛み苦しみ恐怖。
痛みは産んだら忘れる、子が可愛くて忘れる
と聞いてきたけど私はトラウマで
もう思い出さないようにしている。(結果人による、個人差大)
自分が母親になって、その立場になって
初めて
子を育てる事の想像以上の大変さ、
満身創痍で待ったなしで始まるレースの
過酷さを知る。(成人まで…遠い目)
令和の今でも、子育てへの理解がないと
感じる事が多い。
(今の時代特有の辛さもあるのかも…)
産めよ、育てよ、働けよ
妊娠出産は若過ぎても遅過ぎてもダメ
大きなお腹でギリギリまで働き、
体調不良で休む時、産休に入る時
保育園に入れず復帰が伸びる時
いつも「すみません」と謝る。
それはそう、迷惑をかけたり
配慮してもらっているのだから。
ただ、何故女の私だけ…?というモヤモヤは、肩身の狭さは、
実際に体験しないとわからない。
全てが想像よりもはるかに大変。
私は今まで世の母達に、全く配慮が足りていなかった。
感謝が足りていなかった。
実際に経験するまで、
母はずっと「母」だと思ってた。
今の私のように、全てが初めてで不安でどうしようもない中、
必死に「母」になっていったのに。
愛する我が子のために、
内臓の位置を変えてなんとかスペースを作って
生まれてくる大きさまで安全なお腹の中で
育てる。
命懸けの出産、休む間もなく始まる育児。
全治数ヶ月の状態で3時間おきの授乳。
多量出血の状態なのに血液を母乳にかえて
与えるなんて、もうどうなってんの母親の体。
過酷な体験をする度に、ああ、
私もこうして育ててもらったのだと。
命を削って育ててもらったのだと知る。
健康な体に産んでもらって、
家族分のご飯、洗濯掃除
365日休みのない母に
私の感謝は圧倒的に足りていなかった。
それどころか、社会人になってからは
主婦の母に対して
私は母と違ってちゃんと「社会人」をしている
なんて思っていた。
妊娠中も、
産休に入るまで私は働いていた!
(正に女の敵は女思想…)
産後も私は働き続ける!と
何故か変な対抗心を持っていた。
辛かった、羨ましかったのもある。
我が子が無事に育つか生まれてくるか
臨月まで不安で仕方なかった。
健診は毎回問題はなくても、たまに
目に入る正期産での悲しい話。
妊娠=幸せだと思っていた私、
自分が妊娠中にここまで不安に襲われるとは
思っていなかった。
(母はそこまで不安を感じなかったそう。
現代のようにいろんな情報が入ってくるのも考えもの。いや、それで救われる事もあるから一長一短か。うん。)
お金の不安もある。
今は共働きでないと余裕はないし
(共働きでも余裕はない😇)
正直大きなお腹で通勤するのも
働くのも本当に大変で辞めたくて仕方なかった。
産休までが遠すぎて毎日カレンダーと睨めっこ。
母は専業主婦でいいな、
こんな思いをしていなかったんだ、
というないものねだり。
(そもそも親世代で産休育休とるなんて
ほぼ不可能…?だよな)
とにかく、こんな大変な妊娠出産を3度も経験した母。
私だって出来る。
私は仕事と育児を両立出来る。
こんな考えが、産後の私を苦しめる事に…
SNSで見るキラキラしたママ達
良いところしか見ていないのに、
私もそんな風に「上手く」出来る!
そう思っていた。
続く…