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思わぬ未来

私は中学生の時に、中学校の先生になりたい夢を持っていた。
それは中学校の時のある先生に憧れていたからである。

その先生は牧野先生といった。昔の記事にも書いたが、牧野先生は社会の先生で、授業がとても魅力的であった。

その先生の歴史の授業は面白かった。私の歴史好きはここから始まる。偉人にまつわる話、人間模様を、時には日本の美術という本を片手にとり、子供の好奇心を刺激するように、面白おかしく話してくださった。

その結果、私は中学校の社会の教師になるんだ、先生のようになるんだと決意を固くしたのだった。

そして、教員免許のとれる大学に行き、単位をとって、意気揚々だった。ところが、ここで思わぬ弊害があった。

大学卒業と同時に結婚してしまったのだ。その時は今の時代と違って、共働きは考えられず、家の中に入らざるを得なかった。教員採用試験も受けられず、ただ、臨時講師にいつか行けると思いながらの日々だった。

でも、子どもが次々生まれ、また、義母が倒れて、半身不随の義母の世話に翻弄されて、それどころではなくなった。約9年寝たきりの義母の世話をした。

教師の道は絶たれたと思っていた。
ただ、その後いろいろあって、主人と別れるようになった時、主人は置き土産をしていった。書の先生になってはどうかと言って新聞広告を見せたのだ。

考えもしなかったことだ。

僕と結婚して、苦労ばかりさせた。君は一人でも生きていける強さがある。その気になれば、僕より稼げる。

そんな独りよがりな言葉を残して、彼は去った。
その後起こったことは自分でも信じられない。試験を受けて、先生の元で修行をし、いつの間にか教室を持つようになった。 でも、僕より稼げるなんて、それは無理だった。3人の娘を養うには程遠い。

想像もしていない未来だった。中学校の社会の先生になりたかった他にも、音楽の先生ならわかるよ。歌が好きだったし、音大に行きたいと思ったこともある位だ。

それが書の先生とは。
ずっと、自分は合わないと思っていた。何度も悩んだ。
そして気が付くと26年経っていた。

人生そんなものかな。こだわらない方が上手くいくのかも知れない。ずっと周りに合わせてきた人生だと思う。でも私にはその方が合っているのかもしれない。あれよあれよと夢のように過ぎてしまった。

自分はいつも夢見がちで、努力してきたという感覚がないが、周りの人から見ると凄く努力しているように見えるらしい。人は見かけによらないんだよ、と言いたい。

私は現実をしっかり見ない癖がある。そして、何か辛いことがあると、前世どんな悪いことしたのかな、と前世に逃げる。今のこの世が一番大事なのにね

未来は何が起こるかわからない。自分の人生じゃないと思っても、それが長い目でみたら、一番自分に叶っているかもしれない。まあそれでいいんじゃないか、どうせ大したことのない人生、一時は生きた証を残したいと思ったこともあるが、その思いもなくなった。後は粛々と死を待って宇宙に帰るだけと、つくづく思う今日このごろである。

秋風や
彩り深き
人生の
終のすみかへ
誘うごとし

あきかぜや いろどりふかき
じんせいの ついのすみかへ
いざなうごとし
(紅葉深い中、秋風が吹いた。まるで自分の彩りの人生の
最後に導くように)

こんな歌が出てきたけど、まだ早いかな。秋はつい厭世観が出て…


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