「長い道」(少年時代 原案)から読み解く残酷な子ども社会
概要
この小説は、夭折の芥川賞作家・柏原兵三氏(1933-1972)が戦時中の疎開体験を元に書いた自叙伝的作品である。主人公の少年は東京の子だが、父親の故郷である富山県の村へ疎開し、そこで残酷なまでの「田舎」の子ども社会を体験する。後に同様の経験を持った、富山県出身の藤子不二雄A氏が柏原兵三氏の没後に「少年時代」として連載漫画として世に送り出し、1990年には篠田正浩監督で映画化もされた。
なぜ、この小説が欲しかったか
私は中学生の頃に「少年時代」の原作漫画を読み、その後に映画のビデオも観て、いたく感動した。
小学校の前半まで富山県にいたこともあるし、また、自分自身が子どもの頃、かなりのいじめられっ子だったため、「東京もんだからこそ、
ひどい扱いを受ける」主人公の少年に、自分を投影させていた気がする。
中学時代から、「少年時代」に原案の小説があり、それは柏原兵三と言う作家の「長い道」という作品だ、ということは知っていたので、何とかして欲しい、と思っていた。
しかし・・当時は静岡にいて、高校卒業後は、秋田、八王子(八王子時代は、年数回、都心の大型書店にも行っていたのだが)、岩手県盛岡市、そして今は神奈川、と居を転々としてきたが、どこの書店でも「長い道」は見つからなかった。図書館でも見つからなかった。・・そう、私は、どこに住んでいても、中学生の頃の「少年時代」の感動から何年経過していても、「長い道」を探し求めてきたのだ。今になって思えば、アマゾンにならあったかもしれないし、神保町を気合入れて探せば発見できたかもしれない。しかし書店か図書館で、極力見つけたかった。探して来た本を見つけた時の感動の大きさを知っているので、そこは譲れなかった。
「長い道」に出会う日は、信じられないほどあっさり来た。
先日、研修で富山県へ4日間、行ってきたのだが、神奈川へ戻る日に、富山駅ビルの「くまざわ書店」へ行くと、・・長い間、探し求めてきた小説が、そこにはあったのである。
本場へ来るということは、こういうことか・・
という、素晴らしい感動だった。
先日、実はある文学コンクールに、「幼い頃から地球外生命体を追い求めていて、夢を成就させ、地球人で初めて火星の生命体に接触した人物を主人公にした小説」を応募したが、その主人公と同じレベルの感動を私はあの瞬間、味わうことが出来たのかもしれない(笑)
おおまかなあらすじ
主人公である杉村潔少年は、1944年の初夏、太平洋戦争の悪化に伴い、父親の故郷である富山県に疎開することとなる。
疎開してくる前、同級生となる地元の秀才、竹下進と出会い、「仲良くやれそうだ」と感じる。
しかし、疎開してくると、進は、2人の時は優しい半面、学校生活や行きかえりの「長い道」において、潔をのけ者にしたり、「あんまりだ」としか思えない仕打ちを繰り返す。
「のけ者にされたくなかったら、東京から持ってきた本をネタに、面白い話をしろ」という態度で、実際、潔をお抱えの講談師にさせて、ネタが尽きればまた疎外する、ということが長く続いた。
進はクラスの中で絶対的存在で、いつも登下校の時は先頭を歩き、皆に貢物をさせたりしていた。
しかし、やがて反乱が勃発、進は失脚し、いじめられる側に回る。
そのうちに「松」という、少々複雑な家庭の事情を抱えたパワーキャラの少年が「暴力で」権力を握り君臨する。
松との関わりの中で、潔は、「男と女のこと」を知ったり、純粋な少年であるがゆえに「自分の純潔が汚された」と感じる。
そうこうしているうちに、終戦を迎え、潔は東京へと戻る。
戻る日、駅のホームに、少年の姿が見えたような気がしたが、その日は登校日であったため、「まさか」と思っていた。
東京へ戻り数か月後、進から潔へ手紙が届いた。
そこにはなんと、あの朝、潔を送ろうと、駅に駆けつけていたことなどが記され、そして、以前、一緒に撮影した写真が同封されていた。
(・・(引用)進は鋭い目を光らせて、直立不動の態勢をとっている。級長として号令をかけるときにとる、あの姿勢である…)
世界観と感じること
この作品についての私の感想文が目に留まった人たち(そんな全ての皆様にまず感謝)の中には、たぶん、「少年時代、とかなり似た部分があるな‥」と思った人もいるのではないか。
原案の作品だから当然だが、本当にこの作品と「少年時代」は見事にマッチしている。
この小説を読んで、改めて映画の主題歌・井上陽水の「少年時代」も繰り返し聴いたが、こんなに作品の世界観とマッチしている歌も珍しい。
そしてこの作品は、戦時中、まだ今の何十倍も、地方の、さらには子どもたちにとって、「東京」が異世界であり、そこから疎開してくる子が「異分子」でしかなかったであろう時代の、そこを踏まえた、昔の田舎の(むろん、都市部にもあるが)「残酷なまでの子ども社会」を描写している。
作中、柏原兵三氏の分身である潔は、地元の子ども社会に馴染めず、そして、何回か交代した「最高権力者」の機嫌を損ねないようにすることにも苦慮している。
「大空襲で東京が焼けた」との報には、何よりもはやく「まだまだ、東京に戻れない・・」ということで失望の念を深めている。
いかに原作者・柏原兵三氏にとって、疎開生活が長く苦しく、そして辛いものであったかはよく伝わる。そして、それを誰にも吐き出せない。なんと辛すぎることだろう・・・。
終戦となり、富山まで迎えに来た母に「田舎の生活は良かったでしょう」と言われ、その母にも何も言わなかった。健気で・・私が同じ立場だったら、ここまで強くは振舞えない、と思った。昭和ひとケタとはこういう世代なのか‥。
しかし、言えることは、いじめや仲間外れは本当に、理屈抜きにダメなことだ。
私も子どもの頃のいじめ体験が元で、今も人の顔色を窺っていたり、心底から人を信頼することがかなりハードル高い人間になっている。(自覚がある)
よくいじめをする人間は、「いじめられる方に問題がある」というが、まずいじめをやめよう。
その後の、相手の人生に心底、寄り添う器量があるのなら、許せるかも、だが、大体いじめをする輩は、そんなことは1ミリも思っていない。
柏原氏は志半ばで夭折するも、教職に文筆にしっかり短い自分の人生を、太く短く生きたようだが、子どもの頃で人生を狂わされた人を私は何人も知っている。当時、ひどいいじめにあっていて、今、どうしているんだろう?と思い返される同級生もいる。
この小説を読んで、未だに理不尽がまかり通り、表面上は強く見えるものが
上手く生きていられる世界を、変える発信をしていきたい。
そう、改めて強く思った。
おわりに
長い間、探し続けた小説を手に入れて、読み切り、本当に嬉しかった。
原作者の自叙伝小説ということで、当時の子どもたちが巻き込まれた残酷な運命に切なくなったが、やはり、「いじめられっこの魂」を私も持っているし、「少年時代」を原作漫画、映画とも見ているので、その視点からでもうなずきながら楽しめた。
存分に、この小説からいろんな問いかけをされたような気がする。
とにかく、この小説が手に入り、読めたことは、今年の自分的ビッグニュースの一つだろう。
先日の富山行きを決断した自分を褒めてあげたい(笑)