見出し画像

パリ ゲイ術体験記 vol.6「パリ症候群シンキング」


若かれし頃からパリにいるよ..
そして、人生で最も楽しい時期を自由な街パリで過ごしたんだよ…
いよいよ定年を迎えるような歳になって、今後の余生をパリでどう過ごそうか考えたんだけど….
やっぱり日本に帰る事に決めたー。
未練はないわ、パリさん。バイバーイ!

私の周りでも、こうした完全帰国組ケースの噂をけっこう耳にする。
「ヴァカンスに恵まれた長いフランス滞在中に、フランスのみならずヨーロッパ中を旅したから、仕事をやめた後は、今度はまだ知らないパリの隅々までを訪れるのが楽しみ」…なんて、つい最近まで話していたのに、いざ定年を迎えたら割りとあっさり決断して日本に引き揚げてしまう人の多いこと。

何十年とパリで生活されていたのだから、今後も住み慣れた所の方が良くないですか?と訊ねても、生まれた国で死にたいとか、日本ほど暮らすのに便利な国は無いし..とかモゴモゴと仰るのである。
私もそのお気持ちよーく判ります!と答えながら、結局はこの人も外国というかパリ生活に疲れて、今後ますます歳を重ねていくにあたって、パリに居続ける自信が薄れてきたのではないかと考える。
何を隠そう、実は私自身も同じであるから..

学生時代からパリに住みついて、音楽を生きる糧にしている私などは、人様から見ると爪に火を灯すような質素な暮らしに映るだろうし、まぁ現実もそう遠からずである。
そうではあるが、生活の基盤自体は間違いなくこの国にできている。

私の場合、もう日本には住民票も健康保険も年金も無いし、親はいるけれど付き合うような親戚や仲のよい友達などもいない。
今もし日本に帰って暮らすとなると、ほぼゼロからのスタートの、入国したての外国人みたいな状態になるような気がする。(顔も言語も日本人だけど、長い海外生活のせいで言動の細部がフツーの日本人でなくなってしまった分、ゼロではなくてマイナスからのスタートになるだろうし..)

だが、ここフランスでは滞在許可も労働許可も持たせてもらって、健康保険もある。勿論、諸々の税金などは払うが、もしも何かの事情で窮地に立たされた時には、フランス人とほぼ同じ援助や保護を受ける事ができる。
外国人に、そんな懐の広い措置が敷かれていない日本では有り得ないような、とても有難い国で生きているわけである。
それなのに、そこそこ定期的に"日本帰りたい病"にかかるのだ。

いつの頃からか、「パリ•シンドローム」(パリ症候群)という言葉をよく耳にするようになった。
あまりに美化されたパリのイメージに乗っかって住みだしたはいいが、現実のパリとのギャップに耐えられなくなる外国人特有の鬱病みたいな症状であるらしい。特に日本人女性に多いのだとか。
勝手に描いていた花の都であり光の都パリ。映画のシーンを切り取ったようなロマンチックでお洒落なパリ。
なのに、こんな筈じゃなかった!!...なのだろう。

私のようなパリ浦島組というか、この地に根を生やしすぎたジャポネが集いワインがすすむと、誰かが「パリがこういう所って最初から知っていたなら、まさか来てなかったよね..」なんて事を今更ながらに言い、それに皆がこっくり頷いていたりする。
それでも、こんな私達が今もパリに残っているのは、単なる憧れとか夢だけを抱えてパリに来たわけではなかったので、時に悶々としつつも何とか目標を見失なわずに過ごせてこれたのだと語り合う。

繊細な日本人には(というか他人軸な私達には)、まず他者を重い図るという尊い能力が備わっている。
以心伝心というミラクルっぽい言葉が存在するように、思いのテレパシーを自然と相手に送ったり受け取ったりする高度な術をも備えている。
だけど、これらの魔法はここフランスにおいては、ほぼほぼ効力が無い。
ましてや私達のお家芸とも言える、気配りや心遣い、本音と建前、完璧主義 …などのテクニックも、大方のフランス生活者の前では、ひとりで立ち往生するだけである。

これは、この国の教育の成果と思われるが、常に自分が主体のフランス人達の主張は完璧に行われているから、ふと気をつけて周りに耳を傾けてみるならば、まさに主張のオンパレードのよう。
だから、謙譲の美徳で言葉には出さずに気持ちの念だけを送っているような日本人は、意見を持たない人と見なされて相手にされない事すら多い。

それでも我々は、懲りずにご丁寧な術を操り、向こうから僅かでも何かしらの理解や良い反応がある期待をしてしまっている。
我々"察する日本人"は、非言語コミュニケーション文化圏からやって来たのだから、無理もないのだけど。
先ず、その辺りをちゃんと諦める作業から始めるしかない…と、思う。

私の場合、パリに住みついた20代の頃は「大カルチャーショックのフランス!」と騒ぎながら過ごし、30代では体力気力とも漲っていたから、人種的な違和感など全て無理繰りポジティブに変換•解釈してやり過ごした。40代になると、「はて…?」と、何かと喉に詰まる機会が多くなり、若干の幻滅を伴う時間が増えた。50も過ぎたら自己欺瞞の限界も超えて、己の防御反応のためか他人と関わる前にはシラケている自分がいたりする。
これから先を予測すると、対人不感症がすすんでいくか、はたまた時期外れのハリケーンみたいなシンドロームに陥る危機があるかも知れない。

パリ浦島組合員の皆さまが、もともとが屈強だったか或いは鈍感だったかは知らないけれど、私のハートはお疲れ様でした!と言い合いたい気持ちに満ちている。
しかし、当地で辛酸をいっぱい舐めて成長(または屈折)された方は、パリ症候群には無縁だったとはまだ言い切れませぬですよ。
もしかすると、多くのコロナ陽性者みたいに、実はずっと罹っているのに重症化していないだけかも知れませんから。
どうぞご自愛下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?